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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/04/09 21:38:20

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    長男と次男

    晩飯の後は、私も炬燵の人となる。
    父が俯いて何も語らないが、母はとにかくいろいろな話をしてくれる。
    実は、我が長男は一歳になる前に大火傷を負わせたことがある。
    頭からコーヒーの熱湯をかぶり、
    背中一面に大火傷を負わせたのだ。
    早朝のことだった。私たちは村上だった。
    それでも、泣きながら必死になって車を飛ばして市民病院に来た。
    その火傷を見て、医師も驚いた。
    健気にも彼は、じっと耐え、我慢した。
    指先が火傷しても痛くてたまらぬというのに、
    一歳の子どもが背中一面を火傷したのだ。

    それから彼は私たちと離れ、父と母とこの家で暮らし、市民病院に治療に行った。
    その時、送り迎えをしてくれたのは、妻の亡くなった父親だった。
    長男は、とても我慢強く、看護婦さんにいつも褒められたそうだ。
    どうしたらよいのか分からないくらい、私たちはおろおろとした。
    しかし、今は彼の背中には何一つ火傷の痕跡すら残っていない。

    次男が同じ一歳の頃だった。二月の雪が未だ降る頃だった。
    突然の発熱と、発作。彼は意識を失い、救急車だった。
    同じく市民病院に運ばれ、ICUに。
    医師は、「何とも言えません。」だけだった。
    私はICUの閉ざされた扉の前の待合室でどれだけ泣いて、泣いて、泣いたことだろう。
    彼の命が、今ここで消えようとしているのだ。
    人は、こんな時には祈るしかなかった。
    私は外に出て、天から降り続く雪の中で、神に祈った。
    そして、奇跡が起こり、彼はICUを三日目に出ることができた。
    それだけで、十分だった。

    しかし、それから一カ月余り、私たちは村上での仕事だった。
    次男の病院での全てを支えてくれたのは、やっぱり母だった。
    病室の次男につきっきりで死に物狂いで看病してくれたのは母だった。
    次男は、点滴の時刻になり看護婦さんが近づくと、ベッドの隅に逃げたそうだ。
    母は、そんな次男を泣きながら、世話をしてくれていた。
    私は、神林村の仕事場から市民病院に向かった。
    そして、市民病院の食堂で夕食を食べた。
    それから、遅くこの家に帰り、眠り、朝になるとまた神林の職場に車を飛ばした。

    この二つの出来事から、私は生きてくれているだけでありがたいと思っている。
    だから、何も言わないのかもしれない。
    しかし、本当に母と父とは、この二人の孫を心から愛して、世話してくれた。

    悔いることは何もない。
    母は、この次男の成人の日を祝うことを心の支えとしているのだ。
    頼むよ。その日まで、生きていて下さいね。

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