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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/05/06 11:36:16

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    ここに在るもの

    連休最後の日も雨になった。


    N新聞の「ほんを語る」で、「魂にふれる」若松英輔さんの紹介文が掲載されていた。
    その文章を読みながら、私が言いたかったことはこれなのだと、独り納得した。
    若松さんは、最愛の妻を2年前に乳がんで亡くした。
    妻の残像を追って号泣する日々に、
    すぐそばで共に嘆き、涙している妻の気配を確かに感じたそうだ。

    「死者は思い出ではない。目には見えないが、ありありと実在し、生者と共に生きている。
    悲しみは死者からの愛の証し。独り静かにたたずめば、声なき声が聞こえるだろう。」 

    「見えない死者の 臨在 を感じ取れるなら、
    目に見えない信頼や愛をはぐくみ、人に手渡すこともできる。」

    この思想こそ、私が求めていたもので、私が劇の脚本を通して表現したかったものだった。

    私は、偶然とは必然があるから成り立っていると考えるようになった。
    人と人との出会いとは、まさに偶然ではなく必然だったからだ。
    もし、お互いのコンパスが数ミリの狂いがあり、
    何十年と生きていたら、けっして二本の人生の線は交わることはないからだ。
    もし、あの日に雨が降っていたら。
    もし、あの日にあの場所にいなかったら。
    それはそれで、何も分からずに進んでいたはすである。

    目に見えないものこそ、本当に存在するものなのではないだろうか。
    全てのものが時間の中で移ろい、変わり、消えて行くのに、
    永遠と言うその流れは、生まれもせず、死にもせず、
    今この目に見える世界ではない別の世界でちゃんと存在しているのではないだろうか。
    私たちはそこから生まれて来たはずなのに、
    それは、今、ここにも在って、私たちに語りかけてくれているのに、
    気づかないまま、私たちは偶然という不確かな人生を歩き、
    喜び、悲しみ、挫折し、苦しみ、再生し、否定し、また祈ている。

    孤独の中から、そっと手を差し出すとその手を握り返してくれる手と出会う。
    寂しさの中から振り返ると、そこに立ち、慈愛のこもった眼差しと出会う。
    その体に身をもたせると、傷んだ心と体を固くしっかりと抱きしめる優しい両腕に出会う。
    その肩に顔を埋めると、温かい涙と出会う。
    その涙は止まらず、とめどなく流され、魂を熱く震わせる。

    この世には、本当は愛しかないのではないだろうか。
    その悲しみや孤独の中で出会った永遠とは、
    やはり愛としか呼べない偉大で崇高な何かなのだ。

    その愛とは、死者の臨在を感ずる時、
    私が私なのだが、私ではない私がやっと気づき、語りだす物語だったのだ。
    その物語を私を通して書かせてくれる臨在を信じたい。
    死者は、何を語ろうとしているのだろうか。
    いや、今、ここでも語られている物語がきっとあるはずだ。

    だから、私も「目には見えない信頼や愛をはぐくみ、人に手渡したい」と思っている。
    愛は、意志だと教えてくれた人がいた。

    本当は私たちが死者を悼んでいるのではなく、
    その永遠としか呼べない世界に生きている人たちが、
    この世で生き抜かねばならない私たちのことを、
    いつもその傍に居て、慈しみ、見守り、抱きしめてくれているのではないだろうか。

    その存在を確信し、その想いをその胸に在ると感じた人が、愛する人となるのだ。
    愛とは、その世界との交信を通してしか、人には自覚できないものなのではないだろうか。

    「生者の問題は、死者と手を結ぶことで解決に向かうのです」若松英輔

    54歳にして、私はそのことが少し分かった気がした。

    こんなことを書いてからフランクル「夜と霧」とを再び読み始めた。
    すると、こんな文章に偶然否必然に出会ってしまった。

    「すなわち愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという心理である。」
    「愛による、そして愛の中の被造物の救い」
    「人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、
    自らを充たすことができるのである。」

    これを強制労働のために何キロメートルも凍てついた道を、他の囚人たちと共にあるかせられ、
    そして、他の収容所で生きていると信じている妻のことを想ったときに閃いた思想だった。

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