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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/05/19 06:09:35

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    傍らに居る人

    母が元気になって助かっている。
    これもお地蔵様のおかげさまと感謝している。
    母は体重が半分になり、自分でも体力が落ちたと嘆いていた。
    我が家にはまだ炬燵があり、そこで父と一緒に横になっている。
    小さくなってしまった母のことを、見えないことも時にはあった。
    そんな母は、この我が家の緊急事態に対して、果敢に挑戦をしている。

    私が家事をやるからと言っても、母は譲らない。
    私が買い物に行くと言っても、母は市場で買い物をして来る。
    私にはそんなことをさせてはすまないと思っているのであろうか。
    まるでそれは使命感のようにして、母は喜んで全うしている。

    「体が動けると楽しいんだ。」
    「こうやってみんなのためにできることがあると幸せらて。」
    母は、動けること、働けることが、幸せなのだ。
    「動く」という時に「人」をつけると「働く」という字になる。
    本当に漢字とは深い意味と哲学があると思う。
    ただ身体が動くだけでは、人の幸せや喜びにはならないものだ。
    「人の為に動く」ことで、人はやっぱり幸せな気持ちになり、生きる喜びを感ずるものだ。

    昔、こんなことを聴いたことがある。
    「傍(はた)を楽にするから、はたらくって言うんだがね」と。
    そうかそうだったんだと、この話を聴いて合点がいった。
    人とは本来「働く」ためにこの世に生まれ、この世で生きているのだ。
    まさに、限られた人生の時間を全て家族のために使い果たそうとしている母の姿に、
    人が本来に生きる姿を見せられる想いがする。

    傍らに居る。
    今、そんな境地に行きついている。
    それは路傍に建つお地蔵様だ。
    その人のために何もしてあげられない。
    その人の悩みや、苦しみ、痛みを取り去ることは私にはできない。
    ただ、傍に居ることはできる。
    そして、何も出来なくとも、その人の傍らに居て、
    その人を見守ることはできるのだ。

    それが、私のある意味「働く」・・・「傍を楽にする」ことであるかもしれない。
    「傍に居るよ。」
    その言葉だけでも人は救われた気持ちになるのではないだろうか。
    母は、今でも我が家族の中心であり、一人一人の心の傍に居てくれる人だった。
    変な言い方かもしれないが、それは永遠に変わらぬものと信じている。

    これもお地蔵様が教えてくれたものだった。
    私は、傍に居てもらえる優しさとありがたさとを感じている。
    私の傍には誰にも見えないが、確かに想いをもった人が居てくれる。
    それを信じるかどうかは、人それぞれだ。
    私は、その想いを感じた時、生きられると思った。
    だから、私はその人の傍に居る。

    そうすると、私を通してその人に魂からの呼びかけや働きかけが届く。
    傍に居る人とは、自分を通してそれを想う相手に伝えられる人なのだ。
    何もしてあげられないから、それが伝わる。

    母にとっては、父や私や妻や叔母たちや孫たちが、「傍らに居る人」だった。
    そして、私たちにとっても母はやっぱり「傍らに居る人」そのものだった。

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    さけ 秋桜

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