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from: クマさんさん
2012/06/21 21:46:17
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厳しい介護問題
現実の話をしよう。
母が入院してから、今日で三週間たった。
激変して、脳梗塞で言葉を失くし、血圧が100代で安定しながらここまで来た。
末期の肝臓癌であることを叔母たちにあかし、
全面的な協力を得てから二週間だろうか。
毎日3時過ぎになると、体がだるくなり、後頭部に頭痛があり、
椅子に座っていることも難儀になった。
これまでの疲れが蓄積されて、ピークに達したようなのだ。
病院に居ると、一日はあっという間に過ぎてしまう。
本日は、母の病室に5名の叔母たちが集結した。
90歳のアイさんは、何と小新からバスを三本乗り継いでここへ来てくれる。
昨日の母の様態が思わしくなかったので、緊急招集だった。
実に、実に、頼りになる叔母たちなのだ。
個室は、叔母たちが占拠した。
母は、叔母たちと私の会話に笑顔だった。
こうしてみんなが集まると、楽しいものだ。
1時から父の担当の医師からの説明があった。
父は脳梗塞のための点滴が昨日からなくなった。
後は、服薬による治療と予防だった。
脳の血管がもろくなっているので、注意する必要があるそうだ。
父は、重病人の階から回復を目指す人たちの居る5階に部屋を移動するそうだ。
「いよいよ、その時は来たのだ。」
1時半から病院のケアマネージャーの女性と1時間近く話し合った。
それは、父の退院後の受け入れ先についてだった。
ここからは、現実的なシビアーな話をする。
父が自宅に帰ってきたならば、自分で歩いてトイレも行けず、着替えもできない状況だから、
必ず誰かが介護をしなければならないのだ。
父は、とても我儘なために、自分の思い通りにならないと、誰彼となく怒鳴り散らした。
看護師さんにも、酷い言葉を浴びせている。
自宅で父の介護をしながら、怒鳴られていては、さすがに私も身がもたない。
公的な特養や介護施設は、重度の人たち専門で、何百人もその空きを待っている状態だと言う。
また、父のように歩けたり、独りで食べられたりする人は、対象にはならないのだそうだ。
父は、軽い認知症でもあるらしい。
ちにかくイライラとして、相手の気持なんぞお構いなしに、怒鳴っている。
つまり、公的な施設は父を受け入れる場所はないのだ。
次に、民間の居住型の介護施設がある。
要介護2の父でも、ある施設は一か月に20万円かかるそうである。
父の年金が15万円だから、そこへ入ったら家族は月々5万円を負担しなければならないのだった。
そんな余裕は、我が家にあるはずがなかった。
しかし、現在父がディで通っていた施設ならば、
この年金の金額で収まるようである。
ただし、ただし、である。
契約に際しては、施設の担当者と事前の審査があるらしい。
その時、「こんげな所、俺は行かない。」
「何でお前が居るんだ。俺はお前の所なんぞいかねぇぞ。」
「絶対に家から出ないからな。帰れ、帰れ。」
父が興奮状態でその担当者を怒鳴りつけることは、目に見える。
まず、この施設、本人が希望していなければ入れないことは、当たり前だよね。
「俺は、そんげなとこへは行かない。家に居る。」
そうだよね。父の気持ちはよく分かるよ。確かにそうしてあげたいよね。
私は、ケアマネージャーさんの前でどこにも預ける選択肢がないということに気づき、涙が出てしまった。
私は、現在精神的にも体力的にもMaxで、これ以上抱えたらぽきんと折れる状態なのだ。
父が、ちっとばか大人らったら、
「兄ちゃんに迷惑はかけないて。俺は、俺のことらっけ自分で決めるて。」
「そんげに苦しむな。大丈夫。俺は自分からどこでも行くれ。」
私は、そんな父親ではない我儘放題の父を見て、
情けなく、涙が流れる。
私が突然心筋梗塞や突発性の病気で倒れても、自分は家に居たいのだろう。
例え私がどうなろうとも、自分の我儘は通したいのだ。
母が居ればそれでいいのだ。
父は母に甘えて母に全部やってもらい、ことごとく文句を言っていればすんでいたのだ。
それて、同じことを私にしようとし父はしている。
私が昼間居ない時には、家中を探して日本酒を発見することだろう。
後は、独りで好きなだけ飲み、また倒れて脳梗塞なのである。
政治とは、本当に冷たいものだと想う。
団塊の世代なのだ。
なのに分かり切っているのに、特養や介護老人施設は満杯で入れないのだとむ言う。
電気よりも介護を求めても行くあても無く、待ち続けられる老人問題をどうして解決しようとしないのだろうか?
シビアーな現実とは、介護を求めている本人や家族が、介護を求められない現状なのだ。
叔母たちは、私が倒れてはいけないと、父の説得に全面的に協力してくれる。
妹は、父が可哀そうだと、まで想っている。
しかし、この介護の問題は一時的な「かわいそう」では、絶対に乗りきられない問題なのだ。
切実に介護を求めている人に、施設は門を固く閉ざしている。
これは、貧困な政治と愚かなる行政の為せる技なのだ。
施設があっても、入れずに何百人も待っている状態を異常だと感ずる感性が、
政治家にも、役人たちにもなくなってしまったているのだろう。
現状は、こんなに冷たいものなのだ。
退院して、行き先のない父は、我が家に帰ってくるだろう。
母は、すでに父の傍にはいないのだ。
日々、日々、日々、我が家は修羅場と化すだろう。
父は、好き勝手に生き、私を怒鳴り、酒を飲み、暴れ、毎夜闘いの日々であろう。
デイには行かないと言い、出勤時刻になっても私は頑固な父を説得していることだろう。
行かなかったら、日中82歳の父を我が家に独りで置くわけにもいかない。
私は、仕事を休まねばならないのだろうか。
いかに、この日本が老人問題について貧困な手立てしか為し得ていなかったかよく分かった。
私は、どうしょうもなく困っているのだ。
なのに、在宅と言う選択肢しかないというこの苛酷な現実。
ほとほと日本の将来の暗さを目の当たりにしたような気がした。
しかし、どんなことがぁっても家族は何とかしなければならないのである。
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