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from: クマさんさん
2012/07/28 11:15:50
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スキンシップ
母の死を通して、多くのことを学ばせてもらった。
やばり、体験しないと、その人のことは分からないものなのだる
分かるとはよく行ったもので、その辛さや悲しさを分かち合えない限り、
分かるとは言えないものなのだ。
親を喪った人の辛さと悲しさとを、私も少しは分かち合える人になった。
それも母が私に教えてくれたことだった。
母が病床に在り、意識が薄れたまま、息をしている時、
私はよく母の手を取って、さすっていた。
また、足を摩り、髪をなでた。
そういえば、ずっとずっと母には触っていなかったのではないかと、その時気づいた。
ああ、もっと触ってあげたらよかったなぁ。
恥ずかしかったからなぁ。
手を繋ぐと言っても、54歳の息子としては、なかなか言い出せなかったんだよなぁ。
私は、生きているということは、手を繋げることなのだと思った。
そして、触れ合うことでしか伝わらない想いがあることも分かった気がする。
「ありがとう」「大好きだったよ」「いっぱい助けてもらったね」
そんな気持ちを、手の甲を撫でながら心の中で伝えていた。
それは、きっときっと母の心には伝わったはずである。
ただ、手を撫でているのではなく、そこに愛しさがあり、癒しがあった。
それは、撫でられた母だけが感じるものではなく、
撫でている私の方が救われるような気持ちになって癒されるのだ。
家族に触れることを、忘れてはいれないのだと、この体験からそう思った。
次男には、出かけに必ず握手をしている。
その温もりを感じながら、伝える想いは溢れて来るのだ。
ほんの短い時間でしかないが、その握り方で彼の心がよく分かった。
「気をつけてな」「頑張って来いよ」と言いながら、肩を叩く。
彼に触れない日は、何故かどこかで不安になることもある。
だから、彼を朝、追っかけてでも握手する。
父は、落ち着きを取り戻し始めていた。
私は、父にステッキで殴られそうになったこともあった。
「こんな所に入れやがって」「勝手にするな」「金はどうなってるんだ」と、
とにかく酷い状態だった。
5分とも部屋にいられないこともあり、私が腹を立ててしまうこともあった。
逃げるように部屋を出る時、泣きたいほどに悲しかった。
その父の手を、私はマッサージすることにした。
タクティールケアである。
その説明は長くなるのでここではしないが、私はこのタクティールの効果の凄さを体験したのだ。
つまり、本当の心の奥底から湧きあがる想いは、言葉では表現できない想いなのだ。
その想いを、愛する人に伝えたい時、手のひらや指一本一本を心を込めてゆっくりと撫でながら、
心の奥深くで念ずるのだ。
「ありがとう」「だいすきだよ」「いつもいつも助けもらっているね」
「あなたが居るから生きられるよ」「いつも傍にいて下さいね」
「元気でいてね」「深く、深く愛しています」
その想いをもって手と足と背中とをゆっくりと時間をかけてマッサージするのだ。
母にしてあげたかったなあ。
それが私の後悔になっている。
だから、父には後悔しないようにやってあげようと想っている。
次男にも嫌がられても続けるつもりだ。
とてもとても大切なことを私は日々の生活で忘れていたのだと、母に教えられた。
「スキンシップ」は、言葉に表せない深い深い愛の表現なのだ。
そして、その人と触れ合うことで、
初めてその人と深さにおいて辛さや悲しさを分かち合うことができるのである。
私はここにいるよ。
私はいつもあなたを見守っているよ。
私はあなたの傍を離れないよ。
そう伝えられた安心感こそ、愛される安心感なのではないだろうか。
いよいよ「山ノ下なじらね音楽市場」の当日である。
どうかどうかたくさんの人たちにご来場していただきたいものである。
小さな町の小さな人たちでも、こんなことができるのだという、例にもなるはずだ。
天気はピーカン。暑さも最高。さてさて、静かに闘志を燃やすクマでもあった。
「やるぜ。燃え尽きるぜ。」
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