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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2012/07/31 21:54:03

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    祭りの後

    さてさて、「山ノ下なじらね音楽市場」が終了した。
    猛暑だった。めちゃくちゃ、暑い暑い日だった。
    そして、出演した下さった人たちの熱演に、大感動だった。
    こんなにすごい人たちが、この山ノ下市場で演奏をしている。
    私は、そのことがまさに夢のように嬉しかった。

    なじら家さんのコンサートから始まったコンサートだった。
    「Cさん、この上でコンサートやりたいんだけど、いいかね?」
    ワンコイン500円で限定20名のコンサートが、それから間もなく始められた。
    そこで出会った人がTさんだった。
    ジャズアコーディオン。しかし、私がオファーした時は、新春シャンショウだった。
    コンサート終了後に、すぐにTさんに駈け寄り、自己紹介をして、なじら家のことを話した。
    それから、開店前のなじら家に行き、懐かしいカウンターでお話をした。

    昭和30年代の話。Tさんは、私より1つ?先輩らしい。
    音楽談義に花が咲き、何だかとても心がほんわかと幸せになった。
    ああ、今私は憧れのTさんとお話しているのだ。
    何だかそのシュチエーションが映画チックで楽しかった。
    Tさんの奥様のプジョーは、あの1月の雪の中、ノーマルタイヤだったのだ。
    その名車に乗っている奥様に出会いたかった。

    Tさんのコンサートで、憧れのIさんと出会えた。
    私はIさんが参加している尾崎トリオの追っかけを5年間やっていた。
    ジャズストリートでは、必ずチェックして、尾崎トリオだけは毎回聴かせてもらった。
    そのトリオのベーシストクマさんことIさんのペースには、
    とてもとても魅了されていた私だった。
    新潟のポール・チェンバースと、私は勝手に言っていた。
    その憧れの人が、なじら屋でペースを奏で、
    その横にはれぞドラムスというUさんが、こんなに楽しいことはないとという顔で演奏していた。


    向こうから、私の憧れの凄いジャズメンはやって来た。
    惚れに惚れ、どうにもならないくらい夢中なjazzメンなのだ。
    その人たちがなじら家でセッションをしている。
    夢なら覚めないで欲しかった。
    そして、その今はなき懐かしいなじら家コンサートの延長に、
    この「山ノ下なじらね音楽市場」が誕生したのだ。
    「俺、ジャズフェスティバルを市場でやりてぇ。」
    その一言からこのフェスは実現したのだった。

    その実現に向けた打ち合わせで、新潟市のビックな音楽プロデューサーであり、
    フィクサーでもあるTさんと、出会うことができた。
    人は、縁と縁とでつながるものなのである。
    しかし、その縁は天の意に叶っていたら自然とつながるという話しでもあった。
    第一会の音楽市場の企画で、私はTさんと出会った。
    その時、アコTさんの奥様であり、プジョーのSさんとも出逢うことができだのだ。
    彼女のボサノバは、私の魂の宝物だ。

    かくもいろいろな人との繋がりの中で、第一回の音楽市場は開催されたのだ。
    私が出会った、新潟のトップオブミュージシャンたちばかりだった。
    その人たちに山ノ下市場の露天の場所で、素敵で魂に触れる音楽を演奏してもらっている。
    それは、まさに私にとっては夢の世界だった。
    コンサートが市場にやって来る。
    それがこのコンサートのコンセプトだった。

    あの真っ暗のステージで、私がトリスティーザの替え歌を歌ってひとり騒いでしたことを、
    母は、笑って観ていてくれたのだ。
    「兄ちゃん、いかったよ。素晴らしいコンサートだったよ。」
    いつもいつも母は、私がやることを絶賛し、褒めてくれた人だった。だから、私はここまで続けてこれたのだと、母には感謝している。

    その母が、今年はいない。
    「兄ちゃん、いかったよ。」とは、もう言ってもらえないのだ。

    今年は、猛暑の為にお客さんが極端に少なく、実に実に申し訳なかったと猛省している。
    しかし、私がジャズストリートで追っかけ続けた尾崎トリオが、
    この市場で演奏をしてくれた。
    美し過ぎる矢川さんのボーカル付きで、ペスのIさん、ドラムのWさんと、
    あの若き日に衝撃で出会った、オリジナルのメンバーだった。

    最後には、大好きなTさんのアコーディオン、Sさんのギターも交えてね大ジャムセッションだった。
    そのセッションをバックに、このむクマが「山ノ下のテーマソング」を泥酔親父で歌ったのである。

    死んでもいい。

    そんな瞬間だった。

    全てのことは出会いから始まる。
    その出会いは、天恵であるのだった。
    「なるべきようになる」そんな出会いを出来たことを心から感謝している。

    私は、これからもアコーディオンのTさん、ボサノバのSさん、ベースのIさん、ドラムのIさんとWさん。
    そして、私が最も敬愛し、至上の愛を捧げる尾崎さんのピアノと矢川さんのボーカル。

    そして、私が愛してやまないサックスのIさん。
    三味線もハワイアンもどんとこいの沼垂のOさん。

    ああっ、ちょっとだけ言わせてくれ。
    「俺って、幸せな男だね。」

    しかし、泥酔男は、いつものようにいつものごとく、覚えていることが少ないのであった。
    「何のためのコンサートであったか。」

    プレーヤーの皆様、心より感謝しております。

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