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from: クマさんさん
2012/09/10 06:23:58
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さてさて、これからどう生きるか
人は、なるべきようになっていくのだろうか。
あの介護の日々のことを時々振り返る。
今は既に遠い過去のように思われる。
その間に、母が亡くなり、父が施設に入り、妻の入院生活が続いた。
それは、私が願ったことではなく、
私が、選んだことでもなかった。
できれば避けたいものだったが、その試練は与えられた。
その時、お地蔵様と出会い。祈ることによって救われた。
分かったことは、「お任せする」ということだった。
自分の力の限界は既に越えていた。
もし、抱え込んでいたら、私がつぶれたことだろう。
私は、「何とかしてくださるはずだ」と信じていた。
もし、それがなるべきように与えられたものならばだ。
そんな苦難の私には、伴走者も与えられた。
人は、独りでは生きてはいけないが、
二人ならば不思議な力が出るものだった。
私の悲しみや苦しみ。弱気と泣きごと。
それを聴いてくれ、受け入れてくれる人だった。
任せていたら、この世での助け手が与えられた。
そんな生活の日々から、愛について考えるようになった。
実は、この世界は愛に満ちていたのだ。
私がそのことに気づかなかっただけなのだ。
私は、魂となった母の存在を感じた。
母は、今もこの刹那も私たちのことを見守り、守っている。
チーンをしてから、私はあの世と繋がった気がする。
亡くなった人の魂は、この世界には満ち満ちている。
私は、その魂の中で生かされている私なのだ。
そんな安心感と信ずる心とを得ることができた。
しかし、新たな苦難は人生には続くのである。
日々の多忙なる仕事と東区と北区との劇の稽古。
その上、ある劇の脚本と指導を頼まれている。
夜中に目覚めて、私は眠れなくなってしまった。
これも「なるべきような」ことだと思っている。
二つの劇の出演は、偶然と予想外なことが重なり、私の所に来た話なのだ。
母だなぁと、私は思った。
母は、私の劇が大好きだった。
ならば私はやれると、無理を承知で引き受けた。
しかし、今はその責任の重さに、怖さと重圧とを感じている。
劇の稽古と激務の日々。
私は、この己が選んだ試練を乗り越えられるのだろうか。
お地蔵様と母と伴走者の助け失くしては、生き残ることができないだろうと思っている。
その愛をただひたすら信じよう。
だから、祈ろうと思っている。
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