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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013/01/03 09:05:56

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    試練はあるよね

    長年続けていた十年日記を、昨年は母の入院と死辺りから全く書いていない。
    記録としては、この親父たちよには記してあるのだが、
    長年の習慣が全く途切れてしまった。
    いろいろと原因はあるのだろうが、やっぱり忙しく疲れ切っていたに尽きるかもしれない。

    六月の介護休暇から始まった激動の日々だった。
    人生にこんなこともあるのかと、自分のことながら信じられない日々だった。
    これは一つの大きな試練なのだと、自分には言い聞かせた。
    弱音は吐いた。それでよかったと、今は想っている。

    妻と母と父の入院。次男との二人の生活。
    母の死を予感しながらの介護の日々だった。
    私がそれを過ごすことができたのは、友とお地蔵様のおかげだと今も信じている。
    人は、独りでは生きてはいけない。
    その試練を乗り越えるためには、やはり試練を乗り越えられるような助けが来るのだ。
    私は、日々友の声に支えられた。
    心配しているよ。どうしていますか。大丈夫ですか。傍に居ますよ。
    その声は、何よりも温かく有り難かった。

    お地蔵様もそうだった。
    何も言わない。何も語らない。目は閉じられ、拝む私を拝んでいる。
    私は、心を語った。弱音を語った。お願いはしたし、お任せもした。
    すると心にあった心配や、重荷がすっと溶けてしまうのだった。
    しょせん、私が独り悩み考えてもたかが知れていることなのだ。
    そんな気楽さをお地蔵様は与えてくれた。
    施無畏である。

    母の死は、そんな最中の出来事だった。
    しかし、私の悲しみを自分のことのようにして痛み、悲しんでくれる友が居た。
    通夜の朝も、葬儀の朝も、私を全て受けとめて、慰めてくれる菩薩様が居た。
    私は、その運命を必然の出会いだと感じている。
    こんな弱い私には、そうではなかったらこの試練乗り越えられなかったからである。

    人は、弱い。弱いから、人には助けが与えられる。それを信じたい。
    これからもどんな試練があるかも知れない。
    しかし、この体験は真実なのだと私は想っている。

    休もう。無理をするな。出来ないことはしなくていいんだ。
    だから、日記を書かなくなったのかもしれなかった。
    しかし、今年からはまた書き始めようと思っている。


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