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from: クマさんさん
2013/01/16 18:15:18
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父の話
さてさて、父に会ってきた。
連休には行けなかったので、久しぶりの訪れだった。
夕方行っても、ベッドの中で眠っていた。
テレビでは大相撲中継をやっていた。
「じいちゃん、来たよ」と、呼びかけても、うっすらと目を開けるだけ。
感情が顔に表れない。
布団のすそから右手を挙げて、合図はしてくれる。
「どうら、元気だったけ」と聞いても、天井を見て「あー」とだけ。
私は座る場所がないのだ車椅子に腰掛け、父に話しかける。
父は、手を乱暴に動かして、何か言いたそうだった。
「ふとん・・・」やっと聞き取れた。
布団をまくれと言うことなのだ。
上半身を起こすだけでもおお仕事だった。
ベッドに腰掛け、何やら怒ったように話し始めるが、聞き取れないのだった。
聞き返すと、もっとイライラするので、十分の一の言葉から推測するしか方法はなかった。
悲しかったなぁ。
父は、一日中このベッドに入って、ただ天井を見つめ、ぐっすり眠るだけなのだ。
テレビだけが話し相手だ。
孤独なのだ。
84歳になり、この部屋の中で、独りぽつねんと生きているのだ。
人とかかわれる人ではなく、友達も自分からは作れない人だ。
母が身の回りの全てをやり、母が唯一の話し相手であり、保護者でもあった。
父にとっては、母は妻ではなくて、母だったのかもしれない。
父の寂しさとは、母が不在である寂しさであり、
母の居ないこの世で、独りで生きていかねばならない寂しさなのだった。
しかし、もし母が亡くなったあとも自宅でいたら、父はとっくに死んでいたはずである。
それも、悲しみから酒を浴びるほど飲んで、どこかでブッ倒れたままに。
父は、生きていてくれている。
父は、母を想って独り生きている。
母は、そんな父を置いてはいかず、やっぱりここに居てくれるはずだった。
「ばぁちゃ・・・しゃしん・・・ゆめが・・・・テレビ・・・・」
帰り際に父が話したことだった。
よくよく翻訳すると、どうも母が父の夢に出てきたらしいのだ。
いや、夢ではなく、テレビの前に母が立っていたらしいのだ。
私がそこに居たらしい。私が母を呼んで、どうのこうの・・・・。
でも、母ならば、そうするだろうなぁと、その話を想像しながら私は想った。
想いは、そこに在るのだ。
父は、その想いを感じて、その想いによって母を見たのだろうし、
母は、その想いによって、父の心にその姿を表せたのだと私は思っている。
想いは、残る。
想いこそ、魂なのである。
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