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from: クマさんさん
2013/01/23 05:58:00
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深さを
人は、もうこれからは高く昇る必要はないのではないだろうか。
もうすでに十分高く昇っているのだから、
今は、深く生きる時が来ているのではないだろうか。
高く昇ろうとする時、そこに競争が生まれ、孤立が生まれ、否定が生まれる。
高くないものは、高くならねばならず、
高いものは、より高くならねばならず、疲れている。
もう十分なのだ。
休まないか。
のんびりしないか。
しかし、やっぱり高く昇れと脅迫されているので、
やすむことも、のんびりすることも罪悪のように感じる。
森の話を聞いたことがある。
森の樹木たちは他の木よりもお日様の光をいっぱいに浴びたいために、
どんどん競いながら高さを目指すのだそうだ。
だから、植樹では密に植えた樹木の方が短期間で高く育つのだそうである。
しかし、ここからがやっぱり自然のすごさなのだが、
高さ100mや200mの森が存在しないのは、
それ以上高さを競うことの危うさを知っているからだと言う。
森の樹木たちはある程度の高さを達成すると、
それ以上は高く伸びないのである。
そして、お互いのテリトリーを守り、譲り合いつつ、
お互いが平等にお日様の光を浴びられるように、
あるがままでとどまると言うのだ。
確かにそうだった、飯豊のブナ林に入ると、
そこには共に生きるための知恵と温かさに満ちていた。
競い合うのではなく、和み会い、助け合い、声をかけあう感覚なのだ。
生きるとは、お互い様で生かされているという安堵感でもあるのだった。
何百年とこま深閑とした奥山にひっそりと生きてこられたのには、
やっぱりそれなりに理由があるのだ。
もう高く昇ることは、しないのである。
何故ならば、その大樹が生きていくためには、
その枝の広さや大きさと同じくらいの太くて逞しい根をはらねばならないからだ。
その根は、地中深く縦横にはびこらせ、
隣り合った互の根を絡ませ、潜らせ、引合いながら、
しっかりと自分の身体を支えているのだ。
実は、深くなければ、高くないのだ。
その深さを、私たちは忘れているような気がする。
高さばかり追い求めさせられている人たちの何とも浅はかなことか。
人としての存在感とは、この目に見えない深さにこそあると私は思っている。
いかに深くなれるか。
いかに深さで他の人と繋がれるか。
その深き根を確かに育てるのだと教えることこそ、
本当の教育ではないだろうか。-
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