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from: クマさんさん
2013/01/24 05:58:20
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弱さと悲しさがあるから
三日前から生活を戻そうと無理をして起きている。
5時起きはこの時期なかなか辛いものがある。
それでも、やっぱり元の身体と心に戻したいから、
こうして起きて掲示板に書き込みをしている。
ここに書き込みしながら、私はいろいろなことを考えている。
それは主に自分の失敗であり、弱さであり、
そこから学んだことが多かったと想う。
人は、弱さでは繋がれるのだ。
王瀬の長者の劇の脚本を書いて、そのことが私は分かった。
弱さとは、人の心の深さなのだ。
弱さであることは、人を人らしく戻してくれる。
その涙と悲しみの中で、本当の自分と出会える。
しかし、その忘れていた本当の自分とは、
他の人たちにもある本当の私なのだった。
だから、弱さには共感ができるのだ。
だから、弱さに対しては助けの手を差し伸べたいと想うのだ。
共感。同情。慈愛。
人の魂深くに存在する人間らしい想いや感情は、
自分を捨てたその深い場所から生まれてくるものだった。
ある意味、その深さこそ菩薩がいなさる場所なのだ。
私たちは、弱さと涙の中で始めて菩薩と出会えるのではないだろうか。
けっして見捨てない。
あなたのことをずっと見ている。
私はいつもあなたの傍に生きているよ。
それが菩薩であるお地蔵様の言葉だった。
人は決して独りぼっちにはなれないのである。
弱さと悲しみの最中にあり、絶望のどん底にあっても、
そこには、ちゃんと菩薩がいなさってくれるのだ。
深く、深く、降りることで、まず最初に繋がるのは、
そんな私を待っていてくれ、見守っていてくれ、
慈愛に満ちた眼差しで見守っていてくれた菩薩であった。
その瞬間、始めて菩薩の慈愛が分かるのだ。
愛されることで、人は始めて愛することが分かるのである。
そして、その慈愛こそ、私の魂の奥深くに不覚にも眠っていたものだったのだ。
弱さと悲しみによって、
その深さに陥ることによって、私は本当の「慈愛」と出会えた。
人は、これだけで生きればよいのだ。
次の作品「慈眼」は、「見て見ぬふりはしない」がテーマである作品だ。
弱さと悲しさとは、人と人とを深く深く繋げてくれるはずである。
絆という確かな繋がりは、この深さに至らなくてはできないものだ。
「優しさ」とは、憂いを知る人と書く。
良寛さんがまさにその人だった。
「君見ずや双眼の色 語らざれば 憂い無きに見えたり」
憂いの人は、人の憂いを感じで、見捨てておけない人なのだ。
その憂いに任せた衝動こそ、慈悲なるものではないだろうか。
人は、弱さと悲しさとで繋がれるものだ。
その深さこそ、本当の愛である「慈悲」が生まれる場所なのだから。-
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