新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマさんさん

    2013/02/11 10:00:15

    icon

    何もしないで、たそがれる

    何もしない休日の三日目だ。
    やっぱり何かをしなくては、どこかへ出かけなくてはと思う気持ちもある。
    昨日は、食の陣の当日座でった。
    いつもならばテントの中で日本酒でごっつぉうを食べている。
    しかし、連れがいない寂しさで、一人酒は・・・と遠慮した。
    こうして何もしないで終わると、後悔の連休なのだ。

    しかし、それはそれでいいことにしている。
    何もしないということも、大切なことではないだろうか。
    何もしないことの幸福感。
    そんな「たそがれる」ことの達人にこれからはなってみたいものだ。
    「めがね」という映画でその生き方を学んだ。
    「あくせくしない」「それでいい」「ぼんやりと生きる」
    そこに魂が落ち着けたら、それはそれでいいのだと私は思う。

    私は私とて生きている。
    最近は特に生きづらさを感じている。
    うまくないなぁ。やっぱり余計な者として見られているのかなぁ。
    年をとって、世の中の片隅に生きているとは、こういうことだったのか。
    その人の立場に立ってみて、やっとその痛みが分かるものだ。

    「人生は、今回限りではない。人生は、終わりではない。」
    「これである。この認識の厳しさこそが、善く苦しむための力なのだ。」
    「善く苦しむことのできる私は幸福である。」
    半日、わけのわからぬ池田さんの「残酷人生論」を読んでいた。
    本当に理解に苦しみ、とうてい私には及びもつかないのだけれど、
    池田さんの語りを聞いていると安心するし、時の経つのも忘れてしまうのだ。

    「幸福とは物ではなく心である。」
    「幸福は外ではなく内である。」
    「幸福とは善い魂のことである。」
    「善くなるために努力している魂も、幸福である。」

    つまり、南の小さな島の砂浜で、季節外れのかき氷屋さんを黙って開いている。
    それだけでも、何もしていないように見えていても、
    やっぱりその生き方そのものが幸福なのだ。

    「必然を必然と認識するから、それに従うことで人は自由なのだ。
    必然を必然と認識しないから、それを拒むことで人は不自由なのだ。」

    「人はいかにして自身の宿命を認識すべきか。
     宿命は魂にあるのだから、「己が魂」を、まずよく認識することである。」

    「善く苦しむことのできる私は幸福である。」
    「絶対自由とは、別名絶対受容ということになる。」

    どんなに読み返して、精神で咀嚼して、インプットしようとも、
    分からないようだとも感じつつも、これだと思う言葉ばかりだった。
    まず、一人一人違うことに落ち着こうと思っている。
    そして、「魂の私」の呼びかけには素直に感応しようとも思っている。
    これから先の生き方とは、私自身が考えて、歩んで行くしか道はないのだ。
    いやでも生き抜いていかねばならないのである。
    ならば、やっぱり「私」を絶対受容し、
    「私」と一になって無心になってあるければそれでいいのだ。

    何もしないで、たそがれる。
    そこに生きることの幸福感を感じて生きる。
    それはそれで「私」らしい生き方なのではないかと、言葉と出会って少しは分かった。






    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件