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from: クマさんさん
2013/05/13 10:53:02
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苦難に慈悲あり。
さてさて、魂が生きながら抜けてしまうということを経験していた。
本当に自分が自分でなくなってしまうのだ。
あれだけ突っ走って生きてきた男が、ぱたりと立ち止まり、うずくまってしまう。
とにかく二ヶ月間の出来事は、ここには語り尽くせぬ壮絶な出来事だった。
そんな中で、私はいろいろなことを考えさせられた。
人は、苦難に合わない限り、気づかないことが多いのだ。
みんなが当たり前として通り過ぎ、
何の問題ともしなかったことが、
実はとても大切なことであったり、かけがえのない存在であったりするのだ。
しかし、この忙しい日々を生き抜いている日々には、
別れという方が無理なことのようだ。
お地蔵様は、私にとっての菩薩様だ。
悟っているが、私のような愚かな人間を見捨てられずに、願を立てた。
「この世の全ての人たちが救われない限り、菩薩の救いは存在しない。」
だから、今でもああしてあそこにじっと立ち、
私たちの悲しみや苦しみや孤独な声に耳を傾けてくれているのだ。
「明けない夜はない」
その通りなのだ。
しかし、そう確信するためには、なぜ私がという試練を乗り越えていった経験が必要なのだ。
実は、その苦難があるからこそ、菩薩の存在に気づき、
心から祈ることができるのだ。
私は、母の仏壇に毎朝夕に手を合わせる。
母の死という苦難を通して、私は仏壇に頭をたれて手を合わせている。
お地蔵様の前で祈る。
母の仏壇の前で祈る。
祈るとは、一体私は何に向かって語りかけ、
何からの答えや呼びかけを魂で聴こうとしているのだろうか。
ただ分かることは、それは存在しいるということである。
それは、ここに満ち満ちているということであり、
それは、いつでも私の傍に居て、私の声を聴き、私に語りかけているということだった。
そして、その声を聴けるひとこそ、
苦難や試練の真っ只中にいる人だけなのだ。
苦難に慈悲あり。
試練に愛あり。
そのことが腑に落ちるために、私は今ここに生かされているのだと、
思えるようになって来た。-
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