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from: クマさんさん
2013/08/10 06:03:56
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何もしない。でも、変わる。
この時間に親父達よを書いているのは、実に何ヶ月ぶりのことだった。
どん底の生活が続いている。
なかなか思い通りにはいかないものだ。
それでも、忍耐であり、日々何か一つだけでも実行しようと生きている。
一日だけ生きる。
もう何も大きなことは考えていない。
ただ生きる。しかし、それってとても大変なことだと知った。
お年寄りたちの1日の生活を見ていると、やっぱりただ生きるなのだ。
しかし、そのたださ加減がやっぱり年季ものだった。
一日はあっという間だが、その間に自分らしく時間を使って生きていた。
友達と会って話をしていた。
庭の草木の手入れをしていた。
決まった時刻に決まったコースを散歩していた。
朝はオレンジの帽子をかぶり、子供たちを送っていた。
ゴミの日にはゴミ収集所の清掃をしていた。
暑い中立ち話をして町内の人の話題に盛り上がっていた。
買い物に行った。
時間は、全ての人に平等に過ぎていくのだ。
「何かをしなければ」「どこかに行かなければ」と、焦ったら辛くなるだけだ。
「足るを知る」これが、お年寄りたちのまち暮らしの原則だった。
まず、現実に満足することだ。
欲はもたないことだ。
時間は全ての人に平等に流れていく。
それは、まさに流れている大河のようなものである。
川の中に手を入れる。
手のひらに当たった水は、二度と再び戻っては来ないのである。
それは、瞬時に私を通り過ぎ、消えていく。
それを、もったいないとか、なんとかせねばとかと焦らないのである。
「今日は、これでいいんだ」と、時間の過ぎるままにやり過ごす。
そこに、淡々としている。
それが町内のお年寄りの達観した境地だった。
私にも三ヶ月という無為な時間が過ぎていた。
しかし、何も為さないこの時間を後悔しないことにした。
それは、樽の中に入っている酒のようなものだと思うことにした。
醸造は目には見えないが微生物のスケールでこつこつと行われているはずなのだ。
今は、向こうからやっくるものをただひたすら待っているだけである。
居ても居なくてもいい男が、やっと想いを書き留める気持ちになった。
これも、醸造の変化の現れと感じている。
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