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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013/09/01 09:25:44

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    降りることについて

    いよいよ今日から9月に入る。
    本当に何も無かった数ヶ月だった。
    思い出してもこれといった変化も出来事もなく、無為に過ごしてきた感がある。
    とは言うものの。答えは分かったのだ。
    ただ、それができるかどうかしかないような気がする。

    欲は確かになくなったな。
    まさに「降りていく生き方」そのものになったからだ。
    ある友が言った。「やっとクマさんの言っていた降りていくが分かったよ」って。
    なかなか人は、さの最中に有り、バリバリと生きていると、
    降りることなど考えられないのだ。
    いつも目の前の仕事と共に、次なる仕事すら考えているからだ。
    「休む」ことは、罪悪であり、
    「遊ぶ」ことや、「怠ける」ことなどもっての他で、
    爆走邁進・獅子奮迅・烈火のごとく突っ走る。

    「長距離ランナーの孤独」アラン・シリトーだったっけ。
    走らされることに生きる意味を見出そうとしていた青年が、
    走らされていることの現実に気づき、
    人生を自分の手に取り戻すためと、
    走らせてきた権力に対する反抗のために、
    トツプで走ってきて、ゴールの前で立ち止まるのだった。
    「降りる」とは、こんなにも実は「勇気」がいることなのだ。

    人と同じように生きる。
    日々の生活に疑問を持たず、ただやりきっていく。
    それが普通でしょうと、自分自身に言い聞かせながら、
    自己欺瞞を繰り返していく。
    その生き方とは、時には「勇気」とは反対の生き方となる。

    しかし、そう理解した上で、自分の義務を果たすことも、
    素晴らしい「勇気」でもあるのだ。
    ただ、それを選ぶのが自分自身である限りだ。
    ゴーギャンの生涯は、そんな意味では示唆に富んだ生き方だったと想うなぁ。
    まさに、「ここがロドスだ。ここで跳べ」なのである。

    降りたら楽か・・・・。そうではないのだ。
    そこからは、独自の孤なる道を自らの選択と責任とで歩かなければならないのだ。
    誰のせいにもできず、不満を言う相手もいなくなる。
    社会は自分が作るものであり、仕事も自分で探すものだった。
    でも、だから、やっぱり、ここで、「降りたいのだ」

    降りることを敗北とは捉えない。
    降りることを積極的に肯定する。
    ある意味では、降りることを自分の運命と考える。
    そして、今ここで降りることを思うなら、
    自然に、素直に従えばよいのである。

    降りることは、自分の足で立ち上がることなのかもしれないと、
    何もないこの数ヶ月を振り返って思っている。

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