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from: クマさんさん
2013/11/29 23:20:24
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大いなるものは存在し続けるのだ
「中世の人は、風の音に命があり、若葉の息吹を感じる」
人は、自然からさまざまな感情を学んだと言う人がいた。
そうだなぁと、私も思う。
太古の昔、自然の真っ只中で生活していた人々が居た。
恐れ、怒り、悲しみ、平安、慈しみ、優しさ、さして、美しさ。
そんな感動が、自然の姿から感じられ、己のものとされたと言うのだ。
今、冬の嵐が吹き荒れている。冷たい風が音を立てて飛び去っていく。
そんな季節の大きな変わり目なのに、私は部屋の中でストーブで暖まっている。
その自然の冬の寒さや恐ろしさを感じないまま、ここで文章を書いている。
中世の人たちは、自然の真っ只中で、自然の移ろいと共に生活した人たちだ。
だから、風の音や若葉の歓びの声を聴きとるだけの感性があったのだ。
しかし、現代の私たちの生活は、自然とは文明によって遮断された生活を送っている。
風の音や、若葉の歓びの声を聴く感性なんぞは、けっして育たない環境なのだ。
原発なんぞを創れる怪物とは、そういう環境で育ったものなのだ。
かく言う私も、その一人なのかもしれない。
その反省と自戒とを込めて、この言葉の意味を味わいたいと思っている。
「サムシンググレート」
そうだなぁと、私も思う。
やっぱり、この「サムシンググレート」が存在するから、私が居るのだ。
国土・衆生 いのちあるすべてがここに存在できるのは、
やっぱりこの大いなる故郷が存在するからだと感じている。
みんなここから産まれてきたのだ。
みんなここが故郷なのだ。
ここが故郷でないものは一つもないのだ。
だから、みんなは故郷を同じくする兄弟であり、姉妹なのだ。
私は、その一部である。
そして、どういうわけか、この時代にクマさんとしての人生を与えられた。
その人生は、生涯と言うように、始めがあり終わりがあるが、
実は、この世だけを見るとそうとしか言えないのだけれど、
この無常なる身体としての私はそうでしかないが、
魂としての私は、やっぱりこの故郷から産まれ、故郷に還るのであるから、
生まれもしないし、死にもしないのだ。
不生不滅が、やっと私にも分かって来たようだ。
みんなは、忘れているのだ。
自分という存在は、サムシンググレートとしての自分としての存在でも在りうることを。
このサムシンググレートは、ここに生きている。
そして、それは混沌から生まれ、今を生き、永遠に存在続けるサムシングでもあるのだ。
だから、サムシンググレートの存在を信じよう。それしか言えない。
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