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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013/11/30 17:01:54

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    念仏をする。念仏になる。

    「臨終を待つことなしに救われる」

    実は、救いから最も遠いところをとぼとぼと独り歩いているのが、私だ。
    こんなにいい加減で、臆病で、無力なる人も居ないのだと思っている。
    だから、自分では生きられないから、人に頼り、お地蔵様に頼っている。
    ああ、独りで歩けないのだ。情けないけど、それが本当の私だ。
    しかし、そんな愚かな自分を知っているからこそ、
    「南無阿弥陀仏」と祈る私になれたのかもしれないと思っている。
    試練ぱかり向こうからやって来ることがある。
    どうして私ばかりと、愚痴の百も言いたくなるが、
    「それがこの世だと」仏様はおっしゃっている。
    「だから、わしがここに居る」と、お地蔵様がおっしゃってくれる。
    「ありがとうございます」と、ただ合掌して、頭を垂れる。
    祈ると、救われる。
    臨終を待つことなく、私はどれだけ救われて、慰められたか分からない。
    祈ることなのだ。ただ、祈ることなのだ。

    「念仏を得た時に、人間は新しい人間として誕生しなおす」

    念仏は、向こうからやってくるものだと教えられたことがある。
    それは、念仏をしようとして念仏をするのではないということだ。
    例えば、嵐に飲まれ難破した船から海に投げ出された時、
    荒波の中で人は、必死になって助けを求めるはずである。
    その時、「南無阿弥陀仏」の念仏は叫ばれ、魂の奥底から呼びかけられる。
    「助けてください。」「死にそうです。」「どうか力をお与えください。」
    その生死のギリギリの一大事で、私は神仏にすがるのだと思っている。
    その時の「南無阿弥陀仏」が私を変える。
    私は、私がとてもか弱く小さなものに感じられる。
    仏様がいなければ、とうてい生きてはいけないものと感じている。
    だから、お願いしますとそんな私を委ねられる魂と出会う。
    今は、どこのお地蔵様にも、「南無阿弥陀仏」と言ってお参りができる人になった。

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