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from: クマさんさん
2013/12/05 16:13:22
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独り静かに瞑想しながら生きなさい。私は迷走であるが。
「独立独歩に生きなさい。他のひとは放っておくのです」
私は、とかくひとに頼りすぎる傾向がある。
困ったことがあると、ひとに助けてもらおうとする。
自分の心の中に悩みをとどめておけずに、ひとにすぐに話してしまう。
慰めと励ましの言葉が欲しいからだと想う。
「大丈夫だよ。」「心配ないよ。」「クマさんならばやれるよ。」「信じてるよ。」
とてもとてもありがたい言葉だつた。
とかく自信を失い、迷ってばかりの私には、
そうした羅針盤のような力強いひとが必要なのだ。
「サイの角のように歩みなさい」とは、お釈迦様のコトバである。
独りで立ち、独りで歩く。これは、ひとの生き方の基本中の基本だ。
なのに、私は、ひとのことが気になり、
自分がひとにどうおもわれているか感じ過ぎてしまうのだ。
放っておけるだけの鈍感さと頑丈さをやっぱり生きるためには求められているのだろう。
しかし、これはわがままに、ひとに迷惑をかけても平気で生きなさいという言葉ではない。
まず、深い問いをもって自分に尋ねよということであるのかもしれない。
そして、その独自な自分を信じて、自分の足で歩きなさいということなのだろう。
「唯我独尊」まさに、これこそひとがひととしてこの現実世界に生きる道なのだ。
「感覚に対象が触れた瞬間に煩悩が生まれます」
私は、煩悩の塊であり、快楽から抜け出せないひとでもある。
本当に執着してしまうと、その対象から離れることができなくなってしまう。
ひととは、そのように煩悩を持ちやすい存在であるとも言える。
その心地よさに、やっぱりとらわれてしまうのだ。
その感覚に心が溶かされ、幻惑さえ覚えてしまう。
何度も何度も現れてくる幻影を心では打ち消すのであるが、
やっぱりその悦びが身体に染み付き、消えることはないのだった。
何とか理由をつけて、離れようとするのだが、
やっぱりあの快感が忘れられず、またその対象を求めてしまうのだ。
このコトバは、タイの偉い偉いお坊さんの言葉だった。
ちゃんと煩悩を認め、そうしたひとの弱さを前提としていることがありがたい。
だから、ひとには修行が必要なのだと言う。
私は、三宝亭の「五目うま煮麺」が大好物なのだ。
今でも雨の中自転車を飛ばして、食べに行きたいという衝動に駆られている。
何十杯食べたことだろうか。煩悩とはかくも恐ろしいものなのだ。-
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