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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2013/12/05 23:50:18

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    自分を信じて生きよう。どんな愚かな自分であっても。

    「この世界には間違っていることなどはなく、ただダルマがあるだけなのです」

    殺生・盗・嘘・淫・酒 これを称して仏教では五戒と言う。
    しかし、全部やっているのが私としいうひとなのだ。
    清廉潔白とは、この現世では生きては行けない。
    というよりか、自分が自分らしく想いに従って生きていったなら、
    やっぱり誰もがこの五戒のいくつかにひっかかるはずである。
    ブッダは、悟りを開くための修行僧にこの五戒を戒めに与えた。
    しかし、世俗に生きる凡夫の私は、戒を破るだけなのだ。
    そんな意味では、親鸞が実に実に人間らしい生き方をされたひとだと私は想う。
    私は、愛する。仏教では、それを愛欲と呼ぶらしい。
    愛するひとが、幸せに生きられることだけを願う愛は、
    やっぱりぁっていいのだと私も想っている。
    自分のために愛するのか、そのひとのために愛するのか。
    ただ、そんな私のことすらも間違ってはいないのだと、許されている。
    ただ、その愛にダルマがあるかどうかを問われているのだ。
    そのひとが幸せに生きられたら、それでいいと想われるかどうかなのだろう。
    ダルマに、私自身の生き方は、問われているのだ。

    「私たちは全て、自分自身に拠ることを学ばなくてはならないのです」

    こんなに愚かで、迷いばかりで、おろおろと生きている私。
    その私に拠ることを学びなさいと、このお坊さんは言ってくれる。
    それは、やっぱり自分の中にこそ、ダルマは存在し、
    そのダルマからの問いかけや、呼び声にこそ応えて生きなさいという、
    それが「生きる」ということへの私の責任なのだと言われているような気がする。
    どうでもいいようなこんなちっぽけな私が、このコトバを書き続けている。
    無為自然で七ヶ月だ。
    心配してくれているひとも居てくれた。
    あいつはもうだめだと、見捨てていくひとが多かった。
    そんな中でも、今、ここで私は生きている。
    Cさんが、半年ぶりに「飲もう」と言ってくれた。
    嬉しかったなぁ。忘れられていなかった。こうして飲みにまで誘ってくれた。
    この修羅の道で生きていると、確かにダルマと共に生きているはずなのに、
    さまざまなひとの想いの中で翻弄されてしまうのだ。
    迷惑ばかりかけてきた、私だった。
    それでも、仏様は言うのだ。「自分自身に拠りなさい」と。
    ここに在る。でも、まだまだ私には分からないのだ。

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