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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2014/02/09 07:22:01

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    自然は、故郷だね

    昨夜、小千谷の師匠であるSさんと電話で話した。
    以前は毎日のように語り合ったものだったが、
    最近は、休日の夜に電話をすることが多くなった。

    がっこうの森づくりについての講演会のための準備を、Sさんはしていた。
    20年間もかかわった森づくりから学んだことを、どう伝えるか。
    学問としてではなく、体験し、感動した者としての言葉を探していた。
    私は、いつもいつもSさんから教えてもらうことばかりだった。
    それは、Sさんと話すことで、私の中にあった何かが目覚めるからだった。

    実は、Sさんと自然のことを語り合いながら、私は気づきをいつも発見した。
    変な表現だが、やっぱり私の中に在ったものに気づき、
    そうだったのかと、教えられるから発見だ。
    昨日もそんな話だった。

    学者さんたちは、学問にするために、その存在を証明する必要があった。
    それは、説明であり、理論であり、思想でもある。
    つまり、学者さんたちが使う言葉は、その範囲から外には出られない。
    それは、ある意味ではとても限定された、常識の範囲だからだ。

    しかし、感ずることは、存在していることは、そのちっぽけな範囲を超越している。
    在るということが優先で、説明する言葉は、その存在には追いつけない。
    言葉は、在るものを限定してしまう。
    それが、表現としての言葉の限界であるかもしれない。

    だから、感じられたものを、表現するためには、それに適した表現にすればよい。
    それが、私にとっては、物語だった。
    私たちは、死んだ人たちの想いを語り継ぐことが使命なんだ。
    その魂が、生きている私たちに語りたい言葉を、その微かな声を聴きとり、
    その言葉を純粋に表現することが、物語の使命でもあった。

    それは、時には歌であり、踊りであり、楽器の演奏であり、
    絵画であり、演劇であり、映像であるかもしれない。
    その魂の琴線に触れた音や色や言葉を感じて、この世に表すことが、
    それを感じた者の役割なんだと私は思う。

    「キビタシノ森」は、縄文の想いを語り継ぐための演劇だった。
    その劇に登場したガンネとゾマイによって、観客は縄文の時代に飛翔したはずだ。
    自然の想いとは、この地球が誕生してから、今日まで変わらぬ想いだ。
    自然は移り変わるものだが、その本質はいつも変わらずにここに在る。
    雪は、降っていた。
    海は、轟いていた。
    川は、滔々と流れていた。
    空は、青く輝いていた。
    森は、鬱蒼として茂っていた。
    いのちは、いのちを繋ぎながら、決して絶えることなく生きてきた。

    さてさて、やっぱり学ぶのは私たち人であって、
    その師とは、やっぱり太古より変わらずに存在する自然なんだ。
    人を見るから、私に迷う。
    人を見ることは、もうやめよう。
    私のいのちの故郷である母なる自然に、その故郷に還ればいい。
    そうすれば、きっと迷うこともなくなるだろう。

    Sさんと語り合っていると、いつもその原点にたどり着く。
    Sさんも私を心配していてくれる人だった。
    そして、自然と人とに共通する原点、故郷とは、「優しさ」であると、二人は考える。

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