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from: クマさんさん
2014/05/01 06:41:18
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山の下祭り
29日に山の下祭りがあった。
前日の宵宮には会議のために参加できなかったが、
本祭りには参加しようと思っていた。
張り切りすぎたのか、おっちょこちょいなのか、
8時に集合場所に行っても、太鼓も人もいなかった。
おいてかれたのかと冷や汗だったが、
私が集合時刻を間違っていただけだった。
10時30分、そこには懐かしい人たちが集まっていた。
諸事情から、2年くらいこの祭りから離れていたたろうか。
しかし、行けばそのまま一番太鼓の担当になり、
太鼓を気持ちよく叩くことができた。
祭りがあるから、出会える人たちがいる。
ありがたいものだった。
子供たちに太鼓を教えてから12~3年たつだろうか。
長男や次男が小学生だった頃が懐かしい。
ああ、時は好きでいき、みんな老いたものだとつくづく感じた。
この祭りに参加し始めた頃、よく先輩たちに叱られた。
怒鳴られた。
いやはやおっかないものだと、大人の集まりにどぎまぎしたものだった。
祭りを手伝うようになったから、まちで知り合いが増えた。
子どもたちも中学生、高校生、大学生、社会人と大人になっていった。
そんな子どもたちの成長と、まちの大人たちの老いていく姿をここでは観ている。
「年取ったなぁ」と、その人を見て感ずると、
そのひとりが私自身なのだと気づかされる。
「ちょっときてみた」と、友人から説教された。
「しっかりしねとだめらよ」と、その言葉は身に染みて、ありがたいものだった。
「クマさん、元気そうで嬉しいは」とは、若手の神輿の担ぎ手だった。
「ブロク見ています」と、やっぱりここでも励まされた。
人は、人の中で育つものだ。
祭りとは、そうした育つ環境を私と子どもたちとに与えてくれた。
祭りとかかわるということは、人かかわり、地域社会に参加することだ。
地域の一員としての居場所は、祭りに参加した人たちには存在していた。
「太鼓を組めるようになったよ」と、笑顔で語る若手が眩しかった。
みんなこの祭りが好きで、楽しみにしている仲間たちなんだ。
山の下にはそんな祭りがある。
そのことがとてもとてもありがたく感じた。
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