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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2014/07/06 16:54:23

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    自然を食べることの自然な生活

    やっぱりお金なんだろうか。
    さっき原信に買い物に行った。
    ビールや野菜や魚、刺身、焼肉を買ったら、4600円だった。
    そうだよな、行くたびに4~5千円の出費だった。
    だから、買い物には極力行かないようにしているが、
    食べるからにはそうはいかないのだ。

    佐渡の旅館の親父さんが、
    早朝の漁港で漁船の親父から直接魚を買っていた。
    野菜については、近くの農家から安く仕入れているそうである。
    素材そのものが新鮮でうますぎるので、
    余計な調理も必要ないくらいだ。
    贅沢なことを言わなければ、食っていくことはできるのだ。
    しかし、町の暮らしでは、やっぱり貨幣経済が優先なのだ。

    我が家のプランタ菜園では、時々きゅうりとなすの収穫がある。
    キャベツはやっと芯が丸く固くなり、枝豆に小さな豆ができたてきた。
    これでは食っていくわけにはいかないが、
    この野菜たちを育てながら、やっぱり日々の贅沢な暮らしぶりを考えてしまった。
    食べるなら、あるものであるものの良さを生かして調理すればそれでいいんだと。

    強清水の清水荘で食べた梅干がとても旨かった。
    なんと言うか甘い梅干なんだ。
    すっぱいものが苦手な私が、梅干を生まれて初めて旨いと思って食べていた。
    帰りがけに親父さんに聞くと、女将さんの手作りなのだそうだ。
    そう言えば玄関にざるに山のように梅が入っていたなぁ。
    「お客さんから好評で、よく送ってくれと言われるよ」とのこと。
    手作りで食べたいものは加工しているのだ。

    そうだったなぁ。
    我が家の亡くなった祖母は、貧乏の子沢山(男1名女9名)だったから、
    とにかく自分で食べたいものは大量に作っていたものだった。
    葡萄酒はカメに大量に入れたぶどうをもんで、それを漉しながら一升瓶に何本も造った。
    笹団子は時期になるといっぱいのきに吊るされた。
    柿もそうだった。必ずさわしてダンボール箱に入れていた。
    吊るして甘柿にもしたものだった。
    味噌は親戚一同が集まり、これまた大量の大豆を煮て、作ったものだった。
    年末行事は、やっぱり親戚全部が集まっての餅つきだった。

    そうなんだ。
    あるものを食べる。
    旬なものを旬に食べる。
    保存したり、後で食べるための加工は自分でやった。
    梅の時期には、やっぱりざるいっぱいの梅を天日干ししていたものだ。

    そのそれぞれの家独自の食文化を通して、
    私たちは年寄りや親たちの愛情を食べることで感じてきたのだと、改めて想った。

    佐渡には、そんな金では決して買えないものがふんだんに残されている。
    金で買えるものは、その価値でしかないが、
    金では買えないものこそ、本当に値打ちのあるものではないだろうか。
    佐渡の食文化は、海と川と里山と田んぼと畑が育てた伝統的な文化なんだ。

    スーパーで買い物をすると、ふと佐渡の食べ物が懐かしくなってしまった。
    そんなことを考えているのは、私だけなのだろうか。

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