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from: クマドンさん
2014/10/13 08:36:17
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走りぬいた私という私
走るって何だろう。
どうして私は走るに向かうのだろう。
確かに走っている最中は苦しく、辛く、そしてからっぽなのだが、
その走りの中で走っている自分を離れたままで見つめていると、
ここで走っている私は、どうして走っているのかと、不思議に想った。
ここまで走りこんできた自信はなかった。
スタンドでも独りだった。
ウォームアップする仲間もいない。
それでも、晴天のお日様を浴びて、スタンドの椅子に腰かけて出発を待った。
体が重かった。次々とゆっくりだが後続の人たちに抜かれて行った。
スピードは、この体には期待できなかった。
もはや自分の体でありながら、自分のものではないような違和感を感じた。
「おいおい、オーバーペースだよ。」
声をかけるが、やっぱり少々負けたくないのか、前走の女性について走る。
萬代橋をこんなはずではなかったと後悔しながら下ってきたら、
「クマさん、がんばれ」と、声がかかった。
あっTさんだ。そう感じたとたんに、体と心に確かに何かの変化が起こった。
声援とは、そんなすごい力があるものだ。
私は、手を挙げて右に曲がった。
そこから、「20分間走っていたら、調子がでるはずだ」と、自分に言い聞かせた。
走ることは、対話だった。
目の前に軽快な足取りで走る、中年の女性がいた。
鍛えられたいい走りだった。正確に同じペースを刻んでいた。
私は、その駆けていくジョギングシューズのテンポを見つめながら、
そのテンポとリズムとに同調していく私を感じた。
きっちりと1㌔6分間の走りだった。
それは、彼女が長い長いトレーニングで会得した感覚だと感じた。
60分を切れるのか。いや、60分をめざしてもいいかも。でね、できるのか。
体重80キロ、そろそろ左膝と右の太ももが痛む距離だった。
5キロを超えた。確か30分より前だったと思う。
このまま行けたら、50分台も夢ではないと思ったとたんに、
県庁前で失速してしまった。
しかし、ここで落ちたら、
そのままずるずると落ちて行ってしまうことが、目に見えていた。
これが走るの岐路だった。まさに踏ん張りどころなんだ。
平成大橋をゆっくりと足の痛みをチェックしながら登った。
若い家族連れの声援や、老人夫妻の声援があった。
それが何だかスロモーションの遠い世界から発信されたような感覚だった。
私は、信濃川の上を、私として走っているのだろうか。
ただ、タイムは私に対して、「切れる位置にある」と伝えてくれた。
後は、やるか、落ちるかのどっちしかなかった。
116号を集団が左に折れて行く。
私はコースを記憶違いしていたようだ。
「えっ、関屋分水を渡らないの」
やすらぎ堤下のアスファルトだった。
ゴールまで後2.5キロ。時計は、残り12分だった。
「ペースを上げれば、間に合うはずだ」と、私は私に言い聞かせた。
壊れるかもしれないよ、でもそのリスクは今の私には必要だよ。
この距離を残して、このタイムは予想外のタイムだよ、チャンスだよ。
膝を壊したら。心肺停止になったら。倒れてしまったら。どうする。どうする。
いや、それでもやっぱりここで落ちたら、きっと後悔するよ。
まず、行けるところまで、いってみないか。
そうだなぁ、ここが踏ん張りどころかな。
抜かれていたばかりの私は、ここから抜き手となって、
ランナーの隙間を縫って、スピードをあげた。
「うっ、うっ、うっ」と、声にもならないいつもの唸りで、
前を行くランナーの背後に迫り、そのランナーを後ろに置き去る。
競技場までの距離が縮まらない。
残り1キロ。6分を割っていた。つまり、5分ペースで走らなければ間に合わない。
あの水色の土管を渡す鉄橋が近づいて来た。
競技場は後少し。呼吸で胸が張り裂けそうだった。
それでも、腕を振った。トラックに入った。
フィニッシュは、第四コーナーだった。残りの直線百数十メートル。
25秒前。ああ、もう少しなんだ。もう少しで60分を切れるんだ。
しかし、その道半ばで無情なアナウンスが聞こえた。
あと、数十メートルだったのに、
「只今9時になりました。スタートから1時間です」と。
それでも、やっぱり最後はと猛然とダッシュした。
息が続かず、苦しくて苦しくて苦しくて、
喜びより倒れそうな自分を支えることがやっとだった。
「終わった。」
私は、よたよたとしながらランナーの流れに従いトラックを歩いた。
「終わるために、必死で走る。」
後続のランナーが次々とトラックに入って来る。
みんなも終わるために、懸命にスパートをしていた。
私は、私の膝やふくらはぎや太ももに心から感謝した。
そして、ゴールを目指して唸りながら走っている時、
思いがけずに「クマさん、頑張って」と、親子の声で大声援がかかった。
私は、そこで息を確かに吹き返した。
だから、Tさんと、その親子に、私は心から感謝した。
支えられていることの、応援されていることの、ありがたさだ。
私は、思い出した。
スタート地点で、独り集団の中で待っている時、
両手で優しく、愛おしく、この両足の膝を撫で、
ふくらはぎとふとももをなでたことを。
「頼むな。走ってくれよ。」
走るって何だろう。
この疲労感の中で、この記録を書いている。
走っている自分が居た。
そこには、やっぱりもう一人の自分もいた。
走ることとは、そのもう一人の自分との対話だった。
その自分とは、とても優しく、愛おしく、走っている自分に語り掛けている。
「大丈夫だよ。やれるさ。きっとやれるよ。」
そして、声援が力になることを実感できるのは、
最も自分が痛み、苦しみ、力尽きようとする瞬間だった。
力は生まれるものだ。
そんな自分を見たくなって、人は走るのではないだろうか。
走りぬいた私も、私なのだから。
コメント: 全1件
from: wakaさん
2014/11/04 11:36:41
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私は第一回からしばらく連続出場しました。
もうダメです。体力・気力の両方がXです。
素晴らしいね!
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