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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2014/11/17 06:28:27

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    目には見えない。声も聴こえない。

    とにかく、今朝を迎える。

    またまたすごい夢の中だった。
    突然ヘリコプターが登場した。
    山の仲間がそれに乗って来たのだそうだ。
    もう一人の仲間を探していたら、堤防で釣りをしていた。
    「そうか、釣りも彼の趣味なのか」と、羨ましく想った。
    「クマさん、元気?」と、同じ山の仲間である彼の妻に聞かれた。
    私は、自分が今どこに居るのかも分からなかった。

    夢の中では、そんなこんなで荒唐無稽な状況設定で会話はしている。
    そして、目が覚めると、ぽつんとしていて寂しさがじわっと湧いてくる。
    新聞を待ち、新聞を丹念に丹念に読んでいる。

    何から始めたらいいだろうか。
    まだ雨の音はしない。
    風も穏やかで、曇り空の空気は少し冷たかった。
    とにかく、こうやって朝を迎えた。
    いつもと変わらぬ朝だった。
    この生活は、これでいいのだろうかと、ふと考えてしまう。

    漢字の成り立ちという記事が出ていた。
    「さんずい」と「にすい」の違いだ。
    「さんずい」は「水」で、「にすい」は「氷」なのだそうだ。
    「寒い」にも「冬」にも「にすい」があるのは、その意味からだった。

    最近、ずっと心から離れない漢字がある。
    「蝶」という漢字だ。
    ギリシャ語で蝶を「プシューケ」と呼ぶそうだ。
    その意味は「たましい」であり「霊」だった。
    言葉とは、存在しないものには創られないものだと思っている。
    この世界で言葉で表されているものは、
    例え目には見えなくても、確かに存在するものなのだ。

    アウシュビッツの収容所の壁に、
    死にゆくユダヤ人たちが、無数の蝶の絵を描いているという。
    私は、この蝶と言う漢字のつくりがとても気になっている。
    パソコンでは打てないが、「葉」の草冠がない文字である。
    分析すると、それは「世」と「木」に分かれる。
    「草冠」は、私の勝手な解釈によると、
    私たちのほんの身近な生活の中にそれがあるとの表現だ。

    あの世ということばがあるのだから、あの世は存在する。
    そして、あの世とこの世とは不連続ではなく、
    こことそことは一体の世界で、
    ただ空気が目には見えないように、
    この世的な感覚では認識できないだけなんだ。

    どうして人は、祈るのだろうか。
    どうして人は、死者に語り掛けるのだろうか。
    私は、母にはよくよく語り掛ける。
    それは、ここに母がいると想うからではないだろうか。
    「チーン、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、阿弥陀様にお願いする私。

    しかし、その沈黙の存在であるあの世の人たちと、
    この限りある不条理で変化ばかりを繰り返す不確かな人生を生きている私とは、
    でも、やっぱりどこかで繋がっているはずである。
    その表れが、この漢字だった。

    木は、花は、野草は、海は、空は、雲は、風は、朝日は、夕日は、月は、星は、
    みんなみんな無声の声で私にいつも語り掛けてくれている。
    その無声の声を聴けるのは、私が虫のようにして独りでそこに居るからだ。
    私が、虫や獣のように独り自然の中でたそがれる時、
    私はそこに向かって祈り、語り掛け、
    そこに抱かれ、受け入れられることで安心する。

    だから、聴きなさいと、
    「言葉」という漢字が私にそうした態度を教えてくれる。
    私が青虫を何十匹と捕まえ、空の水槽で蛹として育てているのも、
    「蝶」になるその瞬間を見たいからだ。

    あの荒唐無稽な展開をする夢の世界だって存在するのではないだろうか。
    人は、あまりにも見えるものや、触れるものや、数えられるもの等ばかりに、
    執着しすぎているのではないだろうか。

    これからは、どれだけ見えないものが見え、聴こえない声を聴き、
    数えられない無数の在るものを実感として感じていくことが、
    やっぱり大事な生き方ではないかと、私は想っている。

    それは、私が言うのではなく、
    「言葉」がちゃんと今も、この瞬間も語り掛けているのだから、
    ただその言葉に聴き従えばそれでいいんだ。
    確かにそれができなくて悩むが、
    それが本来のこの人生における修業なんだなぁ。

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