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from: クマドンさん
2014/12/12 06:05:23
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途中の会は、考える冒険者だ
そんなこんなが多くて、
何ともどう生きて行ったらよいのか分からなくなってしまうこともある。
あれもこれもと考えると、途方に暮れたりする。
しかし、悩まないことだ。悩まないで考えなさい。
池田晶子さんの本を毎朝読んで教えられている。
「君が真理なんだ。しっかりと思い出すために、しっかり感じ、考えるんだ。」
「14歳からの哲学」の最後にそう書かれてあった。
この本は不思議な本で、読んでいる間は分かっているつもりになるが、
本を閉じると、読まなかったかのように全てを忘れてしまう本だった。
生きることに答えはない。
その答えを探し求める冒険が生きるということであり、問うということだ。
私は、その答えを求めているが、答えはこれだと言って表せるものではないんだ。
では、何も答えはないかと言うとそうではなかった。
答えは、ここに、この私にあると、彼女は私を指さして教えてくれる。
存在するもの全てが、在るということは、不思議なものだ。
その不思議なものの中の1つが「私」だった。
だから、私はその不思議さにおいて、
雲や、風や、空や、海や、森や、川や、生きとし生けるいのちや、宇宙や、
そのさまざまな存在と同じいのちが私だった。
何だか言葉が遠いような気がするが、
その一つである私は、既に私がこの世に生まれる前からの私であり、
私がこの世を去った後の私でもある。
その私は、いつまでも永遠に消えない私であり、連続する私である。
そして、それは絶対的に個であるが、そのままで全部である私でもある。
「絶対矛盾的自己同一」なままで、私は私のままを生きればいい。
、
しかし、現実の私は、さまざまなる悩みに追い込まれ、
そのちっぽけな悩める存在としての私で生きるばかりだった。
その渦中にあることで、どうどうめぐりの迷いは生まれる。
本当は全てのことを忘れ、全てのことを捨てて、
「謎」と自覚して、大きな私のことを信じて進めばいいだけなんだ。
小さな私が勝手に悩んで、大きな私の存在を忘れさせてしまっているんだ。
ところが、この大きな私はお日様や月のように、
私がその存在すら忘れていても、けっして無くなりはしない。
そして、それと同じものである大きな私も、
私の中に、いや、私の周りに、私の傍らに、いつも居る存在なんだ。
その私が、私を見ている。
その私が、私に語り掛けている。
その私が、私を好きだと言ってくれている。
孤独の中で対話していた相手とは、その大きな私だった。
と言うか、大きな私の方が小さな私を孤独にして、
私の心に微かな細やかな声で呼びかけてくれたんだ。
この私を見る、「私」
この私に語り掛けてくる、「私」
それは、私である「主人公」であり、「真面目」な「私」だった。
こんな風に、考えれば考えるほど、どこに行くのか分からない旅となる。
それは、私探しの旅でもあった。
「考える人生をあえて選ぶなら、君は冒険者だ。」
「永遠の謎に挑む冒険者になるんだ。」
池田晶子さんは、中学生にそう語っている。
コメント: 全1件
from: wakaさん
2014/12/29 12:35:12
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池田さんを新潟にお呼びしましょう
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