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from: クマさんさん
2015/01/27 22:24:03
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父との触れ合い
父親の頭を撫でたことがあるだろうか。
父親の手を握り、愛しく感じたことがあるだろうか。
父親のやせ細った顔を撫でて、「大丈夫、大丈夫」と言ったことがあるだろうか。
まさかとは思っていたが、私はそうやって父と微かなコミュニケーションをとって来た。
触れることができることのありがたさだった。
手応えょ感ずることのできる喜びでもあった。
父からの反応は無くても、私が心で語ることはでた。
その時、何を言ったらいいかは、分かっていた。
「大丈夫、大丈夫」それだけだった。
これは小学4年生の国語の教科書に載っている物語だった。
死に逝く人に言える言葉はないかもしれない。
でも、でも、「大丈夫、大丈夫」は、少しは心強い言葉ではないかと、
この物語を読んでから、私は想うようになった。
夕食の時間に、私は病院に駆けつけた。
それは、父が独りで食事をとることがとても難しくなったからだった。
鼻に酸素の管を付け、車椅子にシートベルトで縛られながら、
父は夕食に向かっていた。
しかし、想うようにスプーンで口に運べず、こぼすこともたびたびだった。
看護師さんは、何人も担当しながら本当に忙しく、親身に、一人一人に対応してくれている。
ただし、それには限界は必ずあった。
父に食事を食べさせるためには、私がここにいてスプーンをもたなければならないのだ。
本当は完全介護だから、その必要はなく、
夕食時に食事を食べさせている家族は私だけだった。
でも、食べてもらいたいから、ここに私はいる。
それは何だろうか。
ただそうしたいから、そうするだけだ。
白髪の背広姿の57歳の私が、84歳の父に「アーん」と言ってスプーンで食べさせている。
腎臓が不全となった父は、とにかく喉が渇くから、
お茶や水を呑もうとする。
それでも、食べてもらわなければ生きて行く力は無くなるから、
私はスプーンで食事を口に運ぶ。
その時の感触だけが、今も私には想い出される。
毎日のように通ってよかった。
それは、親不幸な息子の単なる自己満足に過ぎないかもしれない。
でも、私はあの時刻になると、病院のエレベーターにの乗って、父のところに駆けつけた。
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