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from: クマドンさん
2015/09/25 06:18:07
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日々、生きるの修業
さてさて、雨になった。
本日弥彦山登山だったのに、これでは中止となることだろう。
日々、私たちの生活は予想もできないことで満ちている。
「思い通り」になることなんか、あるのだろうか。
みんな想定外の出来事ばかりのような気がする。
だから、そんなものだとわきまえて、
ただ日々を淡々と生きられたら幸いだと、最近は思っている。
とにかくも本日はこうして我が家で朝を迎えられたではないか。
こといった大病もなく、メタボを気にしつつも、今日は生きられる。
家事は、私の楽しみとして、自ら進んで淡々とこなす。
四時起きは、日中の睡魔にこたえるが、
それでも、この出勤前の3時間は、それなりに充実して過ごしている。
雨の日は、コーヒーを飲みながら新聞を丹念に読む。
朝食の準備と、洗濯物の片づけと、洗濯物を干すことは終わった。
さっきゴミ出しにも行って来た。
そんな当たり前の日常を、淡々とこだわりなく通過させることは、
日々を生きて行く極意でもあるかもしれない。
「どうして私が」とは、思わなくてよいのだ。
ここに洗濯物あらば、行ってその洗濯物を洗濯機に入れ、
ここにゴミあらば、そのゴミをゴミ袋に入れて、捨てに行き、
ここに埃があらば、その埃を箒ではいて、ちり取りにいれ、
ここに乾いた洗濯物あらば、それを取り込み、たたんでしまう。
それをすーっとこだわりなくやり遂げると、
何だか心がすっかり落ち着き、心の中まで整理整頓ができるようだった。
ただ、目の前にあることに、そのまんま、淡々と、あるがままに、
こだわらず、苦にもしないで、向かうことだった。
そこに少しでも損得や自分ばっかりが入ってしまうと、
同じことをやっていても心が終始乱れるものだった。
時には、腹を立てていたりする自分に気付く。
それでは、やっている意味も価値もないというものだった。
あるシスターが若かりし時に、老いたシスターから叱られた話だ。
彼女は修道院での何十枚と言う食器を洗うことをとても苦にしていたそうだ。
その仕事がいやでいやでたまらなかったことは、その老子スターにも感じられた。
「あなたは、その皿を一枚一枚どんな気持ちで洗っているのですか。」
「あなたは、その仕事を自分にさせられている仕事だと思っていませんか。」
「あなたに言います。今日からこの皿で食べる人一人一人の幸福を願って、
その一枚一枚の皿を洗いなさい。」
「きっとそうすれば、その仕事はあなたに喜びをもたらすはずです。」
さて、感謝しつつ日々を生きよ。
その気持ちは、この年になって初めて少しずつ分かって来たような気がする。
まだ自分の思い通りにならないと、腹を立てている内は、
その「生きるの修業」は、始まったばかりのようなのだ。-
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