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from: クマドンさん
2015/11/10 06:19:11
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人生は予兆に満ちている
どうにもならない私がここに居る。
本当にどうしてこんなになってしまうのか、
自分のことで呆れたり、途方に暮れることが多くなった。
何でそうなるの。
そんな呟きをしてしまうことの多い私。
これが、年を取るということなんだろうなぁ。
だから、何でとは思わないことにする。
そういうこともあるさ。
そんなことばかりなのさと、諦める。
年を取るということは、この諦めるが多くなることなのか。
昨日は、携帯と財布とを忘れて仕事に行った。
そのことに気付いたのは、泰平橋の渋滞の最中だ。
無一文だ。
まったくそのことに気付かないでそこまで車で走っていた。
今朝、燃えるゴミなんだと、黄色いごみ袋に台所のごみをまとめた。
まだ出るかもと思い、口を縛らなかった。
すると起きて来た妻が、
「何でごみ袋に入れたん」と、怪訝な声で聞いて来た。
だって、今日は・・・・、「あっ」火曜日か・・・・。
我が地域は、燃えるごみの収集日が水曜日だった。
そんなことにも気づかないでここに生きている。
またまた、こうして書いていたら、すごい数のあれはムクドリなのだろうか。
何万羽という大集団で、押し寄せて来た。
電線にそれが一斉に止まった様は、何だかぞっとするぐらい恐ろしいものだった。
あの鳥たちの集団移動は、きっと何かを伝える予兆なのだと思っている。
そう言えばあの時の、あのことは・・・・である。
この数万羽の群れの声を聴きながら、それは何かと考える。
そして、私の老いへの予兆もそうした意味で、
きっと何かを私に知らせようとしているに違いない。
私は、ただそれを受け入れるのみである。
今、目がしょぼしょぼとして開けにくい。
それは、昨夜映画を観ながら号泣していたからだ。
「八日目の蝉」
愛する親の気持ちの深さと哀しさとを、これだけ描いた映画はあっただろうか。
とにかく、誘拐犯の母親とその女の子の小豆島での生活がいいんだなぁ。
そして、現実に生きる成人した彼女が、その自分を探す旅がまたまたいいんだ。
人は、やっぱり愛されて生きて来た。
そして、子どもがそこに居てくれたことで、
親は生きるの喜びも感動も希望も幸せも味わうことができたんだ。
まず、幼い子どもを育てている母親たちには必見の映画だ。
それは母親の無償で無垢な愛を描いた傑作だった。
声を出して泣いていた私。
本当に涙もろくなってしまったものだ。
これもまた老いの予兆なのだと自覚している。
ああ、この涙目で瞼がはれたまま、どうやって一日を過ごそうか・・・・。
コメント: 全40件
from: せみさん
2015/12/28 13:03:56
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クマドンさんのメッセージです。
「退屈な生活」
病院での生活は、何もしない時間を許されている。向かいの人は、痛みもあり、まだ歩くこともままならないので、ずっとベッドの上でテレビを観たり、本を読んだりして過ごしている。私もそうだった。1日の時間の流れが緩やかすぎて、耐えられないこともある。しかし、考えてみたら贅沢な生活かもしれない。
午前中は、医師の来るのを待ち、それから、1階の売店に降りて、飲み物や新聞を買う。このベッドでの生活のわずかな変化、気晴らしが買い物だった。ベッドの上に新聞を広げ、丹念に記事を読む。昨日の皇后杯は惜しかったと、改めて悔しさが込み上げる。
午前中はテレビを観ないことにしている。それは、作り手がテレビから離れないように巧みに番組を作っているから、一度観てしまうと、途中から離れられないからだった。いつの間にか時間がどんどんぼーっとしながら過ぎて行く。だから、スイッチを切り、場所を変える。
12階の展望室でラジオで音楽を聴いたり、本を読んだりする。ここからは、関屋方面の市街地を見下ろし、海と佐渡、角田山、弥彦山もよく見える。いつもなら、海や山に行き、空を見て風に吹かれているだけで満たされるのだが、私は久しく外の風には吹かれていない。それでもこうして生きている。
退屈は、贅沢かもしれません。でも、私からすると、仕事をしたり、家事をしたり、映画にいったり、自転車に乗ったり、買い物にでかけたり、そんな入院前の当たり前の生活こそ、自由な生活だったのだと、ここから街を見下ろしてそう思う。
みんなは、しようと思ったら、することができる。私は、しようと思ってもできないことばかりだ。
でも、同じ1日の時間は平等に与えられている。だからと言って、次々に予定を入れてあくせくすることはない。
何もしない。退屈な時間。ぼんやりと、ただぼーっとする時間も、私たちには必要なのではなかったかと、ベッドでの1日を過ごしているとそう思うことがある。
まだお腹には管が3本入っている。塗った部分の腹の筋肉がおかしな具合に固まってかちかちになっている。体は元には戻らないだろう。でも、こうして午前を終えようとしている生き方も、ひとつの生き方で、別に焦ることも、悔やむこともなく、そんなひもあると、ささやかな何かを見つけて、よかったねと言ってやれたら、それでいいのではないだろうか。
私には、人にとってはどうでもよく、意味のないこうした言葉を紡いでいることは、やっぱり喜びなのだと、改めて、この何もない生活で知ることもできた。
さて、お昼の時刻だ、病室に戻ろう。
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from: せみさん
2015/12/28 09:36:26
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10キロ痩せたクマドンさん・・・楽しみです。
クマドンさんのメッセージです。
「退院前日の朝」
さて、明日29日に退院となった。「まさか」ばかりの人生だが、本当にこの入院だけは予想すらしなかった。これもある病院での手術の失敗のおかげさまだった。その結果、この病院で一命をとりとめ、今がある。
だからというわけではないが、この病院での今日までの再生生活のプロセスで、私はとても大事なことを学んだ気がする。
今朝も髭を剃りながら、人はしょせん独りであり、孤独なものなのだと、鏡を見ながら何の気なしにそう思った。
人とは、独りで生きられるようになるための修行を自分の人生でしているのではないだろうか。確かに、独りは寂しいが、だからと言って逃げ出したり、誰かをすぐに頼ろうとしなくなった。独りで立つ。それが、私の課題だったのだ。
次に受け入れるということだ。私は病院の売店と12階のラウンジとレストランだけが行ける場所だった。見舞いの人たちが羨ましくもあった。私には、その自由はなかった。しかし、不自由であるからこそ、分かることがあった。何事も体験しないと分からないものだ。それは、当たり前のありがたさだ。
お世話になるばかりだ。看護師さんたちの親身になっての献身には感謝するばかりだ。仕事とはかくあるものだ。自分を無にして夜中でも笑顔での対応だ。そこには、働く人の生き甲斐が感じられた。誰かのためになり、ありがとうをいつも言われる仕事。事に対して専心して仕える。マインドフルネスな仕事ぶり。学んだ。学んだ。
受け入れるとは、意味を感ずることだった。人生たとえどんな事が起ころうとも、その事は少なくとも、今、ここの、私にとって意味あることだった。それでは、意味とは何だろうか。それは、神や天からの、あなたはそれでいいんだよという慈悲なのかもしれないと思った。見捨てられていない。あなたを私は見守っていてくれる。意味を悟るとは、その眼差しを信じることだ。
同室の3人の方は、70~80代の人たちだった。手術してから三日目の人はまだ食事はできない。明日、私と同じ日に退院する人は五回も入院しているらしい。隣のおじいさんは緊急入院だ。けれど、みんなはこの年代まである役割を成し遂げ、大きな責任を果たして来た人たちだろう。後は、夫婦で向き合って、余生を生きる。
しかし、私は58才。これから果たすべき仕事と責任とがまだまだたくさん残されている。その時だ。きっと私は、入院前の私と違う私で、それと向かい、そのプロセスを楽しみながら、今、ここを、独自なやり方で生きていくのだと思っている。
我が身に降りかかった運命を受け入れるということは、自分で自分のことをそのまんまでいいと好きになることのようだった。
ずいぶんちっぽけになったなぁ、と思う。実際に10キロ痩せて、体が小さくなった。
小さくなると、あるがままの自分に還れる。退院前日の朝、そんなことを考えていた。
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from: せみさん
2015/12/27 13:04:18
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「混沌の時代を生きる」
さて、後2日ここで朝を迎えると帰宅になる。ここから見下ろす街の景色や空と海ともお別れだ。
その人の立場に立たないとその人の痛みや苦しみは分からない。
体験しなければ、気付かないのが人なんだ。
そして、人は生きる意味を求め、意味をいつも探し求めている存在である。
私は、入院してから、何の役にもたたない、人のお世話になってしか生きていけない立場に立たされて、その事を実感した。
しかし、そのおかげで、私が普段の生活の中で個人的な営みを繰り返しながら、決して目を向けたり、気付くことのなかった、ある意味では、弱者であり、差別を受けている人であり、格差の底辺の人であり、障害のある人であり、病人であり、マイノリティの人たちのことについて想うことができたことは幸いだった。
私は、その立場に立たされたことで、その人の痛みと辛さとをやっと少しは分かるようになった。
いかに自己中心に、傲慢に生きてきたことか。いろいろなものを失ってみて、そのことに気付くこともできた。
こうして自分のことを振り返って、見つめ直す機会がなかったか。たとえあったとしてもそれに気付かずに見過ごして来たのだろうと思った。
どう生きたらよいのだろうか。それは、生きているみんなが思うことだろう。しかし、その答えはこうなのだと断定できる答えはないのだ。いや、その答えを「今、ここ、私は」で問われ、行動で応えて行くことが、生きることの意味なのだとも私は知った。
私が可能なことは今日、このメッセージを書き終わったら何をするか決めることだし、それを確実に実行することだ。
実に単純で明解だった。ただし、その選択において、私が道を踏み外すことがなく、人としての道を歩むための選択であることを祈りながら生きる。
選択と決断と実行と考察。その瞬時の積み重ねの中に生きる意味は存在している。人がそれぞれの立場で人らしく在ることで、その人は生きている意味を初めて深く実感できる。
入院は、フランクルではないが、ある意味強制的に収容されたようなものだった。私は、活動の自由は奪われ、そこから先の未来も予測できない状況だった。そして、そうなってやっと分かったのは、私と同じ病人の気持ちだった。
健康な時、全く考えないことだった。いつ回復するのか分からない状況では、障害について考えた。その障害は、生きている間、生涯に渡って続くものだと。障害には、回復も退院もなかった。
そこで思ったことは、看護師さんたちの日々の姿だった。声をかけ、励まし、支え、いつも見守り、待機している「献身」だった。
人は、献身という生き方で生きていくことができる。私は、私のことばかり考えていた。私は、私さえよければいいと思っていた。しかし、その生き方こそ、人としての道から外れた生き方なのだとは、健康で、思い通りに生きている限り、気付かないで終わる生き方だった。
苦悩こそ意味がある。挫折や時には絶望こそ生きる意味がある。なぜなら、そこに至って初めて人は、社会の中で沈んでいるからこそ見えないマイノリティの存在に気づき、その人たちは自分だったのだと分かるからだ。
弱さと悲しみは、人を繋げる。そこに至って初めて「共感」と「同情」が生まれる。彼は、私だ。彼女は、私だ。ではどうする。どう生きる。深く深く沈まない限り、人と人との共感的な理解は生まれない。分かち合うことができないからだ。
分かち合うためには、私にはこの手術と入院生活が必要だった。つまり、体験した痛みや苦しみからしか、私は本当に学べなかった。それが、よく分かった。
人の痛みを分かるために、その人の履いている靴を履きなさい。
今、大人も子どももみんな必要な生き方とは、これではないだろうか。その人になる。すると、奪うのではなく、与えるの意味が理解され、実践されるのだろう。求めるのではなく、捧げるという生き方。持たないという生き方。恩を送るていう生き方。自分はいらないという生き方。自分を無にする生き方。
そんな生き方の幸いに、きっと目覚めるのだと私は思った。
これが「サンデーモーニング」のテーマであった「混沌」への私が今、考えている答えだった。
入院は、私にそのことを気づかせるための学校であったようだ。
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from: せみさん
2015/12/26 09:05:06
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メールのコピペもカウントダウン?
クマドンさんのメッセージです。
「内面的な充実を味わう」
この病院生活も後4日となった。退院までの時間をカウントダウンできる日が来ようとは、ICUの時には想像もできなかった。
しかし、こうして自立的な生活になり、ここにメッセージを書けるようになってから、やっと3週間くらいだろうか。点滴から解放されてやっと数日だった。
朝、4時に起きて「明日への言葉」5時からはストレッチに座禅。6時からは食堂でメールとバロック。7時からは、散歩してから髭を剃る。7時半から朝食を食べ、片付けたら、歯を磨いて、薬を飲む。一休みしたら、こうしてその日のメッセージを書いている。
その生活を続けた。そのリズムを繰り返した。いつも同じ。今日はやめようはなしにした。
午前中は図書室から借りた本を読んだ。五木寛之、池田晶子、フランクル等、久しぶりの出会いだった。気分転換にはラジオでクラッシックを聴く。やはり、病院生活にはモーッアルとが慰めだった。
そして、自分を見詰めて考える。この手術と入院生活の意味は何かと。こうした運命は、私にとって必然だった。おかげでずいぶんちっぽけになり、その分、いかに傲慢に生きていたかがよく分かった。
「求めない」と言う生き方。それがこれからの私の生き方なのだと知った。
何も出来ず、何もないかもしれない入院生活だが、私にはありがたいほど豊かな生活に感じられる。
これは確かに与えられた苦悩かもしれないが、受け入れた試練だと思うことにしている。その時、その時の今が、私に問うている。だから、その1つ1つに具体的な行動で応えて来た。
頭で何で自分ばかりとか、どうしてこんなことにとか、これからどうなるのだろうとか、勝手に悩まないことにした。
だから、どうすると問われたら、こうしますと応えて行動するだけだ。
午後1時からは映画を観ている。感動でみっともなくも涙が止まらないこともある。そこでまた心と魂とか深められる。昨夜は、「奇跡の人」を観た。真実の物語だった。
フランクルは書いていた。「人生の意味を実現する三つの道とは」と。
1 何かを行うこと。
活動、創造、仕事
2 何かを体験すること。
自然、芸術、愛
3 どんな運命も自分に課せられた「十字架」として引き受けること。
ただの退屈な入院生活だと、人は思い、同情するだろう。しかし、随所に主となることで、何だかとても内面的に充実化した時間を過ごせたことは、幸せだった。
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from: せみさん
2015/12/25 12:57:07
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入院中のクマドンさんのメッセージです。
大分元気になって来たようですね。
「フランクルの言葉1」
今日は、ただフランクルの言葉だけを、ここに記そうと思う。それは、私がこれからの人生を生きるために立ち返る原点であるからだ。
「それでも人生にイエスと言う」この本が病院の図書室にあったことを感謝する。この出会いも、私が生きる意味だった。生きるとは、日々の気付きであり、学びなんだ。
生きることに意味があるから、苦悩することにも意味があります。
苦悩もそれが必然であるならば、意味をもつ可能性があります。
まったく具体的な問いが人生から私たちに出されます。
人生はたえず意味を実現するなんらかの可能性を提供しています。
人生はいつも意味をもつことが可能です。
人生のルールは、けっして戦いを放棄しないことを求めているはずです。
私たちの存在が、まさに責任存在だという裏には死があるのです。
苦難と死こそが、人生を意味あるものにする。
ひとりひとりの人生が一回切りだ。
私たちの人生は燃え尽き、残されるものは実現されたものがもっている効力だけです。
私たちのさまざまなあり方は不完全であるからこそ、唯一のものになる。
もし私がそれをしなければ、誰がするだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、私は何であろうか。そして、もし私がしなければ、いつするのだろう。 ヒレル
生きるとは、問われていること、答えること、自分自身の人生に責任をもつことである。
生きることは、いつでも課せられた仕事なのです。
生きることは困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があることは明らかです。
宗教的な人は、人生は神が課した使命だと知って生きているのです。
人生はそれ自体が何かであるのではなく、人生は何かをする機会である。
私はやっと自分の人生が何か分かりました。私の人生は、もっといい人間になるために、特別に猶予してもらっているものだったのです。80才のおばあさん。
あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。人間は決して目的のための手段とされてはならない。 カント
何かを行うこと、何かに耐えることのどちらかで高められないような事象はない。 ゲーテ
それが可能なら運命を変える。それが不可能なら進んで運命を引き受ける。
変えることのできるものを変えるだけの勇気を与えたまえ。
変えることのできないものを受け入れられるだけの冷静さを与えたまえ。
変えることができるもの、変えることができないものを識別するだけの知恵を与えたまえ、
ニーバーの祈り
私は人生にまだ何を期待できるかを問うことはありません。今はもう人生は私に何を期待しているか問うだけです。
入院して、この苦難には必ず意味があるのだと思っていた私。人は意識存在であり責任存在であると、フランクルは教えてくれた。
人生が私に問うている。この言葉の意味が長年分からずフランクルからの宿題だったが、私はこの病院のベッドの上で、人生には意味があるということをやっぱり体験を通して学ぶことができた。
アウシュビッツから生還したフランクルの言葉は、やはり真実だった。
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from: せみさん
2015/12/24 11:22:23
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クマドンさんのメッセージです。
「体験だね」
分かるとはどういうことなのか。分からない人と言われている私にとっては、分かるとはこの人生を生きるための大事な課題だ。
人の気持ちが分からない。それは、自分中心に生き、感じているからなのかもしれない。分かるとは、分かち合えるということだから、相手の立場に立って相手の気持ちにならなければ、その辛さや哀しさは、分かち合うことはできないだろう。
私は、入院の経験がなかった。手術も初めてだった。術後がこんなに辛いものかということが、実は、やっと今回の体験で分かった。
入院生活もそうだった。私と同じように入院している人がたくさんこの病院にはいる。今日、向かいのベッドの60代の男性はこれから手術なので今、手術室に向かった。隣の70代の男性は腸の痛みを訴えての緊急入院の人。斜め向かいの人は、術後の経過が思わしくなく、熱が下がらず苦しんでいる。みんな、私が体験したことだった。
話しはしないが、分かち合える。だから、分かると言える。今、ふと思ったけど、「経験」と「体験」とはどう違うのだろうか。経験で分かると、体験で分かるとは、分かるの質や度合いは違うものなのだろうか。誰か知っていたら、教えてほしい。
確かに、私は自分で体験するまでは、手術も痛みも入院生活も分からなかった。もし、この体験がなかったら、今でもきっと分からない人だったと思う。
そして、分かるということは、天からの恵みであり、あるべきようにある時、正に青天の霹靂の如く、がーんと雷が鳴り、もの凄い体験をさせらせて、分からせられるのだ。
それが、よく分かった。
個人的な体験が深まれば深まるほどそれは普遍的な体験となる。
しかし、その普遍性に至るためには、その青天の霹靂を嘆き、怒り、恨むのではなく、ありがたく受け入れ、その雷の意味を考える態度が大事だと思った。
それは、手術、入院だけでなく、毎日の生活の中での些細な出来事や体験も同じだった。
体験には、必ずある意味が託されている。その意味や物語をどう読み解いて、分かち合うのか。生きるとは、その連続なのではないだろうか。
今、ここにある意味を考える。ああ、そうだったんだと腑に落ちる。その小さな体験の繰り返ししか、分からない人である私を、分かる人にはできないようだ。
分かる人になりたい。分かる人になろう。そのための修行が今なんだ。
こんなどうにもならない男が、そう思えるようになれただけでも、やっぱりこの貴重な体験は天の恵みであったと感謝する。
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from: せみさん
2015/12/23 09:25:53
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クマドンさんのメッセージです。
「病院の1日」
病院生活は、忍耐と諦めの連続なのかもです。点滴から解放された私を見て、「いつの間にそんなに身軽になったんですか」と、久しぶりの看護師さんに驚かされた。男子刮目して見よではないが、知らず知らず、私は回復を遂げてるらしい。だから、絶対に治っているんだという想いも大事なことと感じた。
退屈な単調なベッドの上での1日の生活だ。朝は、5時に起きて暗い中でのストレッチと瞑想。6時には、食堂に行きバロックを聴きながら、家族にメール。返事はない。それから、病棟を一周。今朝は、五頭山に昇る朝日を拝めた。
病室に返ると、洗面台で顔を洗い、カミソリで髭を剃る。さっぱりすると、7時30分から朝食が配られる。長い祈りをしてから頂く。その後は、歯みがきをして薬を飲む。
単調であるから、尚更、この生活リズムを守ろうと努力する。そうするとさせられてる入院生活から、自分で意識をもって生きている入院生活になる。
それでも、どうにもならない時がある。気がおかしくなりそうな時もある。そんな時は、12階の展望ラウンジで雲や空を見る。箱庭のような街を俯瞰する。するとそのゆったりとした流れにたそがれていると、自然と気持ちが落ち着くところに落ち着いてくれる。
13時からBSで映画を観る。「雨月物語」「近松物語」観たい映画がない時は、DVDで映画を観る。「点の記」「ライムライト」それが終わると、コーヒーを飲みに行く。退屈な時間の中にも楽しみな時間は確保する。映画で生かされて来た私だ。再び、生き方の原点に戻ることができる。
寝た切りの時は天井や窓の外の景色を見て、ため息をつくばかりだったが、回復するにつれて、自由がきくようになる。それに対応した生活に改善していく。毎日のシャワーがそれだった。どこかで気分転換を意識して図る。
するともう6時の夕食だ。病院生活の一番の楽しみは食事だった。禁食の後の最初の食事には涙が止まらなかった。感謝を忘れないことだ。テレビは消す。黙って、噛み締めて食べる。食材1つ1つが身に染みる。体になる。
夜は読書だ。映画がある日は映画三昧。9時に消灯だ。イアホンを着けて映画の世界に浸る。土曜日は寅さんだった。昨夜は「プレステージ」眠られない辛さより、11時頃まで起きて、自然な眠気を誘うようにしている。眠剤からは手をひいた。
夜中に3度は起きる。時刻を見てがっかりすることもある。
たったこれだけの生活だった。しかし、こんなにも自分自身を見つめることもこれまでの忙しい生活にはなかったことだ。ならば、逃げずに、正面から自分を見つめよう。すると、何だか謝罪と後悔ばかりのような気がして悲しくもなった。
人は、なるようにしかならない。そのことを受け入れ、そこでじたばたしないで静かに生活する。すると、不思議に自分が見えて来る。それも、愚かしい自分が。ああ、そうだな。なるようにして、今の自分がここに居るんだなぁ。ずいぶんちっぽけな私だった。退院したら、山に登るぞ。そう想うと、痛みの今も感謝に変わる。人は、分からないものある。でも、その立場、状況に置かれると、やっと何かに気付き、分かる人になる。それだけ愚かに生きていても忙しさの中では、これでいいと気付かない。入院とは、市井の山居。修行の場だった。
7時10分、五頭山からオレンジの朝日が昇った。私は手を合わせて祈った。
そんな病院の今日が始まった。
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from: せみさん
2015/12/22 12:40:22
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クマドンさんのメッセージです。
「サクリファイ」
さて、医師から退院と言う言葉が出た。あの日、手術の後、これからどうなるのかと途方に暮れていた時には、この日が来るとは想像もできなかった。
自然治癒力とでも言うのだろうか、体は私の体を維持しようと懸命に甦生の為に私が意識しなくても、眠っている間にも闘ってくれていた。
改めて、命の不思議さをこの私の体を通して感ずることができた。と言うことは、私はまだここで生きていてよいということなのだろう。
しかし、その治癒力はただ自然に任せるばかりでは素直に働いてはくれないようだ。あのフランクルが語っているように、アウシュビッツで生き残った人たちは、小さな喜びやささやかな感動を感じた人たちだそうである。
つまり、そうした極限状態に置かれた場合、そこに耐え、忍び、生き抜くためには、ここを抜けてきっとよくなるんだという希望と、そうした状況に置かれている意味とを理解することが大切な生き方だということだ。
後悔はしない。運命を憎まない。自分を責めない。誰も憎まない。ただここ、今を静かに受け入れる。
しかし、人はそんなには強くないものだ。私は、妻の励ましでどれだけ助けられたか分からない。本当に苦しいと、死にたくもなるものだ。そんな夜に来てくれて、手を握ってもらうだけでも癒された。ほっとした。長男の「父さん、大丈夫」その一言がじーんとしたものだった。
そして、日々この病室での何よりの力と励ましとは、看護師さんたちの献身的な働きだった。
個室の頃、何も出来ない男だった。両手に点滴、八本の腹の管。トイレの度にナースコールだった。支えながら便器の前に立つと、紙パンツを下ろしてもらった。ふらふらになりまたナースコール。ベッドにやっと横になっても体を動かせないので、みんなお願いしてやってもらった。
熱は38度から何日も下がらなかったから、氷枕と両脇にアイスノンだった。夜中に何度替えてもらったことか。痛みがひどいときはピンポイントの痛み止。点滴の交換はどれだけお世話になったことか。それも真夜中や、朝方だった。
それなのに、いつも笑顔だ。「大丈夫ですか。」「痛みはどうですか。」私の体を気遣ってくれて、優しい言葉をかけてくれる。熱が少し下がれば「よかったですね」と喜んでくれる。
こちらは助けてもらうばかりなのに、もっとそんな私のことを気遣い、労ってくれる。
それは、献身という生き方のリアルな姿だった。私の体の回復を願い、守ってくれる人たちがいる。私の体は、その真心に力を得て、応えようと、治癒力を発揮した。
そうしたかかわりの中で、達成された体の回復なのだと思う。ありがたいなぁと心から思う。
サクリファイと言う。こうして死から復活し、多くの人によって生かされた私にとって、これからの生き方は、これに尽きるのではないだろうか。
それが、私の恩送りになるに違いないと思っている。
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from: せみさん
2015/12/21 14:34:02
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クマドンさんのメッセージです。
「意味を考える」
昨日、初めての外出だった。丁度切腹手術から1ヶ月だった。よくぞ回復したものだ。これも日頃体力を鍛えた賜物と思っている。
ところが、朝から腹痛が続いた。冷えなのか、へその横に刺すような痛みだ。看護師に言ったら、無理しないでと言われた。それでも行くのだと支度した。
お腹には傷口からの膿をとるためのガーゼが分厚く貼られている。ジーパンをはき、シャツを着るだけで息が切れ、難儀だった。何でもないことが、大変だった。やっと着替えたら、ぐっと落ち込み、イライラとした。
この体、元には戻らないのではないだろうか。みんなは楽しい日曜日であろう。私は着替えて、途方に暮れていた。
腹の具合を心配しながら、一階で妻の到着を待っていた。しかし、到着しても車から降りては来ない。何と本日2時開演の第九のチケットを玄関に置き忘れたそうだ。1時20分。病院から、自宅まで20分はかかる、それからりゅうとまでも20分だ。間に合う訳はなかった。
しかし、せっかくの外出なのだと、一緒に車に乗ってトライすることにした。絶対間に合うはずはない。無理なのだと思いながら、りゅうと大橋を渡るとき後15分だった。
ところがどうだろう。私が会場に入り、席に着く時5分前のアナウンスだった。何が起こったのか自分でも分からなかった。間に合うはずはなかったのに…。
第九は合唱が素晴らしかった。ブラボーと声を出した。ヒョンちゃんがその中に居たことが分かった。
アンコールが素晴らしかった。シベリウスの「フィンランデア」大好きな曲だった。実は、前夜TVで映画「ダイハード2」を観た。この曲がクライマックスに流れる。今朝もFMで聴いた。縁だなぁと思った。落ち込む入院中の私への何よりの応援曲だった。
特にコンサートでは合唱つきだった。天上の神の声の響きだった。涙が止まらなくなってしまった。ブラボー二回目。感動だった。
さて、何でこんなことを書いたかだ。それは、振り返ってみたら、意味は必ずあるということを伝えたかったからだ。
このコンサートは入院した段階で諦めていた。ところが驚異的回復で外出許可までもらえた。
絶体絶命の危機でも、諦めずにトライしたら5分前に席に着いていた。今でもそれは信じられないことだ。
そして、ベートーベンだ。彼がこの第九を作曲している頃は晩年で、聴覚を失いかけている時だった。その中で天からの啓示のようにして音楽を託され、合唱付きで作曲したのがこの傑作だ。
それから、シベリウスだ。合唱付きでのこの曲の美しさは一生ものだった。
つまり、腹の痛みと下痢とに耐えて、やっとたどり着いたコンサートこそ、神が私に聴かせたかった音楽なのだ。
千人以上のあの会場で、病院の腕輪を着けたお客はきっと私独りだったと思う。私は、途中具合が悪くならず、最後まで聴けたことを感謝した。
私は独りだが、ベートーベンも、シベリウスも、そんな私を励ますために、このコンサートに招待してくれた。
私はそう思っている。これが、私だけの昨日のコンサートの意味だった。人生に意味ないものはないのかもしれない。私は、そう確信できた。
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from: せみさん
2015/12/20 10:27:30
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クマドンさんのメッセージです。
「無常迅速だよ」
この病院に転院し、手術を受けてから丁度1ヶ月になった。手術に際しては、回復までには、何ヵ月かかかりますと、主治医から妻は言われた。そのつもりでの覚悟を持ってこの療養に望んだ。
私の場合は、病気が見つかり、それを治すための予定された手術ではなく、胆菅の炎症から行ったら手術の失敗により、予期せぬ大手術となったわけだ。未だに、何故ここに私が居るのか、分からなくなることがある。
それは、事故と同じだった。人生は、突然変わることもある。ついさっきまで何事もなく生きていた人が、ほんの一瞬の後に、命すら奪われていることもある。そんな危うさと、不確かさ。つまり、無常迅速こそ、人生の真の姿だということだろう。
私は、痛みと切なさの中で、1ヶ月ずっと面会謝絶にしてきた。親戚のおばたちが、お見舞いに来たいと要ってくれたが、今はまだ会えないとお断りした。あの日、あの頃を想うと遠い昔のことのようだが、発熱と痛みと不眠の中でよく生きていたものと思う。
人には、会いたくなかった。余計な説明もしたくなかった。気を使って応対も難儀だった。本当は病人とはそうなのではないだろうか。
ところが、痛みが強く、不安と孤独の中に居る時は、誰かに手を握ってもらっていたくなるのだった。不思議なんだけれど、手を握ってもらうだけで、痛みが和らぎ、安心する。
背中をさすってもらったり、その痛みを自分の痛みとして感じてもらうだけでも和らいでいく。
病人は深い深い孤独感と不安感の中に居る。それは、すぐには癒されず、ずっとずっと続くものだった。お見舞いに来てもらえることはありがたい。しかし、お見舞いでは、癒されないものがある。
当たり前の話だ。私は、四人部屋の同室の人たちとも話をしていない。そんなことに気を使ったり、愛想を言ったりするゆとりが全くないからだ。だから、黙って独りで1日を過ごしている。
わがままだなぁと思われているかもしれない。しかし、独りをこの入院生活で感じながら、「嫌われる勇気」をかえって持てるようになったようだ。
無常迅速。あれもこれも。あの人もこの人もと言ってられる時間もあまり残されてはいない。ならば、これだけは。と思って生きたらよいのではと、考えている。
病人はわがままにもなるもんだなぁ。
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from: せみさん
2015/12/19 10:20:52
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クマドンさんのメッセージです。
「ラジオ深夜便」
眠るということは、とても大切なことだとよく分かった。健康な時、眠られないということはなかった。頭を枕に着けた瞬間に爆睡だった。夜中に目覚めてトイレに行くこともなく、ノムとノンレムを繰り返し深い睡眠を経て朝を向かえた。4時起きだから、慢性的な寝不足でもあった。ただ、眠られないことで悩むことはなかった。
ICUからだった。傷の痛みが酷く、体も全く動かせず、精神的に追い込まれ、緊張感もあったのか、三日間眠れなかった。
今思い出しても怖くなるが、眠いというか、眠気がなく、ただ頭だけがらんらんとぎらぎらと緊張して目覚めているのだ。この状態は異常だった。
まず、睡眠の導入でつまづいていた。眠気がどんなものだったか分からなくなってしまった。目は閉じるのだが、意識は高揚したまま。時間を気にしても、まだ11時過ぎたばかりだったりしるとパニックになってしまう。
夜中の2時に眠ることを諦め落語をラジオで聴いていたり、起き出して夜景に向かって独り、不眠についての抗議を声に出して訴えていたりする。
ナースコールで来てもらい、眠剤をもらったり、ピンポイントで痛み止めを打ってもらったりした。それでも目がらんらんと冴え、眠るどころかどんどん興奮が高まってしまった時は、泣きたいくらい孤独だった。
ある夜、私はうなされながらに、まざまざと幻覚を見続けた。それは恐ろしい光景ばかりだった。モルヒネのおかげなのだろう。
私は、3時過ぎると眠ることを諦めて、ラジオをつけた。「ラジオ深夜便」だった。そして、それを聴くことに落ち着くと、日本中の何十万人という眠れぬ孤独なお年寄りや、同じように病のために眠れない人たちと繋がるのだった。
この番組のことは五木寛之さんの本を読んで知っていた。そんな真夜中に、そんなラジオ番組を聴く人なんて居るのだろうか。私は、この番組が成り立つことが不思議だった。
しかし、今は違う。もし、眠れないことがあったら、この番組を聴こう。いいじゃないか、眠れない夜もあるさ。そして、そう焦り、苦しんでいるのは、私だけではないよ。そう思えるようになった。
ラジオ深夜便は、どれだけの孤独を癒し、慰めているのだろうか。年寄になると昼夜逆転する人も多いらしい。人はしょせん独りだな。そう深く思わさせられるのは独り眠られぬ夜だ。たとえ、隣に家族が寝ていても、看護師さんが起きていても、眠れないのは私独りなのだ。
生きるも独り。死ぬも独り。眠るも独り。ただ、それには耐えられないから、そこで癒しと慰めとを求める。
この入院生活での発見の1つは、このラジオ深夜便の存在だった。
孤独なる魂には、たとえラジオであろうと語りかけてくれる友が必要だった。体の痛みや、絶飲食よりも、魂の孤独は人にとって耐えられない痛みなのかもしれないなぁと、つくづく感じた。
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from: せみさん
2015/12/18 12:44:15
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「その人の靴を履く」
歩けなかった。歩くどころか、体の向きすら変えられなかった。それが、個室に入って二日目から歩かせられた。傷が痛み、難儀で難儀で、足をすりながら、10mほどやっとだった。
それから、毎日距離と回数とを延ばしながらトレーニングを始めた。東西病棟の一往復で200mくらいだろうか。最初は途中休み休みだったが、自立した今は1日6往復している。歩くと分かるが、歩くのは全身運動だった。
歩くためのリハビリをしながらいつも思うことは、見舞いに来た人たちの何でもできる素晴らしさだった。
歩くのは当たり前。重い荷物を持って歩くこともできる。この人たちは、このまま病院を出れば何でもできる。
映画に行く。買い物に行く。バスに乗る。レストランでカツカレーを食べられる。これはみんな私にはできないことで、この人たちには当たり前にしている日常生活だった。
私は、それを羨ましいと思う前に、私もそうだった頃、そうした生活ができることをありがたいことだと感じていなかったことに、気付くことができた。
実は、当たり前の日常生活とは、とてもありがたいことだったのだ。歩ける。見られる。聞こえる。話せる。食べられる。だから、何も不便を感じないで生活をしてこれた。
ラジオ深夜便4時「明日への言葉」を聴いている。ある点字図書館の館長さんのお話を聴いて、はたと思った。
私は「障害」という言葉が好きではない。どうしてこんな害という言葉でくくってしまうのだろうと思うからだった。しかし、今日話を聴きながら、「障害」とは、ハンディキャップのある人たちがこの社会の中で日常生活を送ることがとても困難である。困っている。つまり、「生活するのに障害のある人たち」と考えたら、この言葉でもいいのではないかと気付いた。
当たり前が出来ない。だから、手助けと支援が必要なんだ。インクルーシブはこの社会において実現しなければならないと思う。そのためには、当たり前に生活できる人たちが、ハンディキャップを持ち、社会生活に困り感を持っている人たちに、もっと気軽に「何かお手伝いすることはありませんか」と、声をかけ、手を差し出すことが必要だ。
その人たちの立場になって、私は初めて「障害」という言葉の意味を分かった気がした。優しくされたら、誰でも嬉しいんだ。
その人の気持ちになりたかったら、その人の靴を履きなさい。まさに、今の私はハンディキャップがある人たちの靴を履いて生きている。それは、私の人生にとってはありがたいことなのかもしれないと思った。
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from: せみさん
2015/12/17 12:08:14
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人生は、時間だ
あの時、ボールを取りに行かないで、パンチングを選択していたら…。広島の林はそう思ったかもしれない。ただその選択は瞬時のことだ。
先のことは誰にも分からない。人生は「まさか」の連続ではないだろうか。だから、いくら先のことを思い悩んでも意味がない。それは、どうなるのかは誰にも分からないからだ。
また、あの時、こうすればよかったのに。どうしてああしてしまったのかと、くよくよ思い悩んでも、これも全く意味のないことだ。
悔やんだ分だけ、やり直すことができて、結果が変わるのならば大いに嘆き悲しめばよい。しかし、そんなことは無駄なのだと考えたら、それをよき反省材料として、さらりと忘れることだ。
「悩むな。考えろ。」池田晶子さんの言葉だ。それは、サッカーの試合のようなものだ、目の前にボールはいつも生き物のようにしてすごいスピードで転がっている。来たボールを瞬時に何処へ転がすか。生きるとは、今、このボールをどうするか、それだけではないだろうか。
「人生は、時間です。」ある70代の女性彫金家の話だ。「結果を出せと言うけれど、本当に大切なことは生きている時間をどう楽しむか。そのプロセスだと私は思います。」
病院での生活はその自由な時間に満ちている。その時間、時間をどう過ごすかで1日の気分は全然違う。このボールはキープするのか、パスするのか。いつも「いかに生きるか、考える」ことが生きるということらしい。
過去は悔やまず。未来を悩まず。ただ今を生きて、考え、楽しむことだ。
これも今回の手術で学んだことだった。医療ミスによる大手術。胆嚢を摘出され、苦痛と熱の中で耐えていた。1ヶ月以上の入院となる。こうなるとは、発作を起こす前日までには予想もできないことだった。
だから、「何で。どうして。」とは嘆かない。「これからどうなる。」と余計な心配もしない。サッカーの試合のようにやってみなければ分からないからだ。
まさに、「まさか」に満ちた人生だっだ。では、そんな不条理で無常で、予測不可能な人生をどう生きたらよいのだろうか。
案外、それを考えるためにたった一度切りの人生はあるのかもしれないと思えるようになった。
そう思えるようになって、心が少し落ち着いた。私の人生は既に後半の30分を越えて、ゲームの終盤を迎えているはずだ。残りの時間をどう使うか。それがこれからの私の課題だ。
最後に、日本のサッカーの実力を世界に示した広島に深い敬意を表する。
生きるとは、まさにサッカーのガチンコ勝負の最中なんだ。そのプロセスを楽しもう。
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from: せみさん
2015/12/16 09:13:37
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すっきりクマドンさんのメッセージです。
「独りに落ち着く」
昨日は1ヶ月ぶりにシャワーを浴びた。鏡で我が腹を初めて見た。みぞおちの下から、へその上まで真一文字に切られていた。この傷とは一生のお付き合いだ。洗髪し、体を洗った。全部独りの作業だ。当たり前だが、独りで出来るから許されたのだろう。
夕食後から何だか寒気がした。背中がやけにすうすうとする。風邪でもひいたのかと心配して何度も体温を測る。平熱だった。後から気付いたのだが、長い期間積もり積もった垢が洗われたので、素肌が寒さを感じたのだと思った。その寒気にも独り耐えていた。
そしたら、0時頃から、腹が痛くなってしまった。うたた寝をして冷えてしまったためらしい。鈍痛と傷がうずき、何とも眠られぬ状況になった。こうなったら諦めるしかない。
看護師さんが優しく声をかけてくれた。痛み止をするまでもなかった。後は、薄暗いベッドで仰向けになり、独りその痛みに耐えるだけ。1時、2時となっても、うたた寝も出来なかった。独りなんだなぁ。こんな時、深い孤独感を感じる。
独りなんだと、入院してからよく思う。だから、焦ったり、人を求めたりもしなくなった。独りとは、生きている人にとって最も落ち着く深い深い底なのかもしれない。
痛くても独り。動けなくても独り。動けても独り。その独りを受け入れ、諦め、そこに徹する時、心の落ち着きを初めて得れるようだった。
日本語の意味は深いといつも思う。底まで深く落ちて、底に到着することで、初めて「落ち着く」のだ。
途中であたふたともがいていたから、私はきっと独りになれなかったのだと思う。
市井の山居。そんな状況は、感謝すべき修行の場でもあるのだった。
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from: せみさん
2015/12/15 09:03:11
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クマドンさんのメッセージです。
「食事について」
24日間絶飲食だった。口から食べ物どころか、水すら飲めなかった。全部栄養と水分とは点滴で賄っていた。不思議なもので、痛みと難儀な生活の中では、何か食べ物を食べたいという欲求が湧いて来ない。
我慢していると言うより、そうしていることが自然な常態だった。しかし、液体の栄養だけではこの人の体を維持し、傷を負った部分を修復するには限界があるようだ。
やっぱり人は、食物を口から食べることで生きて働く力となる。食事と書く意味は、食べることが大事であるという意味だと思う。口から食べられないと、人はそれだけで弱るものだ。
初めて食事が解禁された日。「クマさん、どうぞ」とトレーがテーブルに乗せられた。三分粥、味噌汁、含め煮、豆腐、デザート、ミルミルだった。私は思わず拝んでいた。それも一分以上、神様に感謝の祈りをつぶやきながら。
おそるおそるひとさじ粥を口に入れてみた。懐かしい重湯の味だった。煮物の魚を噛む。ゆっくり味わうために、目をつむって噛んだ。こんな味がするのか。
私は、ひとさじひとさじ食べながら、熱い涙が止まらなくなってしまった。食べることのこんなに深い感動は、生まれて初めてだったかもしれない。
なんのことはないその献立の食べ物が、一口一口ありがたく、感謝だった。
この命がわたしのいのちを創ってくれる。それは、私にとってはとても深い気付きだった。食べ物と向き合う。大事なことをずっと忘れていたことに気付かされた。
無いとは、あることのありがたさを気づかせてくれるチャンスだ。長期の絶飲食は私に食べることの意味を教えてくれた。
それ以来食事の前と後には手を合わせて感謝の祈りをする。テレビを消して、黙って食物を噛み締める。何度も噛むことで語り合える。そして、その命の1つ1つが私の体となって変化していく。
食事とは自分が自分であるために大事な自分を創造する営みなのだ。
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from: せみさん
2015/12/14 09:23:23
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クマドンさんのメッセージです。
「何でも因果応報なんだ」
喫煙者の諸君、なかなか辛い報告をしよう。実は、喫煙している人のタンは次々と喉の奥に生まれ、これを取ることが本当に難儀なものだということだ。
ICUの寝たきりの時は、看護師さんにお願いして人工呼吸器から吸引してもらうが、これが体をそらすほど苦痛だった。タンは取りたし、痛みは嫌だし。しかし、息が辛く、肺炎を起こすとなると取らねばならない。
自力でタンを出す時も大変な苦痛だ。咳をしてタンを出すのだが、その小さな咳の度に手術した腹に激痛が走り、のけぞってしまった。
看護師さんから、枕で腹を押さえて咳をすると少しは痛みが和らぐと聞いてやってみたら、なかなかの効果だった。
「どうしてタンばかりでるのだろう」と聞くと、「クマさん、タバコ吸ってるろ」とのこと。「10年前に辞めたよ」「やめても同じらんて、喫煙してる人なんかもっと苦しむよ」だそうだ。
あれがあるからこれがある。因果はかくもリアルなんだ。喫煙者の皆さまお覚悟あれ。あれは、本当に切ないよ。次々だからね。
因果と言えば、病気になると、それまで健康だった頃の生活ととてもリンクしていることがよく分かる。
今朝、医師が来て、腹の管を一本抜いて行った。順調な回復。それは、医師の予想を越えていた。なぜ回復の速度が速いのか。それは、日頃私が運動して体力を鍛えていたからだ。山に登り、ジョギングや自転車で汗を流していたからだ。これもリアルな因果だった。
もう1つは規則正しい生活と食事だった。4時起きを習慣にしていた。好き嫌いなく何でも食べた。その因果もこの病院生活ではリアルだった。
為して来たように成る。やっぱり普段の生活の1つ1つが大切だった。意識して毎日の生活を見直すことが、いざという時の、リアルな原因になる。
喫煙者の皆さま、たばこ税も上げられますよ。そろそろお金を煙にして肺を汚染する生活から脱出して、いざということにならないように、よき原因を作ることを勧める。
あなたの肺は、北京の大気より汚染されているかもです。
from: せみさん
2015/12/13 11:18:47
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クマドンさんは早起きです。今朝は私も早起きでした。
クマドンさんのメッセージです。
「施無畏」
助けてもらって生きる。助けてもらわなければ何もできない。個室のベッドで寝た切りになりながら、そのことばかり考えていた。
熱が38度から下がらなかった。体が闘っている証拠だった。切ったお腹の痛みが強く、眠ることもできなかった。両腕に点滴の管。腹には8本の管。体には全く力がなく、体を起こすことも出来なかった。
その度に、ナースコールだった。すると、どんな夜中でもしばらくすると「どうしましたか。クマさん」と部屋に来てくれる。笑顔で、いつも私を気遣う言い方が嬉しかった。
「すみません、トイレに」「すみません、痛み止を」「すみません、眠剤を」
「すみません、氷枕を」
今思い出しても、どれだけナースコールをしてお願いしたことか。看護師さんは、その度に笑顔で応対し、絶対に私には気を使わさせなかった。「いつでも呼んでくださいね。」「痛みはどうですか。」そんな言葉かけが安心させる。
夜中、暗い個室で眠れない夜を過ごす孤独感は何ともも言えぬ深さがあった。家ならば、家族に甘えられもする。しかし、ここは病院だ。
そんな時、点滴を替えに来てくれた看護師さんにほっとなる。傍に誰かが居てくれるだけで心は安らぐのだ。
若くて、可愛く、美しい看護師さんばかりだ。私は、彼女たちのお父さんの年代だった。私にも娘がいたら、こんな素敵な年頃なのだ。
「菩薩」だなぁといつも想う。看護師さんたちは、患者さんたちにどれだけの布施を施してくれていることか。
笑顔。嫌な顔ひとつなく対応する。いつも相手を気遣い、優しく言葉をかける。不安や痛みを訴える患者さんの想いを受け止め、的確に応えて安心感を与える。傍らに居るだけで安堵の気持ちになる。
つまり、仏の道である「菩薩道」の生き方を実感したかったら、私のように手術を受けて、何もできない男になってみたらいい。
ここは、観音菩薩花盛りなんだ。
尽くすとは、自分を捨てることだ。そこに無があるから、なんのわだかまりがなく、すーっと優しく対応できるのだ。
「施無畏」私は、少し分かった気がした。
from: せみさん
2015/12/29 09:04:36
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退院おめでとうございます。
クマドンさんのメッセージです。
「入院生活にただ感謝」
さて、退院の朝を迎えた。年末なのに新潟の空が晴れている。この病室から見えている、角田山と弥彦山に白く雪がかかっている。40日余り、予期せぬ手術と入院生活で人生観も変わったようだ。
昨夜、私の担当看護師のKさんにお礼を言った。今日は彼が夜勤だから私とは会えずにお別れだからだ。「明日来たらクマさんいないんですね。何だか寂しいですね。」私も寂しさを感じた。
退院するためにここで療養をしていながら、いざ退院となると何か心寂しさを感じている。昨日のお昼からあらゆることはこの病院での最後のことだった。
私は病院で食べられるようになってから、毎食の前に祈ることにしてきた。この糧を感謝すると共に、まっとうに人の道を生きられるようにお守り下さいと祈るのだ。食べることと、生きることがここで繋がった。だから、噛み締める時は、米粒一粒一粒だ。
朝はいつものことをいつものようにする。決めたことは、何も考えずにそれを行う。その何気ない日常の所作に、心を充たす大切な意味があった。急がないことだ。ゆっくり、ゆったりとすることだ。こだわらないことだ。それで、心が落ち着いた。
自分を見つめる時間も大切なことだ。家に居た頃は、早朝に親父たちよを書いた。ただ言葉に想いを表すだけだが、そこで初めて気付くことが多かった。自分でありながら、やっと言葉で表現することで自分の今が分かるとでもいうのだろうか。やっぱり私は、書く人としての道を行かねばならないのだと改めて知った。
今回、腹膜炎になり緊急手術だった。医師の内視鏡手術の失敗による医療事故だ。しかし、私はこの病院の医師により命を救われた。なくしたかもしれない命を、もう一度生きていいよと、拾ってもらった命でもある。私のような人は、馬鹿だから、傲慢だから、わがままだから、一度死ななければ直らないとよく言われた。その通りになったことを、ある意味天恵だと思っている。
しかし、死ぬはずの人が猶予をもらって生きているのだから、全ての人の命とは、拾った命であり、天からの恵みなのではないだろうか。そのことに気付かず、感謝しないで生きているのが、私だった。
病院の廊下を歩くと、さまざまな病人と出会う。みなこの病院に入院している人だ。病気が癒えることを願い、一日も早い回復を待っている。その気持ちは、健康な人には決して分からないものだった。
その時、人の優しさが、温かな言葉が、思いやりが、本当に身に染みるものだった。弱っている時、何が人には必要なのかよく分かる。私は、看護師さんたちの笑顔や手当て、言葉かけにどれだけ慰められ、救われたか分からない。孤独なる存在である人には、その慰めと癒しが必要なんだ。
それから、私は病室で窓際に移動してもらった。ここから白山裏や関屋方面の市街地や松林から海と佐渡が見える。雲や青空、夕日と雨と風。自然の姿がその変化がいつも目の前だった。それは、魂の救いだった。ここが故郷であり、母でもあるのだ。この風景が癒しだった。
そして、今日のお昼にこれらの病院生活で出会えた1つ1つとお別れだった。
入院は私にとっては恵みだった。生まれ変わったことを信じている。
この入院生活の時間と食事に感謝だ。医師と看護師さんに感謝だ。この風景に感謝だ。その出会いと体験が、これからの余生の私の生き方を変えてくれたと信じている。
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