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from: クマドンさん
2016/02/23 05:40:43
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従容として、従容として
朝は、4時に起きていた。
それから、こうして親父たちよを書き、走ったものだ。
4~6キロを走り、ストレッチしてシャワーを浴びた。
出勤時刻が早いので、独りで朝食を作って食べていたこともある。
そんなストイックな生活が、とうの昔になってしまったと、ふと思った。
走らなくなったせいではないが、体重が増えている。
それはやっぱり食事と酒とが原因なのに、
そこを気付いていながら改善しないからだ。
意識して生きる。
これってとても大切な生き方だと思っている。
昨夜、友人のGさんと電話で話した。
現場だから、生きている実感を感じられるんだと、そんな話に共感だった。
彼はよくよく私のことを心配してメールや手紙をくれる。
時には、厳しく叱られたこともある。
私がどん底に陥ったら、やっぱりとても心配してくれた。
そんな友の存在は何よりもの力となった。
彼は、座禅の修業をもう30年以上?している。
水泳では、マスターの大会で入賞するタイムで泳ぐ。
10キロを40分台で走る。
夜9時からプールに行って泳ぐ男だ。
私は、彼から泳ぎを教わった。
そんな彼のまっすぐな生き方には、いつも何かを教えられるばかりだ。
彼は山形の小国町の出身で、
20代でたまたま職場が同じだったから、付き合いが始まった。
その頃から、やっぱりストイックな生き方を貫いていた。
驚異の57歳だった。
さてさて、しょせん人は、生き方なのだろうと、彼を見ていて想うことがある。
彼のように生きている人を、私は知らない、見たこともない。
時々、その場に応じて、彼から公案のような言葉が届く。
「無学」が分かる。
たった数分の電話の会話でも、お互いに言いたいことが言える気がする。
彼とは、そうした「自分」の話ができる。
彼の自分と私の自分。
「そうだよねぇ。」それがやっぱり嬉しかった。
しかし、私はこのヘルニアにより、走ることも泳ぐこともできなくなった。
私は、そうして打ち込んできたものを手放さなくてはならなくなった。
そのことがとても悔しく、辛かった時もあった。
でも、それも生き方の1つなんだと、今は静かに諦めてこれを書いている。
さて、やりたかったことを次々と手放すことで、
やっと私が分かることも多かった。
だから、私は、今、私ができることで、自分になろうと思っている。
人は、いかに生きるかを問うことも大切だが、
いかに生きているかと、小さな小さな生き方一つの選択こそ、
生きるに値する生き方なのだと、
諦めた生活の中で、私は想えるようになってきた。
今日も、従容として自分のままに生きたいと願う。-
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