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from: クマドンさん
2016/03/05 08:29:56
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さて、どうするかねぇ。
そうだよなぁ。
そういう私はどうなんだろうなぁ。
何もやっていない人生のような気もするなぁ。
昨日ショートスティのS叔母を訪ねて、ふとそう想った。
叔母には今、気力がなくなっている。
生きる張り合いとでもいうのか、希望とでもいうのか、
そうした明日につながる活力の元か枯渇しているようだった。
87歳。確かにここまでよく生きて来た人生だった。
独身のために独りで60歳まで工場で油とほこりとにまみれて働いて来た。
本家の隣に小さなおうちを建て、そこで自活して暮らしてきた。
いろいろと楽しかった思い出もあることだろう。
でも、やっぱり孤独であることからの哀しさと辛さとはあったと私は想う。
気が強く、自分の想ったことは何でも口にできる性格でもある。
だから、よくよく姉妹とは衝突したようだが、
私の母が亡くなってからは、この叔母が一番私たち家族のことを心配してくれた。
少ない年金での暮らしなのに、
その中から二人の私の息子と、この中年の私にまで小遣いをくれる。
封筒に入れ、名前を書いて、ベッドの下にいれて置き、
「今度会ったらNちゃんたちにやるよ」と、渡すことを楽しみにしていた。
その生活は実に実につましいものだった。
贅沢はしない。食べるものも切り詰める。そんな老いの独居生活。
その叔母が、突然の右手・右足の麻痺から、介護の生活へと一転した。
自立した生活ができなくなった途端、
独り暮らしの叔母は、介護認定を受け、
誰かのお世話にならなければ生きていけない生活となってしまった。
「歩ければばねぇ・・・・。」
しかし、一向に回復しない手足を見つめて、諦め、望みを失っている叔母でもあった。
私は、可哀想だと想うが、どうしてやることもできなかった。
「帰りてんさねぇ・・・・。」
私は、少しでも叔母のことをT叔母の自宅へ帰してやりたいと思っていた。
しかし、昨日、そのことが難しく、無理になってしまったことを教えてもらった。
それは、叔母を引き受けて世話をするT叔母が、
どうも認知症になっているらしいからだった。
相手の話の内容を理解できない。
不安で不安で仕方ないので、何度も何度も電話をかける。
自分で目の前の状況を判断できず、何でも人任せにしてしまう。
自分の身の回りのことや、食事にも気を配らなくなった。
さて、そのT叔母に、動けない叔母の介護は、
やっぱり無理なのだと、親戚の叔母たちの結論だったようだ。
何だかやるせないが、これが老人問題の現実だ。
いったい私たちは、どうしてこの世に生まれ、
何をするためにこんなに苦労しながら生きて来たのだろうか。
せめて、辛く哀しいことの多かった人生ならば、
尚更、この最期の時節には安心して、
ゆったりとした気持ちで暮らせないものなのだろうか。
生きることは、それだけ日々の苦労の連続であり、
その一つ一つを乗り切ることだった。
そうやってやっと87歳を迎えたわけなのに・・・・。
人の幸福とは、いったい何なんだろうかと、ふと叔母を見ていてそう想った。
今、燦々と朝日を浴びてこれを書いている。
ショートスティのベッドで叔母も同じようにこの朝日を浴びている。
なでしこの選手たちもそうだろう。
とにかく、とりあえずは、私も叔母も今日一日を生きねばならない。
叔母の心の深い深いため息と絶望とを、
この朝日が温めてくれたらいいのになぁと、想っている。
ついでに、私のことも神様にお願いをしている。-
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