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from: クマドンさん
2016/03/07 05:45:30
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ヘルニアが教えてくれたもの
「世の中には、世の中の役には立たないことをする人が、必要なのである。」
お腹のヘルニアが少しずつ膨れてきていることが分かる。
ちりちりとその端が痛む。
食事をした後は、とにかくぼんと膨らんでお腹の皮が裂けそうだ。
「罰があたったんだ」と、言われた。
「そうだなぁ」と、思う。
このヘルニアは、ある意味私にとっては生きるための先生でもある。
このお腹を抱えながら、1日1日を平静に生きる試練だ。
走ることができなくなった。
あれだけ乗っていた自転車もやめた。
すると、歩くことしかなくなった。
だから、とにかく歩ける時は、どんどん歩くことにしている。
古町・沼垂・物見山・臨港は全部歩いて回るテリトリーだ。
時間もそうだった。
何をそれまでは焦っていたのだろうか。
古町に行くためには、一時間をかけて歩けばいい。
本町から山ノ下までは歩くことが当然な距離である。
そう想ったら、歩けないところはないような気がする。
お腹がぽっこりと膨らんだこの姿に、私自身が慣れてしまった。
それは私の身体の特徴であって、障害ではない。
私はこのヘルニアだが、目に見える障害のある人たちも居る。
昨日、シネウインドに電動車いすの青年が入って来た。
彼は、その車いすでこの町の中を独りで移動していた。
私は、こんなお腹でも歩いて移動する。
ヘルニアを嘆いていては、本当に申し訳ない。
また、手術を受ける身だ。
そのことを想うと、仕方ないなぁと、自分を慰めることもある。
すると、いろいろな病人の姿が思い浮かんだ。
もし、私が癌を宣告されていたらどうなんだろう。
不治の病と言われる病に苦しんでいたらどうなんだろう。
ずっとずっとベッドで寝たきりだったらどうなんだろう。
ふと、そう想うと、何だかこのヘルニアでもよかったなぁと、想うこともある。
私は、健康であった時には、
忘れていた人たちと、この手術とヘルニアのおかげで出会えた。
叔母がそうだった。老いをベッドの中で過ごす毎日の叔母。
そうした、老いの孤独と辛さと嘆きの中で生きている人を忘れていた。
今朝も病室のベッドで朝を迎えた病の人たちのことを忘れていた。
決して治らない障害をもって生きねばならない人のことを忘れていた。
その人たちは、今、こうして、やっぱり今日も生きている。
私は、その人たちだった。
その人たちは、私だ。
そう深くで一つになれる想いとでも言うのか、
そんな気持ちで、共感し、励ましを受け、心で言葉を伝えられる。
それは、目には見えないかかわりだけれど、
人としての孤独なる深さでこそ、初めてつながるつながりだ。
これもやっぱり、ヘルニアのおかげだった。
「あと、2年は生きてみようよ。」
そんな言葉が、ふっと心に浮かんだ。ならば、やれる気がした。
「自分は、いらない。」
「これでいい。」
「今日1日だけは生きてみよう。」
今は、そんな気持ちになれたから、ちょっと自由だった。
これもヘルニアのおかげさま。
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