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from: クマドンさん
2016/03/10 05:35:51
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明日で、5年
明日が、東日本大震災があった日だ。
もう5年もたつという。
しかし、復興がいっこうに進まず、避難した人たちが故郷に戻れない。
街は姿を消し、高く盛られた広大な土地になっている。
新潟県にも避難してきた人はたくさん居る。
その人たちへのサポートも記憶も年と共にだんだん少なくなって来る。
放射能の恐ろしさを世界中の人たちが知ったのに、
原発の再稼働をしようという国だ。
放射能に汚染され、その数値が一向に下がらず、
家や田んぼや畑をそのままに、帰ることのできない人たちも大勢居る。
大津波で家族を亡くした人たちのことがニュースで出ていた。
妻と幼い子どもと母とを失くした男性の話だった。
彼は今でも仲間たちと浜辺の瓦礫を掘り、
行方不明になった人たちのご遺体を探している。
会えない限り、心の慰めにはならないからだ。
5年前の3月10日、午前5時。
みんなはみんな普段と変わらぬ朝を迎えたはずだろう。
母親は朝早く起きて家族のために朝食を作り。
父親は、夜明け前に船に乗って沖に出たかもしれない。
子どもたちは寝床の中ですやすやと眠り、
おじいさんは畑に出て仕事の段取りをしたいただろう。
原発は、静かに稼働し、海は凪であったかも知れない。
きっと誰も知らなかっただろう。
11日夕方に大地震が発生し、大津波がその街を襲って来ることを。
明日は、自分が、父や母や、妻や子どもや、親戚や友人が、
その津波の被害に遭っていのちを失ってしまうことを。
原発がメルトダウンを起こして、爆発し、放射能をまき散らすことを。
みんなは、今日の私のように当たり前の生活をきっとしていたはずだ。
生きるとは、そういうことなんだ。
この大震災で今も仮設で避難している人たちも大勢いる。
60代70代80代の人たちにとっては、
5年の歳月とはどんなに辛く孤独なことであったか、想像もできない。
静かで平安な余生を家族と共に送ろうと想っていた人たちの夢が断たれた。
明日は、誰にも分からない。
この命すら、定かではない。
無常こそ、生きることそのものだった。
私は、この身体の震災から、そのことを学ぶことが出来た。
そして、このヘルニアがあることで、
その時の辛さや哀しさを抱えながら生きねばならない人たちの、
日々の心の痛みと心の重荷がほんの少しは感じられるようになった気がする。
あの日に戻れたらなぁ。
まっさらな平坦なかって街の賑わいがあった場所に立ち、
きっと私だったらそう想うと思う。
ああ、もっとこうしてやってやれたらよかったなぁ。
亡くなった家族のことを想い、後悔を感じたかもしれない。
何だか、そんな当たり前の生き方が、
そんな当たり前の生き方を忘れて、我がままに生きていたから、
私は、自分自身の身体の震災によって、
少しはできるようになったのではないかと、今は思っている。
ここには家族が居てくれる。
安心・安全を感じられる家もある。
電気が燈り、ガスがあり、水道を捻れば水が出る。
朝食を食べたら、車で職場に向かうだろう。
朝の渋滞では、それぞれがそれぞれの仕事に向かう人たちだ。
途中、小学生や中学生が登校する姿が見える。
交差点ではオレンジジャンパーのお父さんが立ち、笑顔で声をかけている。
こうしてここから始まる1日をずっとずっと書き続けると、
それだけでただただ在り難い日常だったと、被災した人たちは想うはずだ。
もう戻らない。
もう会えない。
もう見られない。
その美しさを、私は知らず、感ぜずに生きて来た。
ここまで書いて、仏陀の最期の言葉をふと思い出した。
仏陀が息を引き取る時、弟子たちに伝えた言葉だ。
「ああ、この世は、美しい」
何だか、今、少し、その心が分かったような気がした。
ただただ亡くなった人たちのご冥福を祈る。
被災した人たちの安心・安全な生活を祈る。
そして、原発の終息と、町や村の復興を祈る。
私にできることは、忘れないことと、遠くからでも祈ることだけだった-
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