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from: クマドンさん
2016/03/21 09:59:00
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忘れて生きたいものだ
さて、本日はユナイテッドがメンズディー。
映画に行きたいなぁと想いつつも、ここに居る。
何だか二日間の湯巡りの疲れなのか、元気が出ない。
そんな時は無理をしない。
そうした切り返しが、自分でもできるようになった。
のんびりと互いに抱き合い、睦み合い、毛づくろいしている猿たち。
それもそうした生き方も、ありだなぁと想わされた。
私は、どうしてここに生きているのだろう。
生きるって、いったい何だろう。
そんなことを想うことが多くなった。
それは、私が年を取り、少し老い、少し弱り、少し無理がきかなくなったから。
そんな時に、庭のヒメオドリコソウやミミナグサやタネツケバナの野草を観る。
ふっと心が和んで、穏やかになる。
大山台の桜の樹木と語り合うこともある。
木の芽はその冬の最中にもしっかりと固く中で育っていた。
葉っぱをすっかり落とした樹木は、冬眠しつつも英気を養い、春を待つ。
そんな樹木の生き方に、そうだよなぁと教えられる。
たいしたこともなく、変わり映えもなく、昨日は何があったっけと覚えていない日々。
朝、目覚めてストレッチして、瞑想して、感謝の祈りをする。
朝食をいただき、「行って来ます」と、寝ている子どもたちに言い、
車の中で中島美嘉の歌を歌う。
こだわらず、それがいいと、ただ流れる時間に任せているだけ。
阿賀野川の土手に出ると、遠くに真っ白に輝く飯豊や五頭の峰々。
それだけでも、ほっと救われたような気持ちになる。
何かばかりを追い求めていると、この落ち着きとは出会えない。
「これでいい。」「これがいい。」
あの野草たちや樹木たちや猿たちのように生きられたら、
どんなに楽なことだろう。
休日にロングを歩く。
その時は、時間なんかを気にしないで、ただ歩く、歩く。
お日様が今出てきたので、歩きにいこうかなぁとも、今は思っている。
何もない。何もしない。何でもいい。ただここに居る。
こうして書くことは、私にとっての生きるでもあった。
「何からの自由ではなく、本当の自由とは選択することの自由なんだ。」
池田晶子さんだったけかな。
何だか、何をしたらいいのかと、焦って探し回っていた頃の選択は、
それはそれで豊かで有意義で、また寂しく虚ろで落ち込む選択でもあった。
でも、この何もしない。これでいい。の選択は、
何だかとても空っぽなんだけれど、いっぱいが溢れているような選択な気がする。
きっと独りだからそれができるのだと想う。
野草たちは野草たちの時間を何もこだわらずに過ごしている。
樹木はこの春の暖かさを全身で感じながら、喜んでいるかもしれない。
そして、咲く時に咲き、実をつける時に実をつけ、枯れる時に枯れる。
耐える時にじっと耐え、待つ時にいつまでもいつまでもただ待つ。
諦めるとか希望をもつとかということもなく、
お日様ならお日様を、
雨ならば雨、。
冷たい風なら冷たい風を感じたまま、ただそれだけの他には何も感じない。
私が目の前で観ているのは、無心なる姿と生き方で、
その無心で空っぽだから、何も考え感じていないから、いいんだなぁと想っている私。
ああ、あれをしなければ。
ああ、あんなことしなければよかった、とはもう想わないで。
ただ黙って、たそがれて、空を観る。風を感じる。ただ歩く。ただ食べる。
その「ただ」っていうことがとっても素敵なんだと、やっと思える年になった。
無理をしない。無心にある。
無とは、けっして否定的な言葉ではないなぁと、今、ふと感じた。
無と言う在り方が在る。とでも言うのだろうか。
理屈を忘れ、私の心を忘れ、何かをしなくてはを忘れ、欲しいを忘れ。
その忘れたところに、野草も樹木も猿たちも生きている。
私は、そこに還りたい。
そんな私の師が、きっとこの野草で樹木で猿たちだった。
そのことを悟らない限り、そのことが腑に落ちない限り、
やっぱり死ねないと、私は想う。-
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