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from: クマドンさん
2016/06/26 06:23:19
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「あき乃」の蕎麦としばしの別れを
どうしても食べたくなってしまう蕎麦がある。
土曜日の午後しか私にはその蕎麦と出会う機会は与えられていない。
しかし、用事があって行けない日もある。
手術までの土曜日は、予定で埋まっていた。
昨日しかなかった。
それで、私はバスに乗って本町に出かけた。
BRT開始以来、私が一番本町に通っていたりする。
人情横丁の「あき乃」に行くたびに、本町で何か買っているからだ。
とにかく、蕎麦がなくならないように事前に電話だ。
マエストロがいつも出て、歓迎してくれる。
三時半がこの店の閉店時刻だ。
それまでにその日の蕎麦を全部売り切ってしまうから、
その人気のほどはよく分かる。
私は、いつもの蕎麦焼酎を飲んで特盛の到着を待っている。
「手術まで今日が最後の蕎麦になります。」
「そうですか。大変ですね。」
「今度来るときは、回復してからなので8月になります。」
「お待ちしておりますよ。」
60代半ばだろうか、素敵で上品な女性が、
いつもそうして優しく私に声をかけ、話をしてくれる。
これも「あき乃」のご馳走の1つだ。
これが最後になるかもしれない蕎麦にまず合掌する。
そして、山のように盛り上がったてっぺんを箸でつまみ、
つゆにつけて食べ始めた。
噛むことは、蕎麦と語ることだった。
私は一口一口蕎麦を噛みしめながら、
蕎麦とのしばしの別れを惜しんだ。
それは、まさに祈りでもあった。
そんな私の気持ちを察してくれたマエストロは、
夏野菜の天ぷらを増量してくれていた。
こうした心遣いが、何よりもお客には嬉しいものだ。
「お名前を教えてくださいな」と、彼女に言われた。
そうだ、こんなにも通っていながら、私は名前を名乗っていなかった。
「クマ太郎です。」
「そうですか、珍しいお名前ですね。新潟の人ですか。」
「何だか福島から来たらしいですよ。」
私は、蕎麦との名残を惜しみながら、最後の一箸を口にした。
ざるの上にはもう蕎麦は不在だった。
この蕎麦の味を励みにして、痛みと苦しみを耐え忍ぼうと心に決めた。
治ったら、また「あき乃」の蕎麦を食べられる。
二杯目の蕎麦焼酎を飲みながら、田口ランディの広島でのエッセーを読んだ。
そして、原爆の日の夜、あの川の土手でヨー・ヨー・マがチェロを演奏した。
その演奏を聴いて、初めて祈りが自然と生まれて来たと書かれてあった。
そこには、死者が居た。そして、その死者を悼む人々の静かな祈りがあった。
祈りなんだなぁと、またまたこんなところでと思いつつも、
涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「あき乃」最後のお勘定は、恥ずかしいが涙目の私だった。
それから、私は、クラフトビールへ参戦した。
そのことは、また後で。-
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