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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

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  • from: クマドンさん

    2016/07/12 06:47:12

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    走った

    ジョグをして来た。
    またこうして走れる日が来るのだろうか。
    人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。
    長男に庭の水やりのことを伝えた。
    次男には、頼むとただそれだけだった。
    我が家のことは、この二人が何とか守ってくれることだろう。

    長男と次男とに小遣いをやった。
    これも生きているからできること。
    昨日、身辺整理に半日を過ごした。
    机の中のがらくたを整理していたら、3万円が封筒から出て来た。
    天からの贈り物。
    それは、私から長男・次男へと送りものだ。

    こうして腹を抱えて走ることも、これが最期となる。
    手術すれば、このヘルニアは一時的には引っ込むはずだ。
    よくまあ腹の皮一枚で生きている者だと呆れてしまう。

    お地蔵様にお願いをした。
    いつも人生の岐路には、このお地蔵さんが黙って眼を閉じて立っている。
    「それでいい」としか、言わない。
    私は、ご縁をいただいた。
    そのお地蔵さんとの出会いで、あの母の死を乗り切ることができたものだ。
    今は、私の手術である。

    ただ祈る。ただ祈る。
    人に出来ることはそれだけだった。
    それにしても走れなくなっている。
    また走れるのはいつなのか、
    ふと自転車に乗っている叔父さんが、
    ゴミ捨てのために歩いている叔母さんが、
    羨ましく感じた。

    何事もない平穏無事こそ、ありがたい一日なんだなぁ。

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コメント: 全19件

from: せみさん

2016/07/30 10:10:49

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「1日が始まった。さすがに昨日は点滴二本でいつものルーテーンができなかった。そうすると、身体の調子も、心の調子も今一だった。

身体を動かす。身体と共に考える。この病室でのベッド生活でもそうだった。気分転換によく病棟を一周歩いている。

Sさんがよく話すことに、身体が嬉しくなることをしようがある。晴れたら、畑に出て汗を流す。早朝は小千谷の信濃川辺りを散策する。山の幼稚園に行き、子供たちと山で遊ぶ。そうやって身体を動かしながら、身体で感じたことを言葉にしている。

そのこだわらずに、おおらかで、感謝して日々を生活している78才の生き方に、いつも教えられる。

円環運動の原点に戻りましたね。2人してよくそのことを確認して笑っている。その原点に立つと、私もSさんもいなくなる。そうですね。そうだったんですね。分かりますよ。私も同じですて。そうやって語り合える人に出会えたことの幸せだった。

独りで考える。人生、いかに生きるかを考える。ただ、立ち止まっては考えない。歩きながら考える。自分なりの体験を積み重ねながら、その意味を考える。自分に起こり、自分が出会うあらゆることには、自分なりの意味が必ず存在しているからだ。

悲しいこと、辛いこと、挫けるとも多すぎるくらいにありすぎる。しかし、確かにそのことは私を育て、私に生きるの大事なことを気づかせてくれた。

独りぼっちは自分だけでない。悲しい想いは私だけでない。挫折して、失敗したのは私だけでない。だから、私だけがと勝手に思わないことだった。

Sさんの話を聴いていると、本当に私は彼の人生を追体験しているのではないだろうかと錯覚するくらい似ているのだった。

孤独も、挫折も、絶望も、悲しみも、病も、老いも、死もある。それは、形こそ違え、生きているみんなにそれはある。いや、そうでない人は独りもいないはずだ。私は、59才になろうとして、やっとそのリアルが分かった。

若い頃は、自分だけだと、自分を攻めて否定した。辛く長く暗いトンネルだった。若者たちはみんな独り、独りのトンネルを歩いている。

ならば、その暗さで連帯できないだろうか、と私は想う。悲しみと孤独とで人は連帯できるものだ。

それを引き受け、認め、その独自な個別的なリアルの中でもがきつつ、試行錯誤しつつ、挫折の痛みを糧にして、それでもやっぱり立ち上がり、今日、1日だけでも生きてみる。

「悩むな。考えろ。」
池田晶子

病室を私は、道場と思っている。ここで私が私なりに生きられたら、身体の喜ぶ生活ができ、感謝しつつ生きられたら、それでいいと想っている。

若者は悩む。私は身体で喜ぶ。どこかで、連帯できないものかと、いつもSさんと考えている。」

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from: せみさん

2016/07/30 09:44:32

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「まだ4時前。個室でラジオを聴いている。眠られないのではないが、起きていようと酸素マスクを着けて起きている。

夕食を食べ、ニュースを観ていたら、突然みぞおちから胸にかけて締め付けらるような痛みに襲われ、横になり呻いていた。

すると、私の向かいのベッドのAさんが異変に気付いて、ナースセンターまで
走って行った。痛みに耐えながらも、看護師さんが到着するまで長い長い時間だった気がする。

呼び掛けられ、症状を聞かれても満足に言葉にならない。締め付けるような激痛が続き、ただ「助けてください」だけだった。

緊急処置をするために、ベッドごと処置室に移動だった。医師が集まり、数人の看護師に私は囲まれた。「ここが締め付けられます」痛くて、痛くて、身体をまっすぐにしていられず、くの字になって呻いていた。看護師さんにお願いして、手を握らせてもらった。
この突然の急変に医師たちも原因の検討がつかず、心電図、血圧、採血は何と左股の付け根だった。右手は親指の付け根。激痛だった。
救命措置のために懸命に処置をしてくれる医師と看護師さんを見上げながら、私は張り裂けるような苦痛の中で、突然死を思った。

「ああ、このまま突然心肺停止になり、臨終を迎えることもあるよな」「これで終わるのかなぁ。みんなに会いたかったな。」天井と私を処置する医師や看護師さんの真剣な顔を見ながら、そんな臨終の自分を考えていた。

すると、始めの激痛がしだいに治まり、胸からみぞおちの下にその痛みの位置が変わったことを感じた。そして、光が弱まるように、ゆっくりだんだんと痛みがが弱くなって来た。

その間、15分くらいだったようだ。不思議なことに、嵐が去るようにして、あの痛みが去って行った。あれはいったい何だったのだろうか。

今、個室で「明日への言葉」を聴いている。アラブの難民の問題についてだった。酸素マスクを着け、右手人差し指には血中の酸素を関知するためのセンサーが張り付けられている。

土曜日には退院しようと思っていた。お腹の水がびたりと止まったからだ。そう決めた夕方、突然の激痛だった。これでは退院が延期になるだろうな。

一寸先は…である。まさか、今、ここ、個室に居ようとは、誰も予想すらできないことだった。

身体は独立国である。そこでは生きる日々の中で起こるべきことは確実に起こっては消えている。それは、私の想いや願いとは関係なしにだ。

私は身体という自然を生きている。ああ、臨終かなぁと痛みに耐えかね、身体を折り曲げて呻いていた時、人間の儚さを思ったものだ。

そしたら、元の大部屋に突然戻された。朝、5時。私より生き死にの患者さんが出たとのことで、「クマさんごめんなさい。部屋にもどりますね。」とのことでした。

一寸先は…。これも人生だね。トイレに行きたいのだが、看護師さんがまだ来ない?。これも人生だよ。」
題「突然死はありだね」

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from: せみさん

2016/07/30 09:41:33

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「昨日BSで岡本喜八監督の喜劇「ダイナマイトどんどん」をやっていた。小倉の対立するヤクザ同士が縄張りを懸けて野球で勝負する通快な映画だ。文太さんがいい。欣也さんがかっこいい。宮下順子さんに惚れた、惚れた。実は、この映画との出会いは、前回の緊急手術後一週間位だったか、個室でようやく自分で手や足を動かせられるようになった時だった。

テレビをつけたら突然このタイトルが飛び込んできた。それから、ドラマの展開から目が離せなくなってしまった。拍手喝采。やるのーおぬしたち?まあ、この痛快さに魅せられてしまったのだった。しかし、野球の試合の大事な最終回になったら、無情にもCT検査の時刻となり、車椅子で拉致された。

私の入院の唯一の心残りは、この映画のクライマックスであるラストだった。私は観ていなかった。実は、監督の名前すら分からなかったのだ。

そんなこんなで忘れていた映画だったのに、ドキッだった。今週の週間テレビ番組表を見たら、なんと水曜日にやるではないか。またまた、ここは病室のベッドの中だ。三回目の手術を終えて2週間。同じ映画を同じように病室のベッドで観る確率とはどんなものだろか。

本当に人生は、奇跡に満ちている。これを私は偶然とは思わない人となっている。そこにある「意味」を見出だし、ありがたく受け取っているからだ。それは、よきことも、悪しきこともだった。

この三回目の手術を私は感謝している。おかしいだろうか。この痛みと苦しみ、そしてこの入院生活を体験したからこそ、深いところで何かに気づくことかできた。

もし、この年でこのクライシスを体験しなかったら、私はあのままの私で60才を迎えてしまったかもである。病を経験した人の心のひだは深くなる。本当にそうだなぁと、私は合点できるし、腑に落ちる。

変な話で恐縮だが、同室の65才のAさんや80才のBさんは、まだ一回も手術を受けていなかった。だから、私は手術のことやその後の経過や生活の仕方について語れるのだった。

私は、この手術のおかげさまで、手術について患者として語れる人になった。だから、これから手術をしなければならず不安と恐怖を感じている人に、大丈夫だよと、語って、同情と共感ができる人になっている。

だから、この腹膜炎は偶然ではなく、私にとっては必然であり、それは、私の想いや願いを越え、想像を絶したこととして、やっぱり奇跡なのだと、私は認識している。

そう考えると、人生は奇跡に満ちていた。これから始まる同じ1日であるが、出会うことに感謝して、ああ奇跡だなぁと生きて行くか、何でこんなことになったのだ。こうなったのはあいつのせいだと、不平不満でイライラして生きて行くかは、同じ1日という道を歩きながら、全く違った感情や気持ちで生きることになる。

自分を捨てれば捨てるほど、楽になる。自分にこだわればこだわるほど自分が肥大化してどうにもならないモンスターと化する。

捨てるか、こだわるか。その生き方の違いは大きいことなんだとやっと分かるようになった。

「ダイナマイトどんどん」との病室での再会に、私は奇跡を見た。そして、奇跡とはそれを現実にする配慮と意図とが必ず隠されているものだった。そこに、「意味」を見いだせるかどうかに、生きることの面白さがあるように感ずる。

たかが、たった一本の喜劇映画とは思わないことだ。この映画とここで再び出会えたことを奇跡として感動できる生き方に、私はやっと行き着いた。

人は生きてみないと分からない。人生はここから先は全て未知なことばかりだ。ならば、それを奇跡と感じて、日々楽しんで体験し、そこに何らかの意味を発見できたら、楽しく1日だけは生きられるのではないだろうか。

そんないい加減な生き方を若者に伝えてあげたかった。

題「奇跡、奇跡の花盛り」

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from: せみさん

2016/07/30 09:37:28

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「彼はきっと死ぬまで罪を意識することなく、罪を悔いることなく死んでいくのかもしれない。
それは、テロを行った若者たちと同じだろう。

正義は恐い。その犠牲に誰もがなってしまう世の中になってしまった。

権力や権威や武力に対してのレジスタンスは分かる。では、市民を無差別に殺戮する行為は、ただの恐ろしくおぞましい殺人でしかない。

本当は、人は死んでからが永いんだ。どうしてそのことをこのことを若者たちには誰も教えなかったのだろうか。

彼のことを考えると、人間という存在が分からなくなってしまう。狂気ではすまされない。どこかとても冷静で確信に満ち、使命感すら感ずるコメントがある。大量殺人。それも知的障害のある無抵抗で無力な人たちに対して。何故、人はこんなに残忍なことができるのだろうか。

世界中で今日も行われだろうテロと何だか同じ深層心理を私は感じた。恐いぐらいに彼らはやりきってしまう。

PGOが日本中に蔓延している。ある日突然、人々は狂ったように街のあちらこちらを徘徊し、探し回り、ゲットしたと歓喜する。それは、生きるにとって、どんな意味があるのだろうか。本物の昆虫採取に出かけた方が、もっと感性を育てる体験となるはずだ。

さて、それをゲットしたから何か変わるのだろうか。そんな幻を捕まえるために1日の何時間も自分の人生を無駄に消費するよりか、孤独に沈黙の中に沈み、じっと耐えて言葉が現れることを待ったらどうなんだろう。

大空にこの病室のテレビを掲げたら、きっとこのテレビはちっぽけな窓になるだろう。たったこの縦30㎝横40㎝の窓から次々に休みなく、喧しく一方的に流される情報や物語は、いったい私たちに何を伝えようというのだろうか。そして、いつの間にか、この切り取られたちっぼけなおしゃべりで無責任な窓が、自分の感性や考え方を感化し、変化させる。

テレビを観ない選択ができる。人を殺さない選択ができる。テロを起こさない選択ができる。探しには行かないという選択ができる。

そうした、選択と決断ができるのが、人間の尊厳であり、誇りではないだろうか。

ここには生きようとして必死に病と闘っている人がいる。彼のニュースをこの病室のテレビで観た。昨日も今も、ずっと何故なのかと、問い続けている。

今、若者にあるその影の部分、つまりその共通する深層心理を私たちが理解し、どこかで何かの手を差しのべて行かないと、こうした悲惨な事件はこれからも起こるのではないかと危惧をしている。

ただただ怒りしかない。どんなに怖くて痛かったことだろう。どうして、その痛みと恐怖が彼たちには分からないのだろうか。

彼らには、その凶行に出る前に生き死にのこの病室にしばらく入院して、黙って独りで沈黙の中で、本当の言葉と出会って欲しかった。

亡くなられた方のご冥福をここれからお祈りします。」

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from: せみさん

2016/07/26 17:14:27

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「入院生活のお伴は、映画のDVDとラジオです。この二つはここでの生活では欠かせないアイテムどなっています。

映画は、とにかくこの入院生活のために、半年間BSで撮りだめしてきた。洋画から邦画。名画から娯楽作品まで幅広く取り揃えた。

昨日はベルイマンの「第七の封印」だった。先日、「野いちご」を30年ぶり位に見直し、やっとこの映画の真髄が分かった気がしたからだ。「スケアクロー」もよかったな。私が中学生のころの映画だった。明日は、BSで岡本喜八さんの「ダイナマイトどんどん」が放映される。このヤクザたちの野球映画は痛快過ぎる面白さだ。昨夜は、「ショーほど素敵な商売はない」の家族愛に涙した。

確かに、ベッドで独り、感動の涙の時が多かった。涙目で看護師さんに恥ずかしいこともある。

音楽は、「弾き語りフォユー」から朝が始まる。ストレッチしながらのビアノの音色。今朝は永六輔さんの特集だった。それから、食堂で山を観ながらの朝のバロック。朝食の後は、名曲のアルバム?そんなこんなのうちに回診となり、医師がベッドにやって来る。夕方、展望ラウンジでクラッシック。何と優雅で贅沢な生活だ。

私は、自由に移動はできない。1日ここで暮らす義務がある。それを不自由とは感じていない。昨日のルーテーンもそうだか、こうした状況の中でも、自分が選択し、決断し、行動する主体性は失っていないからだ。

時間は平等に与えられている。それを、どう意識して使うかが、この入院生活では求められていた。

確かに、ハードオフ球場に応援に行けなかった。走ることもできず、自転車にも乗れない。置かれたここが私の居場所だ。

しかし、そこで人と比べて人を羨んだり、出来ない自分のことを嘆いたりすることはしない。そんな時間は、もったいない時間だからだ。

まず、1日の流れを決める。それもある程度にルーズにいい加減にだ。思い通りには行かない。予想に現実は反するものだと、諦めつつも、ゆっくり、のんびり、そう生きる。

後は、廊下で会った患者さんや、看護師さんに笑顔で挨拶する。病室では同室の人とこちらから話しかけ、会話の時間も作るようにしている。

合間には、本を読む。やっぱり池田晶子さんだった。彼女には、私は呼び掛けて、親しみを込めて話すこともある。

こうした生活を二週間続けている。今も、ドリップでいれたコーヒーを飲んでこれを書いている。先日コンサートで聴いた、トム・コーブマンのバッハだ。

映画・音楽・読書・コーヒーと、私が大好きなこの世界があるから、私は、ここで不自由な痛みの生活の中でも、少しの喜びと希望とをもって生かされる。ありがたいことだった。

フランクルが「夜と霧」に書いている、収容所で生き残った人たちとは、どんな人たちだったかと。

その人は、夕日を観てきれいだなぁと感ずる人。その人は、ほんのささやかな出会いを感謝する人。自分のことを待ってくれている人のことをいつも想い続け、自分が果たすべき使命を感じて生きている人だと、フランクルは言っている。

「幸せは、自分の心が決める」収容所の人々が折り重なって眠るベッドでも、幸せを感じ、愛する妻や子どもたちとの再会を夢見た人は、救い出されたのだった。

これは、リアルな事実だった。病室に独り居ると、そのことが実感される。

独りは私だけでない。では、その独りをどう生きるか。この限られた1日をどう生活するか。そんな私には、映画と音楽と池田晶子さんと、コーヒーがあった。
それをこよなく楽しめる人として、生きられる自分に感謝している毎日だ。

そんな病室での楽しみを、皆さんはもっているだろうか。」

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from: せみさん

2016/07/25 08:06:59

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外出許可


外出許可をもらって我が家に帰った。妻のお迎えだった。教会に行ったら驚かれた。それはそうだろう。手術してまだ十日目だからだ。よかったですね。もう大丈夫なんですか。そんな労りの言葉はやっぱり嬉しいものだった。優しい人たちには、優しい言葉がある。

それから、太威にラーメンを食べに妻と長男ででかけた。担々麺は絶品の味だった。本当にこのスープの味わいは深く、おろしにんにくと辛子を入れながら微妙に変わる味を堪能している。深いものは、果てがない。浅いものは、いくらやっても深くはならない。美味いものを食べることは、生きる力にも希望にもなる。次は、あき乃の特盛だ?

帰ったら我が母校、新潟明訓が甲子園をかけての中越との決勝戦だった。毎年、自転車でかけつけたのに、ことしはこれだから残念と諦めてテレビでの応援だった。7回のエラーからの大量失点は予想外の展開だった。スクイズ3本。こんなこともある。来年こそ甲子園に。これも1つの夢になる。


庭の花や樹木は元気に育っていた。長男が朝夕に水やりをしてくれたおかげさまだった。久しぶりに会う花たちは、てんでんばらばらに私に語りかけてきた。その中で枯れてしまったものもあり、葉っぱの弱っているものもあった。隅々までや、花の声を聴きながらは、なかなか難しいことだった。でも、みんなここで生きていてくれている。これは、私の希望であり、励みでもあった。

私は、今、病室のベッドでこれを書いている。さっき小千谷の師であるSさんが育てたトマトをいただいた。うまかったなぁ。

人は、きっとそれぞれに生きる励みをもっているから生きられるのだと私は思う。

家族は全く当たり前だが、例えば、優しい言葉。大好きな食べ物。誰かへの応援。何かのお世話。何だか、そんなこんながあってくれるから、人はきっと毎日を生きていけるのだと思う。

そして、そうして自分を生かす力。私なら、退院したらこれをやるぞという何かをもっていることは、幸せなことなんだと、昨日は、改めて思ったものだった。

「あなたは、食べるために生きるのですか。生きるために食べるのですか。池田晶子」

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from: せみさん

2016/07/24 07:14:38

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朝のルーテーン


「病院暮らしには快適さは求められないが、実は、その制約の中で工夫することで自分なりの生活スタイルを創造することも可能だった。

夜中に何度か目が覚める。熟睡どころか、脳が疲れながらも冴えて眠れない。そんな時は、眠らないことにする。考える時間ができたと思う。私は、ラジオを聴く。ラジオ深夜便だ。この番組は、きっと私が死ぬまでお世話になる番組かもしれない。深夜の友はラジオ深夜便。すると同じように眠れずに孤独な夜を過ごしている日本中のリスナーが友のように感じられるから不思議だ。独りなのに、独りではない。
明日への提言には、いつも気付きと発見が与えられて嬉しく感ずる。人生を生きた先輩たちの生の声は、その日の生きる力になっている。

5時からはビアノの弾き語り。それを聴きながらストレッチをする。終わると静かに座禅して瞑想をする。そして、朝の感謝の祈りを捧げる。

6時が病院の1日のスタートだ。廊下に灯りが点り、食堂に行き体重を計る。そして、コーヒーを淹れ、椅子に座り、朝の粟ヶ岳に挨拶してから、バロックを聴きながら、これを書いている。

この病院内だけの限られた自由だからこそ、規則正しく、意図的に計画して生活するようになった。自己管理をどうするかなのだと思う。
7時になると私は病棟を一周して病室に戻る。そしたら、洗面台に向かい、温かなお湯で顔を洗い、髭を剃り、髪を整える。いい男になってから、テーブルを片付け、朝食の到着を待っている。

朝飯前ここまでで4時間だった。これは、私が私でここで生活するための大事なルーテーンだった。

同じことを同じように繰り返す。そのルーテーンに従うことで、心穏やかな朝を迎えられる。そして、朝の気分がその日の気分を決めてしまうものだ。

だから、ルーテーンが先、私は後。こんな自分なりのルーテーンやリズム、ルールを決めて毎日、その通りに生活すること。それは、単調な生活ではなく、実に充実した、創造的な生活だった。

それは、やっている人にしか分からない快感でもあった。

さて、そろそろ腹が減ったから病室に戻ろうかな。」

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from: せみさん

2016/07/24 07:07:21

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身体という、自然


「入院生活ももう少しで二週間目2に入ろうとしている。手術してから9日目、あれだけ腹をあちらこちらと切って縫ったのに、こうしていても痛みを感じないことの不思議さだ。再生する力。甦る力。それは生物としてのこの身体には、本来備わっている力だった。普段の生活では気づくことのないこの力は、艱難にあい、確かに感じられる力だった。

それは、あるのに「ない力」だった。いざというときに、私と言う身体を生かすために、スイッチが入り、活性される力だった。必要でない時は、眠っているだけで、「ない力」ではなかった。

痛みもそうだった。切腹しても普段と変わらない生活ができるのは、痛みのコントロールがうまくいったおかげさまだ。看護師さんにどうして痛みは鎮まるのかを聞いてみた。細胞には痛みを脳に感じさせる物質があり、その細胞が死滅する危機に会うと、細胞がその物質を神経に放出し、脳がそれをキャッチする。だから、その物質の働きを抑制する薬を入れることで痛みは緩和されるとのこと。

同じ質問を医師にしてみた。それは、脳に痛みのサインを伝える神経があるので、麻酔薬によってピンポイントでその患部と繋がった神経の部分を麻痺させて、脳に痛みを感じさせないようにしているとのこと。

私は、この話を聴きながら、再生のこともそうだが、身体そのものが身体として生き延びるための精巧で緻密なシステムが、生まれながらに私たちには備わっていることを知り、なおさら、生きている私という存在が不思議な摂理で生かされている存在であることを感じていた。

私は、身体という自然に生きているのだ。自然は、私のこの身体なんだ。生きるためのシステムは、全ての生きるいのちたちには与えられている。それは、生物としては平等に恵まれた力だった。

目には見えず、音には聴こえず、触ることすらできないが、その尊い力は、すべてのいのちには与えられたリアルな存在である。

空即是色。なくても、それはここにある。だから、その身体を1つのブラネット。1つのネイチャーと考えて、自然環境と考えたら、何だか、生きるが見えてきた気がする。


身体は、自然そのものだ。そして、それは、変化し、循環する。時には、危機にひんするが、痛みに耐えつつ、再生の希望は捨てない。高熱を出しながら、全智全力を使い、全ての細胞がもてる力を出しきって、その危機と闘っている。


それは、人の意識や思いを超越した自然そのものの自由なる働きだった。すごいものだ。ここで、私があの一本の樹、一本の花、一本の草と同じになる。

ああ、私は樹であり、花であり、草でもあるのだ。ならば、だれに生き方を問えばよいだろうか。答えは明らかだ。自然のことは、自然に聴こう。

こんなに身近に自然はあるのだ。どうしてそれを忘れたまま私たちは生きられるのだろうか。

腹の傷は、私とは関係なく自然なままに治癒していっている。」

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from: せみさん

2016/07/22 12:52:46

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大部屋の生活にも慣れ始めた。慣れれとはそこでの自分なりの生活リズムができ、何もなくとも安心してそこで暮らせることかもしれない。

同室の人に挨拶をして、少しの世間話をする。趣味の山の話をすることもあり、お互いの手術の話をすることもある。

それでいて独りの時間は互いに干渉し合わない。本を読む。テレビを観る。手紙を書く。昼寝する。カーテンをオープンに開けながら、それはそれでそのたままだった。だから、どうでもないし、どうでもいい。

Aさんの手術の話を聴いて驚いた。ある日突然の黄疸の症状がでて、皮膚が黄色くなり、全身が痒くなったそうだ。家庭の医学を調べたら、自分の身体が大変なことになっていると分かり、即、大病院へ。

そしたら、肝臓の3分の2を摘出する必要がありこの病院に緊急入院したとのこと。65歳。退職してから五年間好きなことやらしてもらいましたと、東北を巡っての山旅の話を聴かせてくれた。

6月に入院して、来週の27日に大手術だった。しかし、あまりにも期間があるので聞いてみたら、残される肝臓が小さいとその後の生活に支障があるから、その肝臓を今太らせているとのことだった。

切り取る部分には栄養が行かないようにして、ピンボイントにそこだけ栄養が行くような処置をしたとのこと。医学の技術はたいしたものだった。

ボトルをぶら下げていた。私もそうだったのでよく分かった。胆汁だった。「本当はこれ飲まねばなんねんですよね。二日間挑戦しましたが、さすがに無理でした。」と、彼は苦笑い。ところがもう一人の80歳位のBさんは彼と同じ手術を受けて、もう2ヶ月も入院している人だった。

Bさんは、これから受ける手術をとても不安にし、恐れている彼に、何かと声をかけ、アドバイスしている人でもあった。

「その胆汁を、Bさんは毎食飲んでいますからね」とのこと。そんな話を聞いて、Bさんは、笑っていたっけ。恐るべき2人の先輩だった。

病室では、手術の回数、病気の重度、入院の回数、入院の日数等々、そこいら編でそれぞれの立ち位置は決まるようだ。江戸時代のドラマでよく観るあの世界と同じだな(笑)。

この病室のもう一人いつもベッドに横になって静養中の70歳代だろうか、もの静かな好好爺のCさんは、病室二週間目だから、私の先輩格だった。

一昨日から始まった大部屋生活、これまた楽しみな生活だった。それにしても、人生はいろいろなのだ?

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from: せみさん

2016/07/21 08:17:49

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唯一の経験

「夜中に、ずきんと痛みが来た。今までは感じなくてもよかった痛みだ。医師が話していたように、その時が来たようだ。背中から入れている強力な麻酔が切れたのだった。さて、いよいよここからが自力解決になって来る。痛みに弱い私には、大きな試練だった。


3時に起きてぼーっとしていた。4時からは「明日への言葉」だ。そのお話を聴いている途中に痰がからんだので大きな咳をして驚いた。下腹からずっと縫い目にそってズーンと痛みが走り、しばらくは消えなかった。とうとうこの痛みに耐える時が来たようだ。

両脇腹をメスで切り、緩めた筋肉を互いに真ん中に寄せて強引に縫い付けてある。中央は鳩尾からへその上まで一直線。ここは同じラインで二回目となる。

痛くない訳がないのに、手術から一週間、本当に痛みを感ぜずに過ごしてきた。医学の技術恐るべしだった。

前回を思い出すとぞっとする。緊急の生き死にだったのでこの処置が出来なかった。日々の痛みは尋常でなく、不眠が続いた。

両方を経験したから、この痛みの軽さをありがたく感ずる。もし、最初にこの麻酔を使っていたら、こんなものなんだで終わっただろうと思った。


比較して両方を経験したからこれが分かった。しかし、片方しか経験していなければ、その経験が絶対となる。

一回目の私なら、術後の痛みは耐えられない。二回目だけの私なら、術後も楽だから安心できる。同じこの身体の出来事だ。

さて、ここまで書いてはたと気付いた。人生も同じだなぁと。もし、二回目の人生も経験できたら、二つの人生を比較して、評価できる。しかし、現実は一生という言葉のように、たった一回目の経験しかないのだ。

自分自身もそうだ。たった独り唯我の我の他に我なしだった。そして、与えられ、恵まれた家族もそうだ。他所の家族に成り済まし、経験すること等不可能だ。

この経験しかない。唯一無二の人生であり、自分であり、家族だった。だから、比較することなど意味がないことだ。まず、今、ここ、あるがまま。それをどう私が人間らしく、人らしく、生きていくかなのではないだろうか。


この私の人生は、痲酔が処置された人生か、そうでない人生かは神様のみ知ることだ。私にできることは、嘆いたり、後悔したりすることなく、今、ここを受け入れ、信じて、日々を生きることだけかなぁと思えるようになってきた。」

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from: せみさん

2016/07/20 12:50:38

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私と身体

「入院してから8日目に入った。ずいぶんと身体の変化が起こりとまどっている。
身体はいのちを表す1つの全体。
身体と私とは一体でありながら、別物で独立しながら支援しあう友好関係。
身体があるから私が存在し、私がいるから身体は存在する。
私も身体も主体的に生きて、実存する同士である。
身体を感じて、私が生きる。
身体は普遍的ないのちの宇宙。私は普遍的ないのちのひとつだけの現れ。

身体は、花と同じ普遍的ないのちの法則に従って生きている。私の中の元自然。
花がそうであるこては、身体もそうである。

身体は、私の思惑ではない。身体は命ぜられるままに個々の細胞がその使命を果たし消え、また生まれる。全体の私は全体の私を保ちながら自然のままに変化し、衰え、老いつつ朽ちていく。

私は、だから身体を見るようになり、身体を聴くようになった。

筋肉と皮膚とを剥離した部分から体液が染み出してくる。そのために二本の管を両脇腹から出し、その体液を外に出すようにしている。しかし、昨日、久しぶりに歩いて驚いた。下腹がぶよぶよと膨らみ、またヘルニアのようになっていた。

夕方医師が超音波で確認すると、どちらかの管が詰まり、外に出れなかった体液が下腹に溜まったと言うことだった。医師たちは、お腹の傷口に針を刺し、注射器でそれを抜き取った。160ccも取れたそうだ。これが身体の自然なのかも。身体はただ自然に反応するだけだ。

眠れない夜が続いている。いや、眠れないのではなく、眠りが浅いと言えばよいのか。とにかく、長い時間眠れない。眠って夢を見る。懐かしい人たちが登場だ。目が覚める。時計を見る。一時間もたっていない。仕方なくまた目を閉じる。目が覚める。今度は40分位だった。ぐっすりと朝まで眠りたい。しかし、致し方なし。脳は疲れて、朝目覚めてもどんよりとした疲労感。どうしたものかと焦っても仕方ない。

昨日4日ぶりに体重を測って驚いた。75,2キロ。ガーン。3キロも手術後に増えていた。病院の食事は500~600calに計算されていた。それでもご飯はゴルフボール一個分は申し訳ないが残してきた。それなのに…。基礎代謝から言っても接種calはマイナスだから、当然体重は減るはずなのに。
しかし、これもこの環境の中で自然に反応した身体のすることだ。致し方ない。たった今測ったら、74,2キロだった。今日から食事の量を減らさねばである。

しかし,身体がどうあろうとも、私は身体からは距離を置き独立した存在でありたいと願っている。そうしたことは身体の摂理、法則で自然に発生すること。我関せず。そうだから動揺することもなく、嘆くことも、後悔することもない。

私は、今、食堂でバロック音楽を聴きながら、インスタントコーヒーを飲んでいる。身体は身体。私は私。これからメスを入れられる身体を哀れんだように、そんな距離感でこれからも生きたいと考えている。

私は私。身体は身体。互いにひとつなのだから、互いに思いやり、助け合っていこうと思っている。

今日もお腹に針を刺されるだろうなぁ。」

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from: せみさん

2016/07/19 17:38:41

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車椅子に乗って

今日、大部屋に移りました。朝、移ることを知らされました。確かに個室には個室のよさもあるとは思いますが、やっぱり人は、社会的な動物でもあります。孤立した環境で外界に全く出れない状況では、少しストレスがきついようでした。

昨日は、次男がそんな情けない親父を助けるために2時頃来てくれました。嬉しかったなぁ。感動だったなぁ。ほれ、泣きべそかいていたっけ助けに来たれね。頼もしいナイスガイです。
まずは、四日ぶりのコーヒーだ?車椅子に乗り、点滴棒をハンドルのようにして次男に押してもらってエレベーターを目指した。

車椅子は思っていた以上にスペースをとった。押している次男が横に入ると後3人で一杯になる。恐縮だった。

12階のレストランは閉店だった。しかし、馴染みの女性が居たので話したら、どうぞと中に入れてもらえた。そして、運ばれてきたコーヒーの美味かったことは言葉にならなかった。その優しさが嬉しかった。

展望台でも、初老の病衣を着た女性に見やすい中央の場所を譲ってもらった。車椅子の親子の効果だ。こうした配慮がありがたい。

次に1階の売店に行った。新聞を買い、ベットボトルを6本買った。次男は黙って私に言われるままに車椅子を押してくれた。何だか私は、黙ったまま泣きそうだった。私も病院では父の車椅子を押していた。その時、久しぶりに老いた父の白髪の後ろ頭と痩せ細った背中を感じた。次男は手術で歩けない親父をどう感じただろう。

売店の外に出たところで、財布を出したついでに次男に千円札2枚渡した。彼はいつものように小さな声で「ありがとう」と言った。
「真ん中のエレベーターらぞ。」
次男が扉の前に止めるから、
「離して止めないと、降りる人が困るこって」と言うと、3メールも後ろに下がった。
「おい、おい、」だった。私たちが乗ったらまたまた満杯だった。次男もすまなそうな顔で下を向いていた。私たちを先に下ろしてくれる。ありがたい配慮だった。きっと次男もそれを感じたはずだ。


部屋に戻った。不思議なことに、8度2分あった熱が、7度2分に下がっていた。人の身体は誠に正直に出来ている。心が喜ぶと、身体も喜ぶ。そんな実験だった。

「帰っていいぞ。ありがとう。」
彼との時間を30分間と決めていた。だから、これでお役御免だ。
「気を付けて帰れや。」
「ああん。」
次男のいつもの返事だ。

彼はすーと戸を閉めて帰って行った。その彼の気持ちを私は感じた。私が父に
「じいちゃん、また来るれ」と言って帰るとき、父は黙って右手を挙げた。
廊下を歩く次男の気持ちは、その時の私の気持ち…かもなぁだった。

私が車椅子を上手く運転出来るようになったのは父のおかげさまだった。次男もあの時は、はらはらドキドキしながら運転の仕方を学んだだろう。

残念ながら、本日から自力歩行の許可が出た。今度その次男の腕前を試す日がいつなのか、楽しみになった。そしたら、この話をしてやろうと想っている。

ありがとな。Nぼうくん。

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from: せみさん

2016/07/19 08:45:55

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今日、この個室を出る予定だ。個室にはほんの2~3日術後に入る予定だったが、手違いで長期間となってしまった。手術前の二日間は優雅な生活だったが、手術後はなかなか大変なストレスの多い生活で、滅入ることが多かった。

こんな個室での孤独な生活の中で心救われるのは、看護師さんたちの献身だった。その誠実に患者のケアを第一にして、優しさと癒しとを使命にして懸命に働く、本当に素晴らしい人たちだといつも感じる。

ここでの生活は、家庭での生活とは全く違った生活だった。その日の天気の移り変わり、気温の変化、それすら看護師さんに聞かないと分からないカプセルの中での生活だからだ。

だから、この生活における唯一の潤いと恵みとは、人と人が与え合える、大事なケアと想いだった。

「クマさん、熱を測りますね。」
「クマさん、痛みはどうですか。」
「クマさん、氷枕持って来ますね。」

そうなのだ。いつもそうなんだ。その相手の気持ちを先にして、心配しています。今はどうですか。私は何をしたらいいですか。何でも言ってくださいね。と、私の痛みと不安とを少しでも軽くしようと、勤めてくれる。

たった今、出会ったばかりの私にも。それはとても尊く、ありがたいことだと、いつも感謝している。

医師と看護師さんの勤務実態を見るととにかくハードな仕事だということがよく分かる。いのちのケアには土日なしだからだ。看護師さんが夜中に病室に来て、点滴を入れ替えてくれることもある、ありがたいなぁといつも感ずる。

この個室というカプセルに生きていると、看護師さんの訪れだけが、人としての私が、人としての楽しみを味わえる唯一の貴重な時間となっている。会話することの大切さとでも言うのだろうか。触れ合うことの安心感とでもいうのだろうか、何故か看護師さんとしばしの時間かかわれた後は、不思議と痛みが治まり、気持ちもリラックスできるのだった。

「看護師さんの仕事は、いい仕事だね」と、先日担当の看護師さんに話した。
「そうですか。でも、そう言ってもらえると嬉しいです。」
「だってさ、こんなに人からありがとうを言われる仕事ってあまりないと私は思うよ。」
彼女はそんな私の言葉を血圧を測りながら笑顔で聞いていた。

病人を癒すのは医師ではなく言葉なんだ。宗教ではなく言葉なんだ。とは、池田晶子さんの言葉だと聞いている。

このカプセルの中での療養生活で、私はその言葉の意味がやっと分かった気がする。彼女は48才で癌で亡くなっている。きっとこの言葉は、彼女の病院での闘病生活から生まれた言葉だったんだなぁと、今気付いた。

その言葉の大事な役割と使命を、私は忘れていたのかもしれなかった。

もう1つは触れると言うことだ。外国映画?を見ると本当によくキスシーンが出て来る。恋人同士のキスは確かに深く語り合う。家族や懐かしい友を笑顔と熱いハグが包み込む。会いたかった?来てくれてありがとう?だな。初対面の人と人でも握手はするものだ。触れる。それには、人を安心させる魔法の力があるようだ。

私は、話しているだろうか。触れているだろうか。日本人である親父には、何だかこっぱずかしくて、やれないことだが、これからはやってみようと思っている。

昨日、突然、夜中から咳が出るようになり、朝方には休みなく咳こむようになってしまった。その度にお腹の傷全体が締め付けられるように痛み、切なく呻いていた。ならば、咳を止めればいいではないか。そうなのだが、咳は咳で仕事があるらしく、休みなく続き、私はその度にやっつけられた。

朝、疲れきった私は、プツンと精神の糸が切れた音を聞いた。どうでもよくなった。もうOFFにしたかった。このまま点滴をぶら下げて家に帰りたかった。涙が流れた。MAXだと感じた。
自分で歩くことは禁じられているので、私は仕方なくこの扉の外、佐渡の見える非常口の前の廊下に椅子を出し、そこに座ってたそがれることにした。息詰まったら、海と空を見る。

発作的な咳は治まって来たが、それでもやっぱり止まない咳がある。何だか自分が情けなく、哀しくなった。友たちは今妙高山から下山してるだろうなぁ。山の景色が心に浮かんだ。

私は、カプセル生活の限界を感じた。このままではおかしくなってしまうと危機感を感じ、妻に電話した。「N、今日来れるかなぁ。」妻にはもう限界だと事情を話し、車椅子での移動なら医師からの許可があるので、次男にそのことをお願いしたいことを話した。彼は、朝帰りだったそうでまだ眠っているとのこと。

私は、彼が起きたら連絡してと言って電話を切った。気分転換も諦めだなぁと、がっくりとした。」

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from: せみさん

2016/07/17 11:15:23

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「分かったことがある。この三回の身体の震災から学んだことだ。

それは、人は死なないということ。

私の身体の全ての細胞と器官とはどう生き延びようかと相談してること。

だから、私という全体を生かすために相談を打ち、ある器官が患い犠牲となることもあること。


そして、痛みとは、この身体が生きようとする意志の現れであること。


その意志と声とを聴かず、分からないのが私本人であること。

だから、身体の震災が8ヶ月に三度も起きたこと。

だから、この痛みに辛く難儀な間は、死なないということ。


たたったそんげに単純なことを身体で分からせるために、この痛みと苦しみがあること。


身体の方は身体がしっかり相談して生き方を考えてくれているから、私は人として身体に恥じないようにしっかりと生きること。

それがこの震災の意味だ?分かるか私?大馬鹿者め?
まだまだ身に染みていないから、ここに居る。」

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from: せみさん

2016/07/17 05:53:50

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「驚いた。腰から直接患部に届く痛み止の効果だ。とにかく、前回は生き死にの緊急手術だった。だから、この痛み止めを処置する時間もなかったようだ。目が覚めてからは、痛みとの闘いだった。四日間の不眠で精神的におかしくなった。
私は、痛みにはとても弱い。耐える前に痛みを訴える。手術を希望したのは私だが、とにかく私の心配は痛みだった。前回の経験しかなかったからだ。

しかし、これ程医学は進んでいるのかと、身体を通してその凄さを感じた。手術した後、病室で居ても痛みを少しも感じない。あれだけダメージを与え、がんじがらめに腹筋は縫い合わされているのにだ。魔法にかかったのかと、その効果には驚異でもあった。

痛みの克服は、患者には何よりものケアだった。前回は痛みの中でただただ時間が過ぎることを寝たきりで耐えて待っていた私が、今は半身を起こし、翌日から食事して、テレビで映画を観ているのだから。

患者は、痛みがなければ身体が許される範囲だけでも平常の生活に戻れる。不安と恐れの中で病室と言う非日常的な環境に置かれただけでも、患者にとってのストレスが大きかった。

そのなかで痛みが緩和されるということはどれだけありがたいことかは、手術した人にはよく分かる話だ。その痛みが軽減されただけで生活がこんなに違った。

二日間はさすがに日中、うつらうつらで夜中に眠れなくなったが、痛みがないので焦りはなかった。

次に大切なことは、患者の精神的なケアの部分だが、それは次に話したい。

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from: せみさん

2016/07/16 06:56:32

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「手術に入ると手術着を着ている看護師さんに「先生」と呼ばれた。東区劇団で一緒の舞台に上がったNさんだった。何とも心強いものを感じた。まさに地獄で仏だった。部屋を出る前には、私が大好きな看護師さんのMさんが駆けつけてくれた。嬉しかったな。

脊椎の脇から針を刺して管を通す。そこから絶えず麻酔を送るためだった。その痛み止の注射が痛いとの麻酔科の先生の話だったが、大したことなく処置は進んだ。

さて、準備は整った。主治医の若い医師が笑顔で立っていた。酸素マスクから酸素が送られる。私は「お祈りさせてください」とお祈りをした。全てを委ねた。よくここまでたどり着いたものだった。三回の手術には、意味がある。その意味とは…。そこから先の記憶は全くなかった。

声をかけられた。名前を呼んでいる。目が覚めた。手術前の手術室だった。ベッドに移され、そして部屋まで運んでこられた。がらんとした部屋には誰も居なかった。誰かが食堂に妻と長男を呼びに行ってくれた。午後2時だった。手術開始が9時だから、五時間も2人は待っていてくれた。

私には瞬間でも、待つ2人には長い長い時間に感じられる。」

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from: せみさん

2016/07/16 06:55:08

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「手術の朝、朝食を食べた後、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。その時が来る。でも、じっと待つのが耐えがたかったのでふと思い、ヨハネの福音書を全部通読した。妻と長男が来てくれる。今は7時15分。8時までに読み終われるかもと、イエスの生涯を辿ることにした。

改めて読むと迫害、批難、無理解、不信仰とアゲンストの風の中を貧しくか弱い弟子たちと歩んだ歩みは悲惨なものだった。

彼には十字架が決められている。その痛みと苦しみと絶望とを経なければ、全ての人の罪の赦しを得ることは出来ない。彼は前夜、ゲッセマネで血の汗を流して神に祈った。


しかし、十字架は彼の使命だった。その使命から逃れることはできなかった。覚悟とは、そうして自分に与えられた使命を自覚して、それを受け入れることではないだろうか。私にとってはこの手術は、大きな試練であり、ある意味では使命でもあった。

私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。イエスはこの生き方を私たちに教えるためにその短い生涯を生きた人だ。

一気に読み終わったら、8時15分、妻と長男が来てくれた。私は朝、シャワーで身体を浄め、手術用の浴衣とソックスを履いて待っていた。

私は、ベッドに座り、涙を流し、2人に謝った。それだけは、言っておきたかったからだ。

看護師さんが笑顔で迎えに来てくれた。「クマさん、行きますよ」あるはずの車椅子がそこにはなかった。「歩いて行くのですか」「そうですよ。歩ける人は、歩いてもらいます」あの映画の中のシーンとしては、歩いて手術室に入る患者を、誰が同情するだろうか。悲壮感はおかげでなかった。「行ってくるは」と妻と長男と笑顔で握手して扉の向こうの世界に入った。もうあと戻りはできない。

この試練は、どうしても私が受け入れなければならない試練なんだ。潔く、勇気をもって立ち向かおう。

まずは名前の確認からだ。始まったよ。いよいよ。」

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from: せみさん

2016/07/14 06:24:08

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手術の前日、本を読んでも言葉が言葉として染みてこない。何だか焦った。でも、それが怖さを感じている自分なんだなぁと、納得できた。

そんな時は、そっと自分のことをそっとしておこう。弱くていいよ。そう思って病棟を散歩し、階段で八階から一階まで往復した。

妻と医師からの説明を受けた。ヘルニアを治すためには、分断された両方の腹の筋肉を皮膚から剥離させ、それをお互いに引き寄せてしっかりと糸で縫合すると言われた。痛みは相当なもので、術後も動けば裂けるリスクがあると言われた。
また、痛みと苦しみとで不眠の日々が続くようだ。ただお願いしますと頭を下げた。妻はリュウマチの手術を二回受けていた。全身麻酔で両手と右足の骨と筋の再生手術だ。今になって、やっとその辛さと痛みとが分かる気がした。妻には、ただただすまないだけ。

夕方、麻酔担当の医師からの説明だった。脊椎の脇に太い針の注射をして麻酔用の細い管を入れるそうだ。その背中の痛み止の麻酔が痛いと言われた。手術とは、その痛みへの恐怖のことだった。

最後の夕食。ノンアルビール。さすがに菊水一番搾りだけは止めて、冷蔵庫に保管した。時間は刻々と過ぎていく。過ぎるという言うことは、残された時間が少なくなるということだ。

一回だけ。限られた時間。それも誰も変わることの出来ない私限定の人生。その人生は私に何を期待しているのか、だんだん分かるようになってきた。私がどうこの与えられた人生に責任をもつか。この苦難に立って、何を決断し、どのような態度をとるか。人生が、私に期待をしているのだ。
生きることのコベルネクス的な視点の転換。それは、この手術を後何時間後に控えている今だから分かることができた。

どんな人生にも意味はある。人は、やっぱり生きるの意味を知りたいのだ。しかし、日常の私にはその意味を感ずる際には、追い込まれていなかった。だから、実存の問いも聴こえてはこない。ただ、この悲惨なる現実に、哀しみと辛さとの状況に落とされた時、やっぱり人は生き方を考え、問うものだった。これでよかったのか。私は、ちゃんと生きてきたのかと。

その責任を果たす自分であることが、私というどうにもならない人が、本当のリアルな人に還るたった一つの道なのだと、フランクルは教えてくれた。「それでも人生にイエスと言おう」
私は、この与えられた十字架を自ら担うことを、よしとした。この痛みと苦しみとは、私が真のリアルな私として生きるために神様が与えて下さった試練なのだと思おうとした。受け入れる。それでいい。こうなるために全ては与えられていた。つまり、神様は私のことを愛し、選んでくださった。

生きる意味とは、そのことに気付くことではないだろうか。私は見棄てられていない。痛みは神様の意志である。それは、私が甦るためにどうしても通りすぎのばならない死でもある。

あの花たちを鋏で切った私のように、刈り取られた残された茎から、脇芽や新芽が生まれでたように、私が命を再生させるためのこれが唯一の私に与えられた道なのだ。

一回限り。限りがあり、私限定の人生は、今、ここに私だけに与えられ、選択を迫られている。それは、ゲッセマネの血の汗を流して祈ったイエスの想いでもあるのではないかと、ふと感じた。

私だけであり、けっして私だけでない普遍な私。そこに謙虚に還り、祈ればいい。

夜中に目覚めた。2時だった。それから、天井に向かって声を出して祈り続けた。信仰に再び赦されて還ることができてよかった。祈れることは幸いであり喜びだった。この日のために、33年前の洗礼があった。

それから、若松さんの「魂にふれる」を読み始めた。すると昨日、あれだけ心に入らず、感じられなかった言葉が染みた。味わえた。腑に落ちた。人は言葉に試されている。その想いでなければ、その言葉は語らない。そういうものなんだと、分かった気がする。

ラジオ深夜便で演出家のみながわさんの語りを聴いた。劇を再び書きたくなった。舞台こそ異界のリアルを降ろし、生かし、感じさせられる場なんだな。本当は、人の魂はその舞台であり、その想いを紡いでその人なりであり、その人としてのリアルな人生を演じられるのに、欲と迷いと間違った読み違いから、そうでない人の人生の役を演じなくてはならなくなった。その喪失感が寂しさとなり、欲望の赴くままに生かされる。

ああ、もうこんな時刻だ。私は、本当の自分に還りたい。そのためには、一度どうしても私に死ななければならない。ただし、そこに私が今、ここで存在するリアルのままこれから生きることができるなら、黄泉に潔く下ればいいのだ。

甦るためには、鋏が必要だ。そこは確かに神様が現れる奇跡の時だった。私が言葉を理解して分かろうとするうちは、まだまだなんだ。私が、言葉そのものになる。分かりとは、そう生きることなんだ。

ここまで一気に書かれた。不思議な力だ。ドウトエフスキーの死刑執行五分前での奇跡の皇帝による恩赦があった。これは、彼の文学の原点に違いなかった。

どうにもならない私が、このことに気づくために、神様が三度目の手術を計画してくださった。与えられる全てのことには意味があった。

私は、意味を生きて来たのではないだろうか。意味には、意志があり、使命がある。意味を理解するとは、その私限定の使命を受け入れ、それを全うして生きることだった。きっとそうだったんだ。

たった今、看護師さんが検温に来た。後、二時間半だ。いい人になろう。

いい人で生きよう。

それだけのことを分かり、そう私が残された人生を生きることができるために、今、ここがある。

感謝しよう。喜んで行こう。祈り続けよう。

神は全てを与え、全てを奪う。神の御名はほむべきかな。

全てのことに働き益としてくださることを、私は知っている。

また、還って来よう。生きるために。

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from: せみさん

2016/07/13 12:49:57

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クマさん代行です。

昨日、重い荷物を両手に持ってバスで病院に来た。病室に案内されて驚いた。何とここは一泊九千円の個室だった。手術の後に希望したが、ぴんぴんしている私には贅沢な部屋だった。看護師さんに話したが、部屋には空きがないそうだ。仕方ない。これも運命と諦めた。

手術のことを考えると落ち着かない。若松さんの本を読んでも言葉が響いて来なかった。どうしたのかと少し焦りながらも本を読んだ。私には何もないのだなぁと、ふとそう思えた。死者の想いなしを生きる。それが私の生きるの物語。忘れていたなぁ、繋がっていなかったなぁ、何をしていたのかなぁ。

そわそわと落ち着かないので病棟を歩いた。半年前ここにいた看護師さんたちは誰もいなかった。せっかく会いたくて戻って来たのにがっかりだった。人は代わる。そう言うものだと諦めた。この年になると諦めることが多くなってきた。

東京都知事選挙に鳥越さんが立候補した。74歳。四回の癌の手術。腹を切った人にしか分からない世界は必ずある。私はまだ二回目なんだなぁ。政策より腹切りの回数に頭が下がった。

最上階のレストランでホットコーヒーを飲んだ。ここの人たちは本当によくしてくれる。予告通りに私が病衣を着て現れたら、笑顔と共に寂しい顔を見せてくれた。これも運命と受け入れる。

人生で私に起きるあらゆることには意味がある。いや、その起きたことは、私のような弱い人への問いでもあった。さて、どう生きますか。そしたら、やっぱり行動と態度とで正しく人らしく生きてその問いに答えることだ。よき人として生きるのは、言った言葉ではなく、どう生きたかと言うリアルなんだから。

ここでじたばたしない。情けない態度はとらない。ただ静かに受け入れ、それに従う。その運命と言う私が望んでも期待してもいない現実が向こうからやって来たとしても、それを受け入れ、認め、闘う時は闘い、諦める時は諦める。ただし、人間らしく、その人らしく、その一つ一つの問いに向かって誠実に真摯な態度で答えたい。

これは弱い私のよいな人のどう生きたいかの願望でもある。まだ、本日は執行されない。しかし、人生とはやっぱり死に向かってのありがたい猶予期間なのだと手術を前に思う私だ。

終わりがある。限りがある。その限りが刻々と少なくなる。だから、どう生きますか。人生が私にどう生きるかをやっぱり期待しているようなのだ。

だから、少なくとも今日1日だけは、自分らしく生きたいと願っている。

夜中の2時に目が覚めてから、ラジオ深夜便を聴いていた。また、この病室生活が再開された。

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