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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/08/18 10:26:29

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    特養の契約

    S叔母の特養への契約が先日あった。
    二人の叔母と私の三人でM園の担当者と面談した。
    契約をするということは、S叔母の生活全面を施設に委託するということだった。
    だから、次々と契約書の説明があり、
    その度に私がS叔母たちに替わってサインをした。

    銀行で新たな通帳を作ることになった。
    その口座に叔母の年金が振り込まれ、そこから必要な費用は支出される。
    その会計の管理も施設に委託する。

    健康保険証や介護保険証等の書類も施設が預かって、管理する。
    税金等の手続きもここでやってくれるそうだ。
    何から何までお世話してくれる施設。
    それがS叔母が入ることになった特養だった。

    看取りについてという冊子が渡された。
    ここは叔母にとっての終の棲家となる。
    叔母は独身で、身よりは親戚の私たちしかいなかった。
    まだ手足が不自由でなく、自立した生活ができていれば、
    あの叔母の自宅で独り暮らしができたはずだ。
    しかし、こうして移動には車いすが必要な生活になると、
    もう自宅での生活は無理なことがよく分かった。

    自宅でのケアも介護保険を使って、
    ヘルパーさんにお願いすれば、できるかもしれなかったが、
    そのために、隣に住むT叔母や、他の叔母たちが世話に来なければならなかった。
    介護で、誰かが無理をすることは、続かないものだった。
    それは、私は父と母の時に学んだことだ。
    私がやります。
    でも、介護には土日はなく、夜昼もなく、寝る暇もなしだった。
    そんな無理は絶対に続かず、いずれは共倒れすることが目に見えていた。

    だから、今回の特養も、すぱっと決断して、私が少しだけのお手伝いをした。

    「みなさんは、最期の時をどうされていますか。」
    S叔母にとっては、自宅での最期の時は考えられなかった。
    「病院とこちらとで半々です。」
    「こちらで亡くなる方もいらっしゃるんですね。」
    病気で入院する場合の他は、ここで最期の息を引き取る人もいらっしゃるとのこと。
    「見取りについてのご希望ですが・・・・。」
    私は、そのアンケート用紙に、
    「心臓マッサージのみ。自然に任せ、延命処置はしない。」と書いた。

    自然に任せる。
    それが本来の人の生き死にであるのではないかと、
    父と母との臨終で私は悟ったからだ。
    すーと息を吸って、すーっと吐いて、去って行く。
    その瞬間はとても穏やかで、静かに消えるような臨終だった。
    それでいい。
    私もそうしてくださいと、妻には頼んでおいてある。

    この頭を取っ払ったら、人はどんなに楽しく、楽に生きられることだろう。
    人は、自然に生かされている。
    ただ、そのことを忘れているから、我がままや欲によって感情を乱されるのだ。
    何も考えない。何も心配しない。あるがままに任せて生きる。
    生きることは、考えなくとも勝手にやってくれている。
    ここで息を止めて死にたいと想ったとしても、そうはいかないと自然の身体だ。

    私は、このお腹の深い深い穴から、そのことを教えられている。
    そして、いつの間にか萎れて、
    溶けるようにして居なくなってしまったあの花たちに、
    その自然であるありようを教えられている。

    いつまでも生きられない。
    生き続けるということは、弱ること、衰えること。
    傷があったら蘇生する力は自然には与えられている。
    しかし、蘇生できない傷もある。
    全てのいのちは、最期を迎える。

    生きるということは、どうも私が想い描いていたものとは違い、
    とても単純で単調であるがままの繰り返しなのかもしれない。

    この身体の深い穴と、庭の草花たちとは、同じ言葉を語っている気がするからだ。
    そこに徹する。そこに落ち着く。そこに居られる。
    そんな気持ちをS叔母が持ってくれることを願っている。

    昨日、お見舞いに行ったら、テレビのある大部屋で車椅子で独りだった。
    「家に帰りたい。」
    「自分で歩きたい。」
    そう言いながら、S叔母は静かに涙が溢れて止まらなかった。

    私も同じだ。
    「元の身体に戻りたい。」
    「走りたい。泳ぎたい。山に登りたい。」
    でも、もうできない身体だ。

    さて、どう今日一日だけを生き延びるか。
    それが日々の私とS叔母との心の修養だった。
    健康で普段通りの生活ができる人には、
    この気持ちは決して分からないものだろう。

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