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from: クマドンさん
2016/09/24 06:04:06
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本心を思い出す旅を
さてさて、秋の庭仕事だ。
帰りにコメリに寄ってパンジーとビオラを買って来た。
寂しくなったプランタに花を植えようと想ったからだ。
花の苗を買う。
今では当たり前になったが、いつ頃からこうしているのだろうか。
父が生きていた頃は、この庭は落ち葉一つ落ちていない庭園だった。
花壇を作るなどめっそうもなく、
ただきれいなだけの、野草も生えない庭だった。
きっと私は、ある日から、花を植えようと想ったのだろう。
そんなことを考えていたら思い出した。
それは、私が心の病で休んでいた時、
今は施設に入ったS叔母が御見舞いくれた一万円のおかげだった。
私は突然、この庭のど真ん中に花壇を創ろうと土を買って来た。
プランタに腐葉土と培養土とを入れて、花の苗を植えたのもその頃だった。
きっかけは、心の寂しさだったのかもしれない。
私は、花を育て、ミニトマト等の野菜を育てた。
そして、日々水やりをしながら、その草花の成長を愛でて、励まされていた。
確かに、生きている草花は、私の心の支えでもあった。
何も語らない花たちだったが、それでもちゃんと言葉は私には届いていた。
その姿、その生き方、その枯れ方を通して、
私には、草花によって、生きるのそのものを教えられていたようだと想う。
庭に居ると、独りではなかった。
それはどうしてなのか説明はできないが、
庭に居ると、心が落ち着き、時間のたつのもすっかりと忘れてしまう。
あの頃、午前中はここに居て、音楽を聴いたり、本を読んだり、電話で話した。
ここを動かず、たったこの何坪かの面積の庭だったが、
ここに居て想ったり、考えたりするだけで、何か充実したものを感じていた。
もし、庭が無かったら、私はどうしていただろうか。
その孤独と不安と寂しさとで、どん底に落ち込んでいたかもしれない。
人の中に居ることが辛くて、耐えられなかった日々でも、
この庭には居たし、ここにいるだけで平安な気持ちになった。
どうしてなのか、今でも不思議だ。
自然であること。
自然のあるがままであることは、
この一本の女郎花が生きていることそのもののことだった。
悩まない。思い煩わない。心配しない。不安にならない。
それは、この枯れた枝から小さな芽を吹きだした紫陽花がしていることだった。
ただ今日を、一日を生きるだけ。
後は、全てお任せあれだ。
そんな心のなすがままの原点に、
この庭の自然が、私をそこに還してくれたのだと今は想う。
みんな忘れていただけなんだ。
その心を亡くしていただけなんだ。
しかし、そのまに日々を生きている草花には、
その心のあるがままが現れている。
生きると言うことそのままを生きている。
だから、心を病んでいた私は救われたのだと思っている。
本心を思い出す旅。
これからもこの小さな庭の宇宙の中で、
その旅を続けたいと願っている。
さて、これから庭に降りよう。
久しぶりに朝日が輝いている朝だから。-
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