新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2016/10/11 06:15:22

    icon

    S先生

    34年前になるだろうか。
    私は、新潟福音教会で洗礼を受けた。
    牧師さんは、S先生。
    私は、S先生が次の年度に東京の神学校の校長になって去ることを知った。
    私は、人生で初めて、この人だと想った人との出会いだった。
    生まれて初めて教会に行き、生まれて初めて出会った牧師が先生だった。

    彼は、まったく私が頭でっかちで考えていたキリスト教というものを、
    全部、一切、全て消し去ってくれた。
    私が馬鹿になってこれでもかこれでもかと語る言葉を、
    いつも笑顔で黙って聴いてくれた。
    もうなくなった。もう何も言えなかった。
    先生の前では、どんなに威張っていようが、ちっぽけなものだった。

    先生は、そんな私を放牧してくれた。
    好き勝手にやらせて、ほっておいてくれた。
    でも、ちゃんと眼差しは私に向けられ、
    私の名前を呼び、私に声をかけ、どうにもならない私のために祈ってくれた。
    難遇という言葉がある。
    仏道を本気で求める者とであうことは難しいという道元の言葉だ。
    私にとって、本当の師と出会うことこそ、その難遇だった。
    そして、私は、「この人について行かねば」と、本気で想った。
    「ここで躊躇して、迷っていたら、一生後悔する」と、何だかそう感じた。

    まさか、まさか、私が洗礼を受けて、クリスチャンになろうとは。
    洗礼を受ける朝、私の母はとても寂しそうな顔で私を見送った。
    「同じお墓に入らないんだね」と。
    私は、ただ今、そこで、やっぱりどうしてもそうせざるを得なかった。
    だから、私は教会に向かい、S先生によって、洗礼を受けた。

    しかし、私は、そんな人ではやっぱりなかった。
    その道がありながらも、その道を見失い、その道から外れた。
    どんどんと我が道を歩くようになり、
    時には、どん底になり、絶望もした。
    弱さは、私なんだと、そんな中でやっとやっと気付いたものだった。

    そのS先生は、今、79歳で北海道の日高で牧師をしている。
    その先生が、柏崎聖書学園にやって来て、聖書のお話しをされる。
    それわ知って、行かないわけはなかった。
    大事なことは、見過ごしにしてはいけないことだ。
    この難遇の機会を逃したら、私は再び会える日があるとは、誰も分からないからだ。

    柏崎に向かって高速を運転しながら、わくわくするその私を感じた。
    この喜びは、いったいどこから生まれて来るのだろうか。
    「逢いたい。逢いたい。逢ってただただ今の私を感謝したい。」
    何だか変な表現だが、こうして今をここで生きている私を、
    S先生に観ていただき、ただただ感謝したいそれだけだった。

    「先生がいらっしゃらなかったら、私は洗礼を受けていません。」
    「私の聖書の全てのページに赤ペンが入っているのは、先生の教えのおかげです。」
    「私が今でも力いっぱい賛美して、歌う喜びを感じているのは、
     ヨナさんのおかげです。」
    「ありがとうございました。」

    ただ、これだけを言いたくて、伝えたくて、私は柏崎に行った。
    到着して教会に向かうと、何と車からS先生ご夫妻が降りてこられた。
    「クマさん、クマさんでしょう。」
    35年間、私たちは会っていない。
    奥様は、満面の笑みで、私の手を握りしめ、悦んでくださった。
    S先生も、私に気付き、
    「クマさん、元気でしたか。今はどちらに」と、言われた。
    名前を憶えてもらえることって、こんなにも幸せなことなんだなぁ。

    聖会が始まった。
    前から二列目の中央に座り、お話しする先生の真っ直ぐ向かいだった。
    賛美しながら、涙が流れそうになることを、何度も何度も堪えた。
    「歌う。本気で歌う。感謝して歌う。賛美する。」
    それは、先生が私に伝えてくれたことだった。
    私には、何もなかったが、この歌声は、恵まれたものと信じている。

    先生に私は、一枚の色紙をお願いした。
    そのみ言葉を糧にして、日々精進したいからだ。
    午後の聖会の前に、「クマさんへ」と色紙を渡された。

    言葉は、やっぱり命だった。
    言葉は、やっぱり生きるそのものだった。
    先生の手によって、その言葉は私に伝えられた。
    私は、どうするか。
    その言葉を、ただ生きるだけなんだ。

    今、ここ、ここに生きているクマは、
    そうした言葉で創られたクマであった。
    深いところからの言葉だけが、いのちを愛し、育てる糧となるんだ。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件