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from: クマドンさん
2016/10/19 06:10:38
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歌を歌う
さてさて、どうしたもんじゃろうかなぁ。
一昨日からs叔母が、施設から帰宅している。
いつものようにエビスビールをご馳走になりに行った。
昨日は寿司を用意してくれていた。
久しぶりの生寿司だった。
これには、哀しいわけがあった。
それは、施設の方針でこうした一時帰宅を、
来年の春までできなくなってしまうそうなのだ。
寒い季節に帰宅して、もし感染でもしていたら、
施設の他の人たちに迷惑をかけるという理由らしい。
何だかおかしな理由だと思っても、それがルールなんだから仕方ないそうだ。
S叔母は、その話を聞かされ、
途端に不機嫌になり、
お寿司を食べながらもイライラと怒っている風だった。
そうだろうなぁ。
帰りたいのに、帰れないのだもんなぁ。と、私にも言う言葉はなかった。
「生きるって難儀らね」と、私の隣に座るM叔母が、ぽろりとこぼした。
「クマさん、生きるって難儀らよ。」
82歳。独り暮らし。二人の子どもは東京と上越だ。
朝と夜には、安否確認の電話がある。
時々は外出もするようだが、一日自宅で人待ちをしていることもある。
快活明朗。ただ只管我が道を突っ走った叔母であったが、
その一言が重かった。
生きて来たこれまでをいつも振り返っているようだ。
夫である叔父さんが亡くなってからは、もう20年はたつだろうか。
叔父さんは、62歳で癌で亡くなった。
58歳で長年勤めた会社を退職し、残されて月日を旅と写真とドライブで、
日本中を叔母や、私の亡くなった両親と周った人だった。
だから、叔母は、悔いが無いと言っている。
この家のT叔母の夫も、64歳で癌で亡くなっている。
みんなこれからの人生だったのに、でもそれが事実だった。
90歳のA叔母を頭に、80代の叔母が三人集まった。
話はやっぱり、余生のことと、日々の暮らしの難儀さだった。
みな夫に先立たれ、独り暮らしで生きている。
生きていることがやっとな生活。
私には、どうしてやることもできなかった。
ただ、このS叔母の一時帰宅のおかげで、
こうしてみんなが顔を合わせて、エビスで乾杯の機会を与えられた。
何が災いであり、何が不幸なのかは、分からない。
S叔母が倒れて車椅子にならなかったら、
叔母たちともこうして語り合うこともなく、
叔母たちもこうして互いに集って、愚痴を言うこともできなかった。
ある意味では、S叔母には感謝だった。
でも、しかし、どうにもならない。
こうして集まると、まだ私が幼かった頃の叔母たちのことが思い出される。
当たり前だが、みんなみんな若かった。
私は、この叔母や叔父たちから、大人であるとはどんなことなのかを教えられた。
そして、いつもいつもみんな集まると歌を歌った。
私の歌のルーツは、叔母と叔父たちにあったのではないかと、今、気付いた。
「クマさん、歌って」と、飲んだ席で叔母たちには言われる。
「叔母ちゃん、歌集あるけ」と、歌集をもらって、懐かしい歌詞を開く。
「西田佐知子らね」と、「アカシアの雨」を歌う。
S叔母は、長兄の出征する姿が忘れられず、いつも軍歌を歌う。
亡くなった叔父の好きな歌は、「トロイカ」だった。
みんな歌には、大事な大事な思い出が沁みこんでいた。
そして、歌うと、思い出す。
亡くなった母がいつも歌っていた歌が「月の砂漠」だった。
私は、歌いながら、涙を堪えた。
車椅子に座り、私をじっと見つめながら聴いている叔母に歌いながら、
何度も何度も感極まりそうになった。
「ごめん。俺は、叔母ちゃんに何にもしてあげられないね。」
老いと病の前に、全く無力な私だった。
しかし、そうやって歌ううちに、叔母も一緒に歌いだし、
いつの間にか座敷には笑顔が溢れた。
「事事倒算 事事如意 事事不応 事事歓喜」 観音経
本当だなぁと、今朝、澤木さんの本を読みながらそう感じた。-
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