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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/10/24 06:07:53

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    茄子を仕舞にした

    もうすでにどうなることになるかは決まっているのに、
    ただ本人が自分のことすら知らないだけだ。
    それはここに在るのに、在ることすら気付かないで生きている。
    なるように事はなる。
    きっとそうなんだろうなぁと、想うことが多い。

    土曜日の朝、茄子を仕舞にした。
    まだ枝も元気で、茄子の実を幾つもつけていたが、
    その茄子が元気がなくなったからだ。
    まず茄子の色が、掠れて薄くて茄子の紫ではなくなった。
    触るとぽにょぽにょと弾力があり、張りがなくなった。
    枝にぶら下がってそれなりに大きくなったが、
    元気がなかった。力がなかった。美味そうではなくなった。

    そうか。茄子も老いるのか。
    そう感じた私は、秋茄子に感謝しつつも、この木を仕舞にすることにした。
    隣に茂っているピーマンもそうだった。
    5つも実を付けていたが、あの夏の頃のつやとしまりがないような気がした。
    終いの時が来たら、やっぱり仕舞にしてやればいいんだなぁ。
    その最期のピーマンは、まだ食べられずに皿の上に乗っている。

    「聖人に己なし 己でないものはなし 天地同根 万物一体」

    澤木さんから、こんな言葉を教わった。
    数年前は、もう少しこの言葉からは遠かったかも知れない。
    大事な言葉だからと、そのページの脇に自筆で写し書いている。
    今朝もやっぱりこの言葉に出逢った。
    そして、また今は今の私としてこの言葉を書いた。
    何度書いても同じじゃないかとは想えない。
    不思議と、沁み方、分かり方が違っているように感ずる。

    茄子を仕舞にし、ピーマンを仕舞にした。
    それは毎年のことだったが、何だかその終い方の丁寧さが違う気がする。
    終いになったら仕舞わねばならない。
    それは当たり前のことだが、
    その当たり前のことが、私のことのように感じられるのだ。

    この弱り、老いた茄子は、私だよ。
    知らず知らず、自分のことでありながら、
    身体に起こっている日々刻々の変化については、
    感じずに済ましていることが多すぎるのだ。

    腫瘍の疑いがあります。
    ああ、やっぱり我も彼だったなぁ。
    彼も、我だっんだなぁと、ただその瞬間に一つになって感じられた。
    自らが体験するとは、こういうことなんだ。
    その時、その言葉は、言葉として語りだし、私に何かを諭してくれる。

    茄子も我。
    ピーマンも我だ。
    天地同根・万物一体。

    なるようになる。
    きっとそうなっているのだから。

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