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from: クマドンさん
2016/10/27 06:03:43
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さて、どう生きる。
先週届いた、左腎臓腫瘍疑いの通知。
これが何だかずっとずっと心に重く響いていた。
昨年の11月の内視鏡手術失敗から、本当に一年間は、
3度の手術と、3度の入院、長期の自宅療養だった。
その間、私は日常生活すら満足にできず、ただただ静かにここで暮らした。
しかし、確かに腹膜炎では3日間のICUで生死の中を彷徨ったが、
「クマさんのは、治る病気だよ」と、主治医に言われて退院した。
そんな病気で私は救われたことも確かだった。
だから、こうしてヘルニアの手術の後、腹筋はこりこりに固まってしまっているが、
一日一日回復へと向かっている。
何よりもこの身体から学んだことは、蘇生する力だった。
それを自然の治癒力と言っている。
その治癒力は本当に存在していることを、そして、その力が確かに働いていることを、
私は、自らの身体をもって実感した。
しかし、もしこの腫瘍が悪性の癌であったらどうだろうか。
昨日の「ガッテン」で大腸癌で亡くなる人が年間15万人だと知った。
こうしていても癌で亡くなっていく人は、存在している。
それは、まさに他人ごとではないのに、私はすっかりと忘れて生きている。
忘れていたなぁ。
自分がいつか必ず死ぬということを。
実感していなかったなぁ。
自分も癌になるかもしれないということを。
人は、我であり。我は、人なんだ。
みんな生きているものは根底で繋がっている。
これは、ある禅僧の言葉だが、何だか最近は実感させられている。
体験しなくては、人はきっと悟らないのだろう。
本当は、この一大事を分かって、仏とひとつながりで生きること。
そのことが、その三昧こそが人生の意味なのに、
私は、日々の我執の迷い、煩悩、欲望で、いつもその事実を見失っている。
そんな時だ、知らせが届くのは。
「さて、腫瘍があるかもしれませんよ。」
「精密検査して調べてもらったほうがいいですよ。」
「手遅れにならないことを祈ります。」
随分と脅かされた。
しかし、そうでもしなければ、この無常迅速の命のことをすっかりと忘れ、
生死事大であることすらすっかりと忘れ、
ちっちゃなことに腹を立て、ちっちゃなことにくよくよとして、
何とも何とも情けなく生きている凡夫のままなのだろう。
この腫瘍疑いの知らせは、天からの知らせでもあった。
「どう生きるんだ。」
忘れて、ぼんやり生きていた私に、「今、ここ」を向こうから迫って来た。
もし、私に蘇生する自然なる治癒力があるのなら、
きっとここで生まれたであろう腫瘍と和しながら、
その脅威を抑えつつ、余命を告げられながら、
それでも弱りながらも今日を生きるだろう。
その時、私が悟ることは何だろうか。
昨日、N大でCTを撮った。
結果はまだ来ない。
どんな知らせが私に届くのだろうか。
それは、天のみが知ることだ。
きっとまたそこから新たな修業が始まるのかもしれないなぁ。-
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