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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/10/30 08:11:02

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    3回目のまち歩き・八一との出会い

    昨日、まち歩きの3回目だった。
    西大畑のお屋敷界隈のまち歩き。
    いつもあることを知りながら、いつか行ってみようと想い、行かない場所。
    そんな場所は、みんな多いのだと昨日は改めて感じた。

    カトリック教会の中に入った。
    厳粛な空気感だった。
    静寂は、ステンドグラスから温かな色の豊かさでもあった。
    新潟市で最も古いパイプオルガンがあった。音色を聴きたかった。
    ここで、友は結婚式を挙げた。
    庭に出で驚いた。ルルドの泉が模して造られていた。
    行ってみないと分からないものだ。

    異人池は、この教会を建てた神父さんたちが、
    井戸を掘ったら湧水が溢れ、
    それが砂丘に大きな池を造ったことを初めて知った。
    それで名前が「異人池」の意味がよく分かった。
    聴いてみないと分からないものだった。

    ドッペり坂の階段はちょうど59段だった。
    60点で試験は合格点だ。
    古町ばかり遊びに行くと、
    落第するぞとのこの洒落が面白い。
    「ドッペル」とは、ドイツ語で「二重」という意味だそうだ。
    案内板を読まないと分からないものだ。

    「砂丘館」は、私の好きな建物の1つだ。
    あの座敷に座って、ぼんやりと、のほほんと庭を観ている。
    それだけで、何だか心がすーっと落ち着いて来る。
    時間を忘れてここに居たい。
    やっぱり日本人なんだなぁと、
    日本庭園を観ながら、ここだと感ずる自分と出逢う。
    そこに行って、自分で観ないと分からないものだ。

    坂口安吾の生誕の碑を初めて見た。
    撰文は「石の想い」からだった。
    海や松や、風や砂丘に故郷を感じ、彷徨った青春時代だった。
    安吾はここに生まれた。私は、高校時代に安吾に救われた。
    彼が居たなら、私だって生きていたっていいではないかかな。
    「偉大な落伍者」に、まだまだなるまでにはやっぱり途中のようだが。
    尋ねてみないと分からないものがある。

    「行業亭」は、昔鶴を飼っていた。
    ふの土蔵にある鶴は、職人がこてでその場でこさえたものだそうだ。
    職人が亡くなっても、その人の技は残される。
    主人がいつも゛「粋ななり」をしていたので、この名になったそうだ。
    調べてみると、面白い話があるものだ。

    斎藤家の庭は見事な庭だった。
    回船業・化学工業・銀行業で財を成した、財閥だったそうだ。
    門から玄関までの距離が短いのは、
    母屋を道路に近づけて、広大な庭の敷地を確保するためだったそうだ。
    真ん中に大きな大きな池がある。
    そこに奥の斜面からごうごうと水が落ちている。
    針葉樹と広葉樹が7対3で植えられているそうだ。
    砂丘の自然な地形を生かした雄大なる庭でもあった。
    その景色と向き合うことは、自分と向き合うことだと感じた。

    さて、私はみなさんと別れてから、隣の「北方博物館分館」に行った。
    アルビの試合の時刻が気になりながらも、
    これを逃しては再び訪れることがないように感じたからだ。
    450円は、少々お高く感じられたが、
    入ってみて、分かった。
    ここには、「八一」が生きていた。

    最晩年の十年間。失意と孤独と哀しみの中で、ここで八一は書を書いた。
    飄々とした着物姿の八一の写真が微笑ましい。
    「あき乃」の親父さんは、八一の大ファンだ。
    昭和31年まで、ここで彼は生きていた。
    小学生は、その蓬髪と風貌から、「ライオン」とあだ名したそうだ。
    子どもが好きで、笑顔で子どもたちの様子を見ている写真がある。
    さてさて、私は畳に座って掛け軸をじっとじっと見て、読んでいた。
    八一の字は、ひらがなだった。
    それも、上手いのかなぁと思えるひらがなだ。
    「俺の字に似ているなぁ・・・」とは、罰当たりな話。
    でも、そんなひらがなの八一の書が懐かしかった。

    そして、庭がやっぱりそこにあった。
    私は、彼が座って庭を観ただろう所に座り、眺めるともなく眺めていた。
    すると、何だかふと哀しくなってしまった。
    孤独な八一をこの庭はきっと慰めてくれていたんだろうなぁ。
    庭は、友だなぁ。

    帰りに「あき乃」に行って、アルビの勝利を願って大盛の蕎麦を食べた。
    「親父さん、八一のところに行って来たよ。」
    「そうですか。」
    その声で、どれだけ親父さんが八一のことを好きなのかよく分かった。

    八一の十年間。
    もっと研究すべきだなぁと、勘定を払いながら、ふっと想った。

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