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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/11/16 06:12:43

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    懐かしい人たち

    さてさて、昨日もこれを書いていた。
    しかし、それはどこにも存在しない。
    何故ならば、またメンテナンスのために通信不能となったからだ。
    何度同じ失敗をしたら気がすむのだろうか。
    私は、しかし、腹が立たなかった。
    それは、そこで考え、気付いたことは、
    その文章が消えてしまってもなくなっていないからだ。
    それは、コトバとして私の身体にそうして止まり、宿っている。

    亡くなった人たちの懐かしさを想っていた。
    そう言えば、私が教えられた人たちとは、
    もうこの世に居ない人たちが多いなぁと気付いたからだ。

    東北大震災の後、私は、若松英輔さんのコトバと出会った。
    「魂」の存在を傍らに感ずる。
    私は、それから池田晶子さんのコトバを読んだ。
    私は、それで考えることの大事さを教えられた。
    道元さん、良寛さん、沢木興道さん、ソクラテスさん、イエスさん。
    何だか、その人たちが生きてコトバを遺していってくれたから、
    ここでこうして生きていられるような気がした。

    それは、父や母も同じだった。

    昨日、葛塚市に行って、オニビシを買った。
    福島潟で採れるオニビシは、ここでしか買えなくなった。
    それも、季節外れのこの時期にオニビシを持っている人と出会うことは奇跡だった。
    奇跡は、こうしてちゃんと起こった。

    亡くなった母がまだ生きていた頃、私は秋になるとこのオニビシを市場で買った。
    母は、このオニビシが大好物で、あの固い固い棘のある殻を歯で割って食べた。
    とにかく好きで、好きで、たまらないようだった。
    だから、私は季節になると、豊栄で情報を集めて、このオニビシを求めた。

    「私が死んだら、仏壇にこのヒシをお供えして。」
    これが、ヒシを食べて居る時の、必ず言う母のコトバだった。
    私は、母には、やっぱりこの季節、ヒシを食べさせてあげたかった。
    だから、昨日、市でオニビシと出会えて、奇跡を感じた。
    母を感じた。
    これで、今年も母の願いを聴いてあげられると嬉しかった。

    コトバだなぁと、想えるようになった。
    コトバで生かされているなぁと、この年になるとようやく気づける。
    冷酒と親の説教はと、昔の人はよく言ったものだ。
    やっと私も、それが身に沁みて効いて来る年になったようだ。
    コトバで、私はやっぱり生かされてきた。

    亡くなった山の友たちもそうだった。
    みな私の人生の先輩である。
    山を通して縁があって知り合い、共に二十年以上も山に登った仲間たちだ。
    その生き方、そのコトバが、時々思い出される。
    あの笑顔、あの言葉、あのごっつぉ、あの意欲。
    私は、彼や彼女たちの生き方を見て、その背中を見て、その想いを感じて、
    コトバを受け取り、その一つ一つを宿してきたのかもしれないと、
    感謝している。

    父も母もそうだった。
    今は既にこの世には居なくても、やっぱりここに、この傍らに居てくれる。
    亡くなった人こそ、懐かしい。
    それは、ここに居てくれるからだと私は想う。
    良寛さんだって、ここに居る。
    人は、決して居なくなりはしないのだ。

    先日、あき乃で、八一さんの晩年の話をした。
    彼が亡くなるまで四年間過ごした屋敷は、北方博物館の分館となっている。
    私は、八一さんのことをよくは知らない。
    名前だけは知っていたし、「学規」は私には大事なコトバになっていた。
    しかし、懐かしい人としては、私の中には存在していなかった。
    しかし、あの八一さんの座敷から、枯山水の庭を観降ろしていた時、
    ずんと、彼の老いの孤独が感じられた。
    彼は、いったいどんな想いでここに暮らしていたのだろうかと。
    それからだ。八一さんが、とてもとても懐かしい人になった。

    あき乃で八一さんの話をしたら、自然に涙が流れて、止まらなくなってしまった。
    恥ずかしかったが、嬉しくもあった。

    何だかねぇ。
    大谷さんもそうだが、あっちに行って懐かしく想う人が増えている。
    こっちでは、やっぱり懐かしい人と語り合っているが、
    何だかコトバを生きた人たちは、
    やっぱり友としての懐かしさを感じられる人たちだ。

    昨日、書いた文書は消えても、
    この懐かしさは、死んでも決して消えないものだろう。
    何故なら、その人たちときっと邂逅できるのだから。
    懐かしい人たちは、故郷で暮らしている。

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