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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/12/15 06:25:46

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    不思議しかない

    ああ、不思議を生きているなぁと、感ずる。
    毎日毎日、今、ここで、起こること、出会うこと、
    それをみんな不思議なことと想うこと。
    そうすると、何だか向こうから与えられた意味のようなものに気付くようだ。

    何とも言えないが、きっとその意味は、生まれる前から恵まれている。
    その意味を「わかる」ために、ここで私は、今朝、目覚めた。
    だから、今日の一日の生活とは、その意味を意味する生活になる。
    生きていること、そのことだけで、それでいい。
    きっと「いかに生きますか」とは、その意味そのものの問いだからだ。

    不思議なことが、多すぎる。
    本当は、不思議だらけではないのかと、この前Sさんと語り合った。

    昨日、N大の外来だった。
    すっかりと穴がふさがり、傷が治った。
    主治医のS先生は、人間的にも医師としても素晴らしい人だった。
    そんなに尊敬できる人と、こうして病のおかげで出会えた。
    やっぱりこれも不思議なことだ。

    外来に行く度に病室を訪ねる。
    それは、看護師のMさんに会いたいからだった。
    私が手術から三日後、やっと個室に戻った時、彼女が担当だった。
    動くこともままならず、紙おむつをして石のようになっていた私を、
    「クマさん、明日から歩きますよ」と言って、立たせ、歩かせた人だった。
    実に素敵な人だった。
    私は、彼女の看護師としての真摯で実直で誠実な姿に感動していた。
    お世話になっている。優しく労わられている。
    そのことは何もできなかった私には、ありがたくて、ありがたくてだった。
    彼女もまた、不思議な人だった。

    病室を訪ねる本当の目的は、80歳のKさんに会うためだった。
    私が個室から四人部屋に入った時、
    そこには、既にKさんと、Hさんが入院し、大手術を待っていた。
    矍鑠として、何とも言われぬ威厳と共に、優しさを感じさせるKさん。
    Hさんとの話を聴きながら、
    上越で小学校の校長をしていた方であり、
    油絵を描き、昔はスキーで指導員のバッジをとった人でもあることを知った。
    いつも図書館から借りた時代小説を読んでいた。
    寡黙だが、何とも存在感のある人だった。

    私は、まず病室のカーテンを開け放した。
    隣のHさんとは、お互いに丸見えの生活だった。
    しかし、Hさんはいつもしゃんとして、自分のカーテンの中での生活を保った。
    それでも、開け放つ時は開け放し、あけっぴろげに昔話を聴かせる。
    実に、実に、含蓄のある深い気づきのお話しだった。
    私は、やっぱり年をとらねば分からないものだと、
    そのお話を聴きながら、いつもいつも深い気づきを与えられた。

    そして、私は、8月に退院をした。
    何だかとてもとてもKさんと、Hさんとは別れ難いものを感じた。
    同じ期間、病室を共にしただけの二人だけれど、
    どこか深いところが同じで、何だか共に生きている同志のように感じたからだ。
    出会いとは、不思議なものだ。

    それからだ、外来の度にこの病室を訪れ、Hさんと、Kさんとを見舞った。
    Kさんは、手術をしたが肝臓の回復が予想より劣っていたので、
    摘出しないで、そのままで退院された。
    今は、抗がん剤による治療を自宅で行っていると聞いている。
    彼の回復を心から願っている。

    Kさんは、この12月で9カ月の入院生活だった。
    手術の結果が望んだほどではなく、術後の経過を看るための入院生活だった。
    80歳。すごい人だ。かく生きたいと、彼を見て想ってしまう。
    何だかその存在感から、私は想わず「K先生」と呼んでしまう。
    何かを伝え、教えられる人は、そのままで感化する人間力をもっていた。
    生きるには、本当に生きている人と出会うことである。
    かくありたい。そういう人に出会うことで、生きるが分かる。
    私は、とてもとても懐かしく、そして、温かな気持ちで、Kさんとは語り合える。

    彼が、東京交響楽団の会員で、年間シートをご夫妻で維持していることを知った。
    音楽もですかーーー。
    飯森さんという名指揮者の話で2人で盛り上がった。
    何でも知っていた。そして、何でもやって、何でも深く感じて、動いた人なのだろう。
    私には、Kさんの語りから、彼の生き方そのものが感じられた。
    年をとるということは、もっともっと新鮮になるということだ。
    枕の上の壁には、正岡子規の短歌が、達筆な筆文字で書かれてあった。
    病の床で伏せながら短歌を書き続けた子規か。
    京大に入学したお孫さんが送ってくれた短歌だそうだ。
    「女なのに、理工学部ですよ」と、笑顔だった。

    さて、お別れの時刻になった。
    私は、昨日でS先生の外来を終了した。
    つまり、S先生にも、Mさんにも、予定外のことがなければ会えない身となった。
    K先生は、来週上越の息子さんが勤務する病院に転院する。
    つまり、この病室から、K先生の姿は消える。
    「そうですか・・・」
    私は、どうしても連絡先が知りたくて、住所と携帯の番号を手帳に書いてもらった。
    「それでは、お元気でね」と、固く固く握手した。
    K先生を見つめたら、何だか泣けそうになってしまった。
    「今生の別れ」とは、このことだろうか。

    この出会い、全てが不思議なことだった。
    人生は、不思議に満ちている。
    いや、不思議しかない。

    今、ここ、とは、その不思議を感じ、不思議に感謝しつつ生きること。
    N大を去る時、何とも言えぬ深い深い感慨を覚えた。
    今日も、不思議を感じて一日だけ生きることにしよう。

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