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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016/12/26 11:11:26

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    魂に宿るとは

    昨日は小千谷での「途中の会」だった。
    ちぢみの里の温泉に入って私たちが夢中になったことは、
    何とアルビレディースの皇后杯決勝の応援だった。
    とにかく「これがサッカーだ」とばかりに、彼女たちの闘いに声援を送った。
    どうしてこんなに夢中になってしまうのか。
    PKでの負けはとてもとても残念だったが、
    よくここまで闘ったと、その健闘を小千谷の温泉からエールを送った。

    そして、場所を変えて、Oさんを語る会への参加だった。
    会には20名近くの年配の男女が集っていた。
    Oさんの人柄を忍び、Oさんに感謝したい人たちがここに居た。
    会の始まりが、私たち「途中の会」の言葉からだった。
    私が新潟へ帰る電車時刻があるために、始めの言葉としてくれた。

    私は、SさんのOさんとの出会いの話を聴きながら、
    何か不思議を深く深く感じていた。
    新潟に住む私が、こうし小千谷のOさんと知り合い、
    ほんのささやかな出会いであったのに、ここでOさんのことを語るとは、
    何だかそれがそうあるように私たちが出会う前から決まっていたような、
    何とも言えない不思議な感じだった。

    私は、Oさんのことを讃える文を読みながら、何度か涙で言葉が詰まった。
    それでも、この言葉を最後まで読むことが、
    私からのOさんへの大事な供養だと想い、最後まで読み続けた。
    不思議なのだが、
    私はその言葉一つ一つをOさんに聴いてもらっているように感じた。
    いつものように静かな笑みをたたえ、肯きながら聴いているOさんがそこに居た。
    そうか、言葉とは、あの世とこの世とをちゃんとこうして行き来するものなんだなぁ。
    何だかそんな時間の流れを読みながら感じた。

    ひとりひとりがOさんとの出会いと思い出を語る番になった。
    「私が、離婚した時・・・・」
    「私が小千谷に来て、失業していた時・・・・」
    「私が稲刈りしていたら・・・・」
    何だか、それぞれが苦難や助けを求めて居る時に、
    Oさんは傍らに居て、その話を聴き、その人のために働き、
    その人の心に感謝の念を遺して、何もこだわらずに飄々と生きていた。
    そんなOさんの生き方が、次第に私には懐かしくなってきた。

    Oさんは、聴く人だった。
    Oさんは、語る人だった。
    Oさんは、助ける人だった。
    きっとOさんは、困っている人が傍に居たら、ほっとけなかったのだと想う。
    「見過ごしにできない」は、私が書いた劇「明和義人」のテーマだった。
    彼は、89歳でこのよにサヨナラするその間際まで、
    そうやって生きて来た人だ。

    「ああ、良寛さんだなぁ」と、やっと私は良寛さんが分かった気がした。
    Oさんを語る叔母ちゃん、おじちゃん、独り独りの魂に、
    Oさんの面影は宿っていた。
    それは、やはりOさんがこうして魂に還ったからなのだと、私は感じた。
    魂であれば、誰の魂にも同時にいつでも邂逅できる。
    そして、Oさんは優しい哀しみを知る人として、
    そのひとりひとりの胸の中に宿っている。
    不思議なのだが、そうとしかいいようのない存在感をOさんには感ずる。

    人は、かく生きたいものだと、そう感じた。

    これは、日曜日に私がここで書いた問いへの答えでもあった。
    まさに、Oさんは、Oさんの生き様を通して、
    私に「いかに生きるべきか」を教えてくれた。
    つまり、そのことを私か学ぶためのこの縁であったのだ。
    Sさんを通して私はOさんと出会えた。
    出会った時は、その出会いの大きさが分からなかった。
    しかし、Oさんには、何でもお見通しだった気がする。

    私の話を聴きたがってくれた。
    じっくりと、しっかりと、深く深くで肯き、受け止めてくれた。
    そして、Oさんを語ってくれた。
    含蓄のあるまさに底の知れない話だったと改めて想う。
    「隅におけませんね」と、私を笑ったこともある。
    ああ、お見通しだった。

    さて、どうだろう。
    人は、在ることはできる。
    しかし、この在ると言う生き方が難しい、難しい。
    人は、傍の人たちの魂に宿ることもできる。
    しかし、それは並大抵の生きた方ではそうはならない宿りだった。
    私は、だから、やっと、良寛さんがここで分かった。

    きっとこのOさんを語るようにして、
    遺された村の人たちは、それぞれの良寛さんを語ったことだろう。
    それは、そのひとりひとりの魂に良寛さんが宿っているからだ。
    何をしたわけではなくても、何だか無性に懐かしい人。
    そんな宿りをできる人とは、実は稀有な生き方をした人ではないだろうか。
    しかし、それを誇らず、語らず、自慢せず、ただなんとなく生きている。

    道端の地蔵様のようなものだろうかなぁ。
    地蔵様はずっとずっとそこに居なさるのに、
    普段の生活の中では、忘れ、気付かず、見向きもされない。
    ところが、私が母の余命を知って哀しみに在った時、
    あの宝町の地蔵様が呼びかけてくれたように、
    困った時、哀しい時、辛い時、苦しい時に、
    ふと、人は道端の地蔵様のことを思い出して、祈ったりするのだった。

    Oさんも、良寛さんも、同じ故郷の魂の人だった。
    憂いの人であり、慈悲の人であり、傍らに立つ人であり、施無畏の人だ。

    でも、情けないくらいに家族からは理解されていないし、尊ばれていない。
    亡くなってから、私たちが語る言葉によって、
    やっとそのOさんのことを感じ、知り、そんなこともあったのかと想うだけ。
    その姿を見て、私は何だか安堵した。
    良寛さんもそうだったなぁ。
    乞食坊主の名主の長男を、家族はどんなに見ていたことかと。

    さてさて、生きる道は、ここにある。
    私も59歳になった。
    これから副腎に見つかった腫瘍のことでN大の外来に行く。
    人は、明日は分からない。
    それでいい。
    Oさんのように生きたいものだ。
    そんなことを私が言ったら、きっとOさんは笑っていただろうなぁと今も想う。

    Oさんは、こんな私のちっぽけな魂にも、いつまでも宿ってくださいね。

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