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from: クマドンさん
2017/01/21 07:09:11
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臼歯が抜けた
昨日、夜、歯を磨いていてら、ぽろりと奥歯が抜けた。
臼歯とうのだろうか。
あの一番奥にある、大きな歯だった。
歯槽膿漏が進み、歯の骨が溶け、ぐらぐらだった歯だ。
医師からは、「抜いたほうがいいですね」とも、言われ続けた。
時には、炎症を起こして激痛だった。
酷い時は、食べるどころか、痛みのために涙が出たこともある。
とにかく歯茎の汚れが一番よくないとのことなので、
せっせせっせと歯磨きを続けた。
その効果なのか、暫くは痛みがないまま過ごしていた。
しかし、いつもいつもぐぐらで、
食事の度に違和感を感じていた。
歯というものは、何事もなければ、気付かれもせずに働いているものだ。
本当に身体のために大事な働きをしているのに、
私は、何も感謝せずに、美味しい食事をいつも食べていた。
ところが、こうなってみると、その存在の在り難さがよく分かった。
そうか、そうだったんだ。
この奥歯があってくれたから、
私は食べたものをしっかりとかみつぶして、
胃に送り込むことができたんだ。
弱ってへとへとになりぐらぐらになってしまった奥歯を舌で確認しながら、
「もう、二度とは戻らないだろうなぁ」と、寂しくもなった。
そして、ポロリだった。
その臼歯、なかなか立派な大きさだった。
風格すら感じられた。
絵に描いたように根っこが三角についていた。
私を50年以上も支え、生かしてくれた臼歯だった。
何だかとてもとても感謝したくなってしまった。
「歯さん、ありがとう。本当によく頑張ってくれたね」と。
そして、その臼歯を手に取って眺めているうちに、
何とも不思議な気持ちになってしまった。
そうか、きっと私は、自分が死んで、その身体から自由になったら、
この臼歯と同じように、自分の身体を見つめ、触り、撫でて、
感謝するのだろうなぁと。
ふと、この臼歯と私の身体とが同じものに思われたのだ。
歯を、私は鏡でしか見たことはない。
自分の目で、直接自分の歯を見れないからだ。
それは、当たり前のことなのに、何だかそう思うと、
私のことをそうやって対象物として見ることは、
生きている間、一生ないのだなぁと私は初めて思った。
つまり、私が私の身体を見つめ、ありがとうと感謝する時は、
私が亡くなって、魂として在るようになっとその瞬間からだけなんだと。
例え、私の裸の身体を鏡に映しても、
そこで私が見ている私の身体は、直接私が見た私の身体ではけっしてない。
私が、私の身体と対面できるのは、
私が、私の身体から離脱したその時なんだ。
きっと私の髪を撫で、頬に触れ、腕を撫で、足を摩る。
そのとき、どんな気持ちで身体に触れているのだろうか。
そんなことを、この一本の臼歯が私に教えてくれた。
昨日、ふと、眼差しを感じた。
いや、魂とは、目なのではないかと、想ったからだ。
上手く語ることはできないが、
そう感じると、何だかその場所が眼差しで溢れた場所に感じられた。
眼差しを感じる。
そして、きっと私も亡くなったら、その眼差しとして、
この子たちを見守っているのだろうなぁと、
魂のままの私も同時に感じた。
そうなったら、もうこの身体は無くなる。
眼差しと想いだけの存在。
父も母も、眼差しとして、想いだけの存在として、ここに居てくれると、
私は、信じている。-
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