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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/03/26 07:17:37

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    人は、葦だよ。

    身体のことをよく考える。
    というよりか、身体の方から、いろいと声がかかって来るからだった。
    今も、この椅子に座っていると、坐骨神経が痛んでいる。
    リハビリのつもりで、少しずつ筋肉を使い、
    縮まったままの筋を少しずつ伸ばそうとここに座っている。
    それも、身体からの声掛けのおかげだ。

    痛みと言うのは、身体が身体に向き合ってほしいと言う素直な声と感じている。
    痛いと感ずるとき、その部分は、それ以上動かしたら、
    壊れるか、修正の効かない重症な状況になるということへのサインだと思う。
    その崖っぷちが、あの激しい痛みだった。
    その前には、ちゃんと小さな声で警告を発しているのだが、
    その声を聴かない。
    時には、過信して、その声を聴きながらも無視をする。
    その挙句が、この私だ。

    人間は、葦である。
    やっとその意味が分かる年となった。
    この身体は、庭に生えている、野草や花のようなもの。
    あの百日紅や梅の樹木と同じなんだ。
    つまり、自然に生かされ、自然のままを生きているということだ。

    野草や花や樹木には、水と空気と土と風と雨と雲とが必要だ。
    自然の恵みによって、日々を生かされている。
    だから、考える必要はなく、あるがままにあるがままを生きている。
    春を前にして寂しい庭だが、ヒメオドリコソウが逞しく咲いていた。
    植えられたわけでもなく、育てられているわけでもなく、
    ここぞとばかりに育っている。

    人の身体も同じだった。
    身体も、自然の恵みで生かされているものだった。
    骨があり、肉が在り、神経が在り、筋肉がある。
    胃が在り、腸が在り、心臓が在り、脳がある。
    それは、この野草と花と樹木と同じだ。

    人もまたその身体を維持し、生きて行くためには自然の恵みが必要だ。
    水と空気と土と風と雨と雲。
    山の恵みに、海の恵み、田んぼの恵みに、畑の恵み。
    それを食べて、人は人の身体を生きている。
    そう考えたら、やっぱり人は、葦なんだ。
    それも弱い弱い葦である。

    考えるようになったのは、
    身体が身体としての存在感を表して来たからだった。
    そうでなかったら、私は、身体のことを忘れて生きている。
    突然の胆石の激痛だった。
    突然の坐骨神経の激痛だった。
    その時、やっと私は身体でもあったのだと気付くことができる。

    そんな身体を忘れていても、健気な身体は生きるために、
    私が眠っている間も、こうして起きている間も、
    本当に年中無休で働いている。
    瞬間瞬間に細胞が死に新しく生まれ、
    血液はずっとずっと流れ続け、心臓は止まったら私は終わりということとなる。
    この身体の部分で、休んでいるところは何もなく、
    全てのものがフル回転で稼働している。

    それは、このお日様を浴びて、春を待っているあのオランダミミナグサと同じだ。
    自然のものは、何一つ休むことなく活動し、変化し、成長し、世代交代もする。
    その働きと規則性のまま、私の身体も自然として存在している。
    そのことを決してこれからは忘れてはならないということだった。

    痛みは、その命を持続させ、活かしていくための働きを阻害する、
    何かとても緊急な事態が身体の中で起きたことを知らせるアラームだった。
    身体は、あの椿のようにして生きようとしている。
    生きることが、ここに在ることの使命だからだ。
    また、不具合が出たら、自分で蘇生する自己治癒力は与えられている。
    その治癒力の限界を超えた時のみ、命は自ら敗北宣言をして終息する。
    その緩やかな終い方も、そのシステムにはちゃんと組み込まれている。

    だから、何だ。
    せっかく身体自体が生きようとしてくれているのに、
    その使命を全うさせないような妨害行為は絶対にしてはいけないということだ。
    痛んだら、休め。
    痛んだら、止めろ。
    そして、痛んだら、その声に耳を傾け、休養する。
    生きたいならば、病院に行く。
    診てもらい、原因を発見してもらい、その治療を助ける薬をもらう。
    何よりも絶対安静が一番の薬。

    私は、天井を見つめて身動きできない日々は、
    ただただ祈り、身体に回復することをお願いするしかなかった。
    薬は、ただの痛み止め。
    つまり、身体そのものの治癒力だけが頼みの綱だった。
    でも、病気とは、みんなそんなものではないだろうかと、私は悟った。
    その身体そのものがもつ生きる力をどう育てていくか、
    それは、私たちの日頃の生活が、そのまま影響し、変化させている。

    身体を大事にする。
    身体の微かな声を聴く。
    こんな当たり前のことに気付くまで、59年間と半年がかかった。
    本当に「分からない」人である。

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