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from: クマドンさん
2017/04/11 05:53:01
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実感のこもった言葉を
今は、今、ここで感じる言葉だけを話そう。
それが実感として語られる言葉なら、
ここに残るし、誰かに伝わるのではないかと思うからだ。
仕事に行ける。
それなりに痛みを感じながらもやっている。
辛い時は、横になる。
少しだけ休ませてもらう。
そして、ちょっとよくなったらまた「よっこらしょ」と立ち上がる。
短い時間でも、椅子に座っているといつの間にか痛みが増してくる。
そしたら、立ち上がって、杖をついて歩く。
階段は難儀だが、それでも一歩一歩の歩き方が分かって来た。
杖をつくタイミングがあり、そのタイミングを習得しつつある。
杖をついて歩いていると、声をかけてくれる人がいる。
「大丈夫?」と。
そのひと声がとてもとても嬉しく感ずる。
それは、その人が私のことを気にしていてくれているからだ。
「休んだらどうですか」
「無理をしないでくださいね」
それもまたありがたい言葉だった。
この立場になると実感のこもった言葉は、身に沁みる。
やっぱり実感しか、相手の心には伝わらない。
うわべだけの、それなりの言葉はあっても、
その言葉は、たとえ語られたとしても相手の心には沁みない。
私は、感ずる言葉と、そうでない言葉とを感じつつ生きている。
身体の言うことを聴く。
本当にそうだった。
やりたいことよりか、身体がやれることのみがここに在る。
今は、こうして椅子に座って痛くてもキーを打っていられる。
以前ならば絶対に出来ない技だった。
今朝もストレッチができた。
上半身だけだが、身体が動くおかげでストレッチもできた。
毎朝、4キロを走っていたのは、昨年の7月。
あの再手術でN大病院に入院する朝までだった。
それからは、私はヘルニアが破裂することを恐れて、走ってはいない。
身体に素直に聴いたからだ。
衰えるとは、歳をとるとは、こういうことなんだなぁと、最近想う。
ここが、私の人生のターニングポイントだったのかもしれない。
もし、あのまま身体の声を無視して突っ走っていたらどうなったことか。
きっと身体そのものがその無理に耐えきれずに壊れたことと今は想う。
何せ、自分自身にブレーキをかけられない人なのだから。
今、ここでとどまっていることは、幸せなことだったのかもだ。
痛みを友にして、いつもいつも共に生活している。
傍からは絶対に実感できないものがこの痛みだった。
だから、痛みは、孤独だ。
孤独だから、「生きる」ということに黙って向き合える。
そして、痛みがあり不自由であるからこそ、どう生きようかと考えられる。
杖をついて、痛みに耐えながら、笑顔で生活する。
そんな生き方をしている人が、今は、大切なのではないだろうか。
それが、痛みつつここに在ることの意味なのかなぁと、少し想う。
痛みは、私の欲を薄めた。
土日に家に籠っている。寝たきりで居る。花見にも行けない。だから、どうなのか。
今、ここ、この身体の声に素直に聴き随う。
その訓練を今、私は受けている。
忍耐とは、幸せに至る険しくもあるが、在り難い一本の道のようだ。-
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