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from: クマドンさん
2017/04/12 06:15:40
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映画「アンタッチャブル」
どうにもならない私が居る。
この病気によって、私が予想していたことは全て失われた。
今、ここには、できることだけを、でくるだけでやっている。
限られた私。
しかし、そのおかげで少しは謙虚にもなれたかも。
身体のことを心配できる人になれたかも。
いかにちっぽけだったかは、よくよく分かった。
いかにどうにもならない人であったかも、もくもく分かった。
でも、分かっていても、なかなか変われない。
家族から、想われたままの私は、
私ではないと言いたいが、その私のままで家族の中に居る。
仕方ないよと、自分にはいつも言い聞かせている。
居ても居なくてもいい人は、居てもいいんだ。
そのためには、優しくにりたいもだと、そう想う。
昨夜、「アンタッチャブル」を観た。
録画した映画だ。
エリオット・ネスは、まだ若き日のケビン・コスナーだった。
その右腕の老警官にいぶし銀のショーン・コネリー。
巨悪のボス、アル・カポネに、ロバート・デニーロだ。
腐敗した警察や議員や司法権力の中で、
孤軍奮闘、正義のために真っ向勝負で戦うネスたちの姿に感動だった。
このドラマの背景のようなことは、今も、この国で行われている。
形こそ違えども、違法な天下りは文科省か行い、
忖度をして国有地が何億も値引きされて売られる。
それは、正義を行うことや、
国民の生命と財産とを守ることを最優先にしたからではなく、
みんな自分だけが良い目を見ればいい。
自分だけは貧乏くじを引きたくない。
そんなつまらないことに正義感で逆らっても仕方ない。
忖度。忖度。忖度。忖度。
そう想っている人たちが多く居るからだ。
アル・カポネの時代は既に遠い昔の物語と言えば言える。
しかし、よくよくこの時代を見直してみると、
見えないことをいいことにして、
権力は権力と、巨悪は巨悪と、繋がって、
お互いにうまい汁を吸い合って生きているのが現実ではないだろうか。
物語だけが、真実だ。
現実にネスが登場したら、その途端に忖度されて左遷されてしまうだろう。
私たちにとっての正義とは、架空の物語の中だけに存在するものなのかもしれない。
大人たちも、子どもたちも、この現実の闇を知っている。
だから、みんな強い者に、殺傷与奪の権力を持つ者に、忖度する。
そうやって、生き延びる。
それは、正義の道ではない。でも、今は、そうして生きねば生き延びられないんだ。
物語がここに在る意味が「アンタッチャブル」を観て分かった気がする。
どんな不正な権力や巨悪からも、「決して手をつけられない存在」は必要なんだ。
ネスは、自分の家族を犠牲にしてまでも、その道を全うした。
しかし、今、現実の社会では容易く手をつけられる存在となってしまった。
だから、簡単に忖度で操作される。
ひと声かかれば、「はい、はい」とお気に召すままに動き出す。
「それをやったのは、私です」「褒めてください」「昇進させてください」だ。
こうして孤立無援な私のような者は、
その「アンタッチャブル」になる資格があるようだ。
「生きるとは何か」を問いとして、
本日も、この孤立無援の生き方をしてみようではないか。-
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