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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/04/16 22:28:56

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    生き死にの境を超えた人たちの言葉

    さてさて、何もできない私は、何もしないままこうして生きている。
    電話ならばできると考え、Sさんに電話した。
    「言葉を実感するですよね」とのこと。
    この身体を通した学びから、分かったことはそれだった。
    「ヨブは、私です」と話した。
    本当にどうにもならなくなった時、
    たった独りの私に向かて語ってくれるのは、神しかいなかった。
    「人では、ありませんでした」

    「こころの時代」で、「唯識」についての話があった。
    本当にブッタの悟りから玄蔵が伝え、日本の仏教の祖師たちを経て、
    この今に至るまで、それは確かに一筋の道だった。
    「空は空ならず」「そして、識=心はここにある」かな。
    「言葉を言葉として実感することが、この現生での修業ですね」
    ありがたいことに、Sさんとはいつもいつもこうしたいかに生きるの話だけだ。

    「クマさん、元気」とは、元気いっぱいのNさんの声。
    櫛形山に旦那さんと登っている最中だった。
    彼女が私に「まさか」という坂の存在を教えてくれた。
    「クマさん、人生は上り坂と下り坂。そして、まさかだからね」
    それを聴いて暫くしてから、私は胆石となり生きる死ぬとなった。

    その旦那さんは、本当に何度も生きる死ぬを経験した人だった。
    癌が見つかり、それを手術をして克服した。
    それからが百名山であり、海外のトレッキングだった。
    そして、飯豊の石転びでの危機一髪の滑落とクレパスへの墜落。
    それでも、生き残るのはそれしかないという道で生き残った人だった。
    「クマさん、人は行くか、戻るか、そこに留まるかだて」
    「無理はすんな。できないときは、じっと我慢らて」
    「絶対に回復するから、まずじっと待つ時は、待てばいい」
    登山中にかかわらず、いつもいつも含蓄のある深い言葉だった。

    沼垂のTさんにも、久しぶりの電話だった。
    朝、突然、彼女からのメールだった。
    お互いにN大病院仲間である。
    私の緊急入院にいち早く反応して、心配してくれた人でもあった。
    それは、彼女も大手術をした人だったからだ。同病相哀れむ。
    「腹を切った者にしか、切った者の気持ちはわかんねぇ」とは、Nさんの旦那さん。
    彼女とも、私は、そんな痛みを同じくする友でもあった。

    彼女の旦那さんも、ヘルニアを患ったことがあることを知った。
    「家のは針で治していますよ。何年も前の話だけれどもね」と教えてくれた。
    彼女もつい最近ぎっくり腰をやったらしい。
    「何しても痛くて、痛くてでしたよ」
    それでも、デズニーランドには行ったらしい。家族を何より想う人だった。
    「家のも言葉には言えない痛みだったようですよ」とは、坐骨神経痛のこと。
    この痛みは、経験した人しか分からない痛みだった。
    坐骨神経痛を患った人は、みんな私の同志だった。

    さてさて、何もできずに、ここに居ても、こうして繋がれる人が居る。
    それも、みんなみんな生き死にの苦労を経験した人たちばかりだ。
    何だねぇ。やっぱり、最後は経験がものを言うね。
    みぞおちからへそにかけての真一文字の傷跡が生々しく、
    その両脇には転々と管を10本通した跡が丸い痣になって残っている。
    腹を切った人だけが、あの術後の苦しみを分かる人だ。

    坐骨神経痛の痛みは、尋常な痛みではない。
    それを言葉では表現することはまずできない。
    でも、それを患って転げまわった人は、あなたもですかと、そう言える。
    ただ、それだけで、肯きあえる。
    私は、まだまだ回復途上で、椅子には5分と座っていられない。
    向う脛と足首とが痛くて、痛くてだった。

    確かに、そんな経験はしなくてもがなであるとは想う。
    何も大病もせず、骨折もせず、ここまで生きて来ましたてでも、それでいい。
    でも、この生きる死ぬを経験した人は、
    やっぱり何かそうではなかった人とは違った心境にすっぽ抜けるものだった。

    確かにそうだった。
    私は、身体のことを忘れて、頭だけで生きていたかもしれなかった。
    身体にはブレーキはなく、ただ闇雲の突っ走っていた。
    身体からのサインを感知せずに、無理を押してやり続けた。
    そのあげくが、これだった。
    そして、分かったことは、身体と心とは一つであるということだった。
    その一体感の中でゆったりと息をすることを大事にして生きていくべきなんだ。

    身体を大事にしない人は、心をも大事にしない人だった。
    身体を第一に考え、身体の声を聴かない人は、病になってしまう人だった。
    そして、身体の病を通して、人は、やっと生きるとは何かを学び始める。
    なぜなら、この身体がなかったら、生きている私はどこにもいないからだ。
    そして、そんな修羅場を潜り抜けて、今を生かされている人たちの言葉は重い。
    そんな大事な生き方は、その健康を失い、その身体の何かを失わなければ、
    人には分からないものらしい。

    私は、「俺は、悟っている」という人を絶対に信じない。
    本当に悟っている人は、そんなことは絶対に人には言わないからだ。
    でも、大病を患い、大手術を経験し、
    生き死にの境を超えて来た人の言葉は信じられる。
    その人たちは、「悟りをひらいた」なんて言葉は、絶対に口にしない。
    しかし、身体そのものが「そうなんだ」という存在感に満ちている。
    「そうなんだ」という「唯識」そのものを感じさせる。

    病気とは、不思議なものだと、この電話を通して改めて想ったものだ。

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